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020「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」/武田邦彦(2011年4月4日)

環境問題はなぜウソがまかり通るのか/武田邦彦
/洋泉社ペーパーバックス/20070312初版/\925+税/221頁

 冒頭に出てくるペットボトルのリサイクルが環境を汚しているとの理論には唖然となった。著者は、1993(平成5)年に12万トンだったペットボトルの販売量が、2004(平成16)年には50万トンを超えるようになったが、ペットボトルのリサイクルが進むにつれて販売量が増えてゴミが増えたのは、リサイクルが進んだためだというのである。つまり、リサイクルすればペットボトルの販売量は減るはずだったのに、増えたということは、ペットボトルの分別が、日本の大量消費の後押しをしているというのである。

 かなり無理がある理論と思う。ペットボトルの販売量が増えたことと、ペットボトルの分別には、因果関係の意味はないであろう。販売量が増えたことを問題にすれば良いだけであり、分別は分別としての問題を考えれば良いだけであろう。このような「まやかし」が著者の理論には多い。どうも、「反発狙いの受け」であろうが、著者のしたたかな戦略が見え隠れする。

 しかし、総じて興味ある事実が多いのも否定できない。本によると、少しデータは古いが2004年のペットボトルの消費量が51万トン、分別回収が24万トン、差し引き27万トンがゴミとして捨てられているという。さらに、実際に再利用は3万トンに過ぎないという。即ち、分別回収された残り、21万トンは焼却処分されているのだ。

 気になったので、最近のデータを調べてみた。PETボトルリサイクル推進協議会のデータによると、2009年度のペットボトルの総消費量が56万トン、分別回収が29万トンとそれほどの差異ではない。また他に、本には出ていない事業系ボトル回収というのがあり、スーパーやコンビニが自ら回収したものだが、2004年度は8万トン、2009年度は15万トンとかなりの比率がある。興味がある方は、(ペットボトルリサイクル推進協議会の年次報告書)を見て頂きたい。また、回収率を2005年度に改訂しており、ボトル製造時の成形ロスを除いたりなどしている。それと、再利用がよく判らないのだが、「再生処理事業者契約数」が再利用だとすると5万トンになる。要するに、余り変わっていないのである。

 分別しても、焼却炉で燃やすのであれば、分別する意味はなく、税金というお金を掛けるだけ無駄であるという著者の理論は正しいと私は思う。しかも、流通過程でさまざまな所にお金が流れ、無駄な負担が何重にも掛けられているのである。著者は、焼却課程において、ペットボトルがカロリーが高いため、焼却する際に高温となり、焼却炉が傷むという理論はあり得ないという。むしろ、ペットボトルがあることにより、空間ができて良く燃えるというのだ。燃えにくい場合は、灯油をかけて燃やしているケースもあるという。欧米に比較して、日本のペットボトルの回収率が高いことを誇る人がいるが、むしろ欧米は実情を理解しているのかも知れない。

 日本では、かつてダイオキシンを含む除草剤が20年間に渡って散布されていたとの事実には驚いた。新聞報道等があっただろうか? ただ、ここでも著者は「まやかし」を使っている。ベトナム戦争で除草剤の一種であるダイオキシンが含まれている枯葉剤が散布されたが、その量は、ベトナムの国土の1万平方キロメートルに1年間に0.46キログラムであったという。日本全土で散布された除草剤は、1万平方キロメートル当たり1年間で0.21キログラムのダイオキシンだそうである。それを実際に散布されたのは水田なので、水田だけを考えるとダイオキシンの量は、1万平方キロメートルに1年間で3.7キログラムとベトナムの8倍だというのである。これは、比較する分母が違うだろう。ベトナムは全国土面積が分母で、日本は水田面積が分母では比較にならない。ただ、ダイオキシンが散布されていた事実には変わらない。

 事実を証明する術を私は持たないが、著者の説明により、ダイオキシンが猛毒だという証明はされていないことはよく判った。マスコミが騒いで問題にしたが、その後の精査がされていないのである。マスコミも問題だが、科学者も問題なのではないだろうか。なぜ、著者に賛同して、「ダイオキシンの毒性は低い」という科学者が出てこないのだろう。それもマスコミが無視しているのだろうか。

 さらに著者は、マスコミ批判のボルテージを上げていく。著者 
は、狂牛病は恐るるに足らないとみているようだが、報道の激しさに責任を感じて自殺した獣医の話や、鳥インフルエンザの無責任な報道ゆえに責任を感じて自殺した養鶏業夫妻の話が出てくる。狂牛病にはほとんど害がないという見解には、賛同しかねるが、マスコミの無責任さにはまったく同感である。亡くなられた方の責任をどうするのだと言いたい。先日も、福島原発関連でムキになって、「言った言わない」と官房長官にかみついていた馬鹿な記者がいたが、何が問題かを理解していない人間が、センセーショナルな記事を書き続ける、今の報道姿勢に疑問を私も持っている。

 樹木は、生まれてから成長期までは二酸化炭素を吸収して自分の体を大きくしているが、成熟すると二酸化炭素をほとんど吸収しなくなり、老齢になって死に至ると、今度は二酸化炭素を放出すると、著者は言う。それは、事実だろう。故に、森は二酸化炭素を吸収はしないと、「故意の誤報」だと著者は断定している。これも「まやかし」に近い。森は、存在する限り、二酸化炭素を保有し続ける。枯れる木があっても、その森では植物の連鎖が起きているからである。植生が変わり、二次、三次の植生が発生して、森は生き続ける。そこでは、二酸化炭素は森の中に存在し続けるからである。

 どうも著者の論理は、どこか欠点を見つけると、そこに目を付け、反論することにより、すべてを否定してまう癖がある。官庁が出している統計値に誤魔化しがあると(それは事実だが)、著者は得意の「まやかし」により、一緒くたに一刀両断してしまうパターンだ。

 問題は「地球温暖化」そのものにあるのではなく、人間の活動があまりにも急激だから、それによって気候が急激に変わり、それが大きな被害を及ぼしていると著者は述べている。著者がいうのは、二酸化炭素の流出が<早すぎる>ことが問題なのであり、その対策をしなければならないということだ。しかし、何が、今の排出規制と異なるのだろう。急激であろうがなかろうが、元を絶つ規制を否定はできないだろう。否定してるようで否定していない、論理破綻を起こしているとしか見えない。

 そして、アルキメデスの原理まで持ち出して、北極の氷は温暖化になっても海水面は上がらないと説明している。それは、その通りだろうが、問題は「地球温暖化」である。著者は、2000年に「リサイクルしてはいけない」とのタイトルの本を出したが、本のタイトルにも関わらず、本文では「実は私はあまりリサイクルを反対しません/P.50」と書いている。テレビでの発言を聞いていると、以前は「地球は温暖化していない」と言っていたことがあったが、この本では「急激な温暖化は良くない」と書いている。その都度、主張を平気で変える人のようだ。この辺のトーンはこの本では少し弱く、看板を降ろしてしまったように思える。長期的には、地球は寒冷化に向かっている事実をささやかに書いているだけだ。結局は、マスコミ用のしたたかな演技者なんだろう。著者は、内閣府原子力安全委員会の専門委員を務めていたが、今回の震災が、また格好の舞台となることの恐ろしさを感じる。

 その後、紙のリサイクル運動は、官庁が干渉することにより、ちり紙交換屋さんが消えたとか、殆ど害がないDDTを排除したため、2億人の人がマラリアにかかり、殺されたなどと続く。そして、石油の話題が出て、終いには日本は温帯だから高気密住宅が良くないとされると、寒冷地に住む自分としては悲しくなる。まあ、ローカルなことを言っても仕方がないのかもしれない。とはいえ、少しは考えて欲しいなと思ったりもしてしまう。また、日本人は水銀には耐性があるようなことを書かれると、何の根拠があってと思う。水俣病はなんだったのだと言いたくなる。

 しかし、最後の言葉が良い。
 地球温暖化は重要な環境問題かもしれないが、地球温暖化の主な要因が二酸化炭素であるとするならば、二酸化炭素を出す原料は石油である。従って、石油が枯渇すれば地球温暖化は自動的に解消する。
 繰り返しになるが、その意味で、石油の枯渇と地球温暖化はどちらも環境問題として重要であるが、双方が同時に起こることはない。危機を煽る人たちは、ある時は地球温暖化が危ないと言い、ある時には石油が枯渇すると脅かす。

 結局、この人は良い人なんだなと思ってしまうのが不思議だ。

「環境問題は
なぜウソが
まかり通りのか」
武田邦彦
洋泉社
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019「日本経済の不都合な真実」/辛坊正記・辛坊治郎(2011年3月9日)

日本経済の不都合な真実/〜生き残り7つの提言〜
辛坊正記・辛坊治郎/幻冬舎/20110125第1刷
\925+税/239頁

 読み始めの期待感がどんどん失望に変わる本であった。テレビで見る辛坊氏とは、異なる気配がこの本にはある。読み進んで、後半にその理由が判った。この本は、辛坊兄が書いた本なのである。それを辛坊弟が監修したのである。両者は、基本的な考え方を共有しているらしいが、文章に表れてくる気配は、異なるものだとつくづく気付かされた本であった。とはいえ、書いたことをすべて否定する気もない。なるほどと思うところは、たくさんある。ただ、底に流れる「うさんくささ」が真に気になるのである。

 2010年度の国の予算約92兆円から国債20兆円を引いたお金が72兆円。しかし、税収は37兆円しかない。残り55兆円が赤字ということになる。ところが、ほんの数年前に赤字がなくなる、即ちプライマリーバランスが黒字化寸前になっていたという。それが、小泉政権の最終年度だったという。

 確かにそれは大事なことかも知れないが、小泉政権の構造改革で日本は良くなったのだろうか?とてもそうは思えない。郵政改革で何が生まれたのだろうか?オリックスに安売りするのが、構造改革だったのだろうか?むしろ、イラク問題で、小泉政権が諸手を挙げて「ブッシュの戦争」に加担をしたことを追求することを忘れてはいないだろうか。大量破壊兵器なるものが何も発見されなかった今、あの戦争の責任を問いたいと思う。小泉氏は、それに対して何も答えていない。むしろ平然としているとしか思えない。税収が減ったことが問題なのであり、それがなぜ起こったのかを考えなければならない。

 日本は、外国に266兆円もの財産をもっているので、財政破綻をしないという論理があるが、著者はこれを否定している。政府が大幅な赤字で巨額の借金を背負っている事と、外国との日々の取引が日本全体では黒字で、外国に対してお金を貸している、ということとは別問題なのだ。経常収支が黒字だということは、外国と取引をしている日本企業・個人が利益を上げているだけであって、国の予算とは直接関係しないのである。まったく当たり前の話である。
 日本を強くする7つの提言をあげている。タイトルだけを列記してみる
  1)供給サイドを強くせよ
  2)法人税を抜本的に引き下げよ
  3)日本的雇用慣行を根本から変えよ
  4)内需重視!の掛け声に騙されるな
  5)FTAを推進せよ
  6)規制緩和を強力に進めよ
  7)不透明な日本流規制をやめさせよ

 著者は、法人税減税などで企業(供給サイド)を強くすることを繰り返し述べている。そのことを否定するつもりもないが、強くなった企業が日本経済に本当に貢献するのだろうか。投資家を利しているとしか思えないのが昨今の状況である。弱くなった企業、特に中小企業にとって、法人税減税がどれだけの意味があるのだろうか。問題は、節税などではなく、税金を払えない企業が増えているということにある。となれば、法人税減税の意味は、企業の海外流出を抑える意味にしか感じられない。特効薬たり得ないのである。

 規制緩和の項目に医療が出てくる。辛坊兄は、医療を産業と捕らえているようだが、利益を追求する病院が、高額医療を推進するべきだという考え方に危険性を感じた。お金がある人が、高度な医療を求めて、外国の病院に逃げ出すことを心配しているようだが、何がいけないのだろう。お金がある人が、外国に行くのは自由である。問題は、お金が無い人の医療をどうするかが問題なのであろう。むしろ、著者が提案するように、規制緩和により、誰でもが病院の経営ができることになることの方が恐ろしい。最近の食料品の値上がり要因の一つに投機マネーの暗躍があるという。事実、投機マネーにより破綻した病院も現実に発生している。そのようなハイエナの輩に、医療を任せることはできない。さすがに、辛坊弟は、辛坊兄の医療への考え方に一部反対をしていた。

 タイトルが「日本経済の不都合な真実」であったが、いくつかの参考となる意見はあった。しかし、これはと思うものも何もなかったし、本質には迫り得ていないと感じた。まあ、それは著者のせいではないだろうが、投資家に対する考え方など、時々出てくる危ない考え方に、ついつい反発をしてしまったというのが読後感であろう。

「日本経済の
不都合な真実」
辛坊正記・辛坊治郎
幻冬舎
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018 2011年春 「芥川賞」の二作を読んで(2011年3月3日)

2011年春 「芥川賞」の二作を読んで
文藝春秋2011年3月号から

「きことわ」 朝吹真理子

 句読点の定まらない、「言葉遊び」の文章が続く。読むことに、苦痛を感じてしまう。賞の対象となることに不思議感が漂う。審査員の感性にも違和感を覚えた。貴子と永遠子という二人の女性が25年振りに葉山の別荘で会う。25年前と現在が、時間を超えて輻輳(ふくそう)する世界を描いている。

 こんな小説をいつか読んだと思った。2007年春の芥川賞、綿矢りさの「ひとり日和」だ。うつろうような文章が続き、もう読むのを止めようかと何度か思った。しかし、終盤の主人公が電車に乗るあざやかなシーンが印象に残った。スピード感ある映像がめくるめく様な文章に驚いた記憶がある。最後まで読むものだ、とその時は思った。この著者(綿矢りさ)は、何かを持っていると読後感に思ったものだ。しかし、今回の「きとこわ」は、私には何もなかった。もう二度とこの著者の本は読まないだろう。


「苦役列車」 西村賢太

 一昨年だったか、田山花袋の小説「縁」を図書館から借りて読んだ。<私小説>の始まりとされる田山花袋の「生」「妻」「縁」と繋がる三部作の三作目である。著者自身の日常経験を描いた作品だ。40数年前のことになるが、「生」と「妻」は、文庫本化していたが、「縁」だけは見つけることができなかっ
た。当時、どこの出版社でも絶版ということであり、近傍図書館でも在庫を見つけることはできなかった。それを図書館で、全集の中から見つけ出して、40数年ぶりに読んだのである。しかし、まことに詰まらなかった。40数年前の余韻は何だったのだろう。その時、「私小説はもう読めないな」と思った記憶がある。

 著者が敬する藤澤清造なる作家を私は知らなかったが、
<私小説>を標榜する作家の出現に驚いた次第である。自己経験をさらけだし、それを深く見つめる手法は、日本の小説の歴史そのものともいえるが、どす暗い広がりのない世界でもある。今日の日本の情景がそこに浮かぶ。

 その日暮らしの19歳の日雇い労働者の日々が続く。稼いだ日当は、ほとんどコップ酒に消えてしまう。数日して、金がなくなれば、また日雇いに出る。唯一、性欲のはけ口のためにだけわずかな貯金をしている。アパートの家賃は、大体踏み倒している。そんな日常から逃れ得ない主人公の生活を「苦役列車」と表したのだろうか。

 句点が少ない長い文章が続く。違和感はあるが、情景が目に浮かぶということは、著者の文章力があるということなのだろう。読むのが辛くはなかった。しかし、何の感動も得られなかった。何の価値も感じられない本であった。芥川賞という賞の変質をも考えさせられる本であった。しかし、著者は否定しているが、「冠」が付いたことで、変わる可能性もあるとも言える。<私小説>であろうとも、この著者のスタイルが変わったと感じるものが出たならば、読んでみたい気がした。

「きことわ」
「苦役列車」

文藝春秋
2011年3月号
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017「変われる国・日本へ」/イノベート・ニッポン/坂村健(2011年2月9日)

変われる国・日本へ/イノベート・ニッポン/坂村健
アスキー新書/20070327初版/\720+税/187頁

 日本には「ブランド戦略」がないという。例えに「寿司」が出てくる。寿司が広まることに満足するようでは、オメデタイとしか言いようがないと著者はいう。フランスのワインやシャンパンは、勝手に名前を名乗らせないようにしているという。寿司が広まる事自体を著者は否定していないが、鮮魚の扱い方を知らない人まで見よう見まねで寿司を作ろうとするために、実は食中毒などの事故も急増していることから、「寿司は危ない」という評価さえ出ているとのことだ。寿司という文化を正しく広げ、ブランドを守るという戦略が弱いという。確かに、以前テレビでも見たが、海外ではこれが寿司かと思うようなものまで回転していた記憶がある。もっとも、日本の回転寿司でも、逆輸入したのではないかと思うような逸品がでていることがある。寿司は、何でもありの文化になってしまったのであろうか。
 
 日本は「オペレーション・マネジメント」という生産や製品に関する技術力では世界をリードしているが、技術戦略、つまり「テクノロジー・マネジメント」という点で見ると、非常に遅れていると著者はいう。そのためには、イノベーションが盛んに生まれるような環境整備を行う必要があるのだ。米国では、その方向性として、「人材教育」、「投資戦略」、そして「インフラ」の三つを重要ポイントとしている。しかし、米国を単に見習って、「いいとこどり」をしようという考え方にも著者は否定的だ。それは見てくれだけだという。

 日本では「国際協力」や「国際協調」は重視されるが、、世界と戦ってマーケットを取る姿勢があまりないとも著者はいう。日本の経済力を維持するためには、もっと世界に売り込みに行く必要があり、そのためには、政府や国がもっと援助する必要があると著者はいう。欧米のセールスは、政官民を上げて、他国への接待付けをしているそうだ。余りにも日本は、真面目に技術だけを売り込もうとして失敗しているらしい。確かに、最近のマスコミの論調にもそのような話題が多い。

 日本は携帯電話市場において、日本でしか使われなかったPDC方式を採用したために、世界シェアで負けているという考え方を、<お門違い>と否定している。どこかに池田信夫の姿が目に浮かぶ。韓国は、国内は米クァルコムのCDMAを採
用していたが、国内市場が小さいために、圧倒的な世界シェアを誇るGSM規格も輸出しているそうだ。日本では、国内マーケットが大きかったため、携帯電話会社の求めに応じて高級機を造り続けていたが、国内市場が飽和状態になるとともに作れば売れる時代が終わってしまった。気がつけば、ガラバゴス状態になっていたというのである。しかし、著者のこの説明には無理があるといわざるを得ない。良いと信じて採用したPDC方式である。最初から、信じた方式とは別なGSM方式も並行してメーカーが作るということに違和感を感じる。自分の信じた方式を作って、世界シェアを伸ばすということがまともであろう。要は、売り込みに失敗したのである。あるいは、売り込みすらしなかったのではないか。少なくとも、<お門違い>という説明にはならないであろう。

 パソコン市場においても、CPUもOSも米国のインテルとマイクロソフトに握られているブラックボックス化した状態で、いくら製作しても儲からないとの説明には、著者のトロンに対する悔やみが現れているのだろう。著者が繰り返し説明しているのは、人材にしても投資にしても環境作りにしても、「オープン」かつ「ユニバーサル」であり、そして「ベストエフォート(最大努力)」な考え方ができて初めて、イノベーションを勝ち抜く道が開けるという。

 マイクロソフトを引退したビル・ゲイツの話に興味を持った。彼が始めた財団では、製薬会社から薬の製法特許を財団が多額のお金で買い上げ、特許料を徴収せずに第三世界の国で製造させるといった計画を発表しているそうだ。これは、製薬会社のインセンティブを補償することにより、第三世界の起業にもなり、慈善事業にもなる。そして、米国内では税金制度を利用することにより、企業の財団への参加意欲も支えるという。新たなイノベーションであると著者はいう。対して、日本では税金の使われ方がブラックボックス化している。節税ばかり推奨する向きもあるが、税がどう、何に使われるのかという考え方がこれから必要になってくると感じた次第である。

 著者の本は、文章が平易で読みやすく、一つ一つの章立てでは納得できることも多い。しかし、本当は何が言いたいのかが良く判らなかったり、前後の脈絡が不自然で<良いこと取り>に感じることも多い。結局、結論はないのだなといつも思ってしまうのは私だけだろうか。

変われる国・日本へ
坂村健
アスキー新書
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016「電波利権」/池田信夫(2011年2月8日)

電波利権/池田信夫/新潮社
新潮新書150/20060120初版/\670+税/186頁

 かつて、新聞経営に限界が見えてきた<新聞社>は、テレビがメディアの主役になるにつれて、<テレビ局>を支配しようとした。最初に系列化されたのが、<教育専門局>として開始された日本教育テレビを衣替えした、朝日新聞によるテレビ朝日だった。<科学技術専門チャンネル>だった東京12チャンネルも日本経済新聞社に身売りされテレビ東京となる。このとき資本関係を調整したのが、田中角栄だったという。立花隆が、公表されている登記簿などの資料を基にして書いた、『文藝春秋』を契機として田中角栄は失脚したが、テレビ局が田中に対して「借り」があったと著者は推測している。

 日本衛星放送(現在のWOWOW)や東京メトロポリタンテレビジョン(MXテレビ)の設立に際しても、<多数の>申請があったにも関わらず、旧郵政省(現総務省)の指導による、経団連への一本化工作により、「オール財界」で発足することになった。結果、寄り合い所帯のため、内部対立や路線の混乱などで、経営が思わしくない。FM放送でも、アメリカには1万2000局ものFM局があるが、日本では行政が<調整>した結果、各地域には数局しか認可されていない。

 NHKは、開発したアナログ技術であるハイビジョン規格を国際基準にするために、1985年、アメリカと共同でCCIR(国際無線通信諮問委員会。現在のITU−R)の作業部会に提案したが、ヨーロッパ勢は、対抗して急遽「HD−MAC」という規格を提案した。しかし、「HD−MAC」は、紙の上にしか存在していなかったのである。当時、世界でテレビ技術を開発しているのは事実上、日本のメーカーだけであり、対抗する規格を開発できるメーカーなどなかったのだから、他国と協議する必要もなかったのだ。さっさと量産を開始していればハイビジョンが事実上の国際標準になったかもしれないと著者はいう。

 デジタル携帯電話(第2世代)の標準化は、ITU(国際電気通信連合)で行われたが、最終的には規格を一本化できず、ヨーロッパはGSM、日本はPDC、アメリカは複数の規格が乱立する状態になった。世界的なシェアではGSMが圧倒的だったが、NTT技術陣は「性能はPDCのほうがすぐれている」と主張してPDCにこだわり、郵政省も国内の業者はPDCで統一するよう指導を行った。結果、日本の携帯電話が世界の少数派に転落する原因となった。

 などなど、電波業界を知り尽くした著者が、行政と業界のもたれ合いをバッサリと切り捨てている。ちなみに、著者はNHKに15年ほど在籍していた。

 一方向通信である<電波=放送>即ち、テレビやラジオという100年以上も前の構造が生き残っていたのは、古い技術にあわせて<規制=利権>がつくられていたからに他ならない。それが既存業者の独占を守ってきたと著者は説く。しかしインターネットの登場は、物理的な交換機や中継局を必要としなくなった。それをIPというソフトウエアだけで実現することができるようになった。特定のインフラに依存した放送というメディアの居場所はなくなり、コンテンツの層でも通信と放送の区別はなくなり、著者の予想では、インフラとコンテンツを垂直統合する放送局という業態も、あと10年ぐらいで消滅するだろうという。この本が書かれたのが2006年だから、後5年ほどで放送局がなくなるとの予想だ。

 著者は、テレビ局には50年以上の番組の蓄積があるので、その資産を有効利用すれば大きなビジネスになるはずであるともいう。問題は異なるが、わが家ではケーブルテレビが入っているが、既存の民間放送をみることは少ない、お笑い芸人ばかり出てくる番組のつまらなさもあるが、あのコマーシャルのタイミングに嫌気をさすのである。NHKやケーブルテレビのコマーシャルが少ないかまったくない番組を見慣れた感覚では、民間放送をたまたま見ていても、いつも後を引きずるようなタイミングでコマーシャルに入ってしまうが、その瞬間にチャンネルを変えることが多い。少し、話題がそれたかもしれないが、NHK以外はコンテンツともいえる蓄積が枯渇してきている様な気がする。
 テレビは合計で約370メガヘルツの周波数に60チャンネルが割り当てられているが、実際に使われているのは各地域ごとに7チャンネル以下である。他方、携帯電話は約220メガヘルツになんと9000万チャンネル以上がひしめいている。電波を超効率的に使っているためだそうだ。しかも、光ファイバーやDSL(デジタル加入者線)を使えば、インターネットで何十チャンネルものテレビ映像を流すことができるという。電波を非効率に占用している既存事業者から帯域を取り戻すために、筆者は、「逆オークション」なども提案している。

 そうして今また、行政が選択したのは、インターネットではなく、地上デジタル放送という手法だった。その上、既存事業者は、既存のネットワークを温存したまま丸ごとデジタル化することを政府に求めた。家庭に設置されているテレビは、全国で1億3000万台近くあるといわれる。今のぺースで普及が進んだとすれば、11年になってもそのうち3000万台ぐらいが置き換わるだけで、1億台近いテレビがアナログのままである。こんな状態で電波を止めたら1億台ものテレビが粗大ゴミと化し、視聴者はパニックになり、テレビ局の広告収入も激減するだろう。現実には、「暫定措置」として2016年ぐらいまでアナログ放送が延長されるのではないかと、著者は予想していたが、アナログ停止まで、後半年を切った現在、どう考えているのだろうか?もっとも、著者の本音は、1億台ものテレビを粗大ゴミにするのはやめてほしいものだということにつきよう。

 そもそもデジタル化が目的なら、衛星でやれば200億円ですんだのに、1兆円以上かけて地上波でやるのは地方民放の延命が目的であると著者は説く。全国放送が衛星で行われるようになれば、地方局は無用の長物になってしまうのである。逆に、地方の全国化というチャンスもあり得るが。インターネットはどの国の政府も管理していないが、全世界の数億人のユーザーが互いに迷惑をかけないで利用する事実上のルールができている。そのもとになっているのは、IETF(インターネットの標準化機関)などの非営利組織(NPO)の決めた技術標準である。

 2011年2月3日の新聞情報によると、総務省が2011年の国会に提出する<電波法改正案>では、放送局や劇場が使っている周波数帯を携帯電話用にするために、放送局などが別の周波数帯に移るのにかかる最大2000億円程度の費用を通信会社に負担させようとしている。要するに、本来、放送局等が負担すべき費用を、携帯電話料金に上乗せしようというのだ。行政と放送局のこのような関係はいつまで続くのであろうか。

 ところで、著者(池田信夫)は、坂村健とは犬猿の仲のようである。http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/Sakamura.htmlでは、『歴史を偽造する「口先標準」の教祖』とまで書いている。相当な悪口雑言である。しかし、マイクロソフトに次いで、世界第二位のソフトウェア会社のオラクルの創業者ラリー・エリソンを描いた「カリスマ/マイク・ウィルソン著/ソフトバンク社/1998年初版」という本がある。オラクルは日本では、知名度はそれほど高くないが、あのサン・マイクロシステムズをも2009年に買収した、データベース管理システムのトップシェアの会社である。この本(カリスマ)の中でも、

 しかし、すばらしい製品を請けあっておきながら、できあがったのは予定の数カ月、あるいは数年後ということもあったし、製品が完成しないことも、完成品が宣伝どおり機能しないこともあった。エリソンの言葉を信じてキャリアを築きあげた情報処理担当者もいたが、信じたために職を失った者もいた。
「誰も裁判に持ちこまなかったようだが、私のエリソン感をいわせてもらえば、ほら吹き野郎という一言に尽きる」と、あるコラムニストは書いている。


 まさに、初期のICT業界では、そのようなことが日常茶飯事だったはずである。今から考えると「冷や汗もの」ともいえる状況を思い出す経営者達も多数いるのが実情だろう。結果として、成功したかどうかの差であったのではないだろうか。

電波利権
池田信夫
新潮新書
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015「ユビキタスとは何か」/−情報・技術・人間−/坂村健(2011年2月7日)

ユビキタスとは何か/−情報・技術・人間−/坂村健
岩波書店/岩波新書1080/20070720第1刷
\700+税/215頁

 トロン(TRON/The Real−time Operating system Nucleus)の坂村健氏の本である。トロンとは、著者によれば、「実時間、実際の世の中の状況に合わせて動くコンピュータのためのプロジェクト」だそうである。どうも判りづらいが、要するに、世の中がどう変化しようとも、あらゆるコンピュータを標準的な言語(OS)によって動かそうといったことらしい。いい変えれば、あらゆるものに組み込むことが可能なOSであるわけだ。

 そして、ユビキタス・コンピューティングというのは、この「組込みコンピュータ」を家電や機械だけでなく、生活すべてのあらゆる分野へと拡張したものだそうである。著者は、「世界の<すべて>にコンピュータを組み込んでいく」と語る。そこで、「誰でも使えるように設計する」ことから、ユニバーサル・デザインの重要性を説いている。基本技術をオープンにするべきだという発想もここから出ている。

 日本の高速道路の料金徴収でETCというシステムがあるが、この技術は国が主導して開発したため、つい最近まで一般には公開されていなかった。とても高度で、しかもさまざまに応用可能な技術であるにもかかわらず、高速での料金支払いにしか使われていなかった。ETC技術の民間への公開は2006年度からやっと始まったが、あの技術を最初から公開していれば、コイン・パーキングでの料金支払いなどのさまざまな利用法ができたと著者はいう。

 インターネットというイノベーションを支えたのはアメリカ国防総省の多額の開発資金だった。現在はマイクロソフトからグーグルまで多くの民間企業が開発した新技術を投入して、まさに「民間活力」で発展しているインターネットだが、パケット交換の論文(1961年)から最初のARPANETの稼動(1969年)、インターネットの商用開放(1990年)、そしてインターネットのブレーク(2000年代)まで、実に40年近い年月を支えていたのは、アメリカ国防総省だった。インターネットが現在の情報通信技術社会の重要な基盤になったのは、それがオープンでユニバーサルだったからだという。昨今のウィキリークスやフェイスブックの影響までは、誰も予想し得なかったのだろう。

 著者が、<目ざすべき社会>について語る。
  ・技術の進歩に適切に対応できる社会
  ・制度の問題を素直に制度で解決できる社会
  ・組織を超え水平方向に状況情報を流し利用できる社会

 どうも判りづらい文章が好きなようだが、本を良く読むと理解できる。「技術の進歩に適切に対応できる社会」の例えに、<著作権法>が出てくる。技術の進歩に、現在の日本の著作権法が対応できていないという。著者は、日本の法律はドイツを模範とした大陸法的であり、「お上」による責任原則とギャランティ(保証)を基として国のカタチができているという。精緻な法律によって国のカタチができているのだ。一方、英米法は、柔軟的であり、個人主義と自己責任原則とベスト・エフォート(最大努力)を前提として国のカタチができている。世の中のが変わるスピードに日本の法律の構成では無理だというのだ。建築の世界でも「建築基本法」をつくる動きがあるが、つぎはぎだらけの「建築基準法」ではもう時代にそぐわないのだ。まさに、同様のことといえる。しかし、著者の論理では、「建築基本
法」も日本にはなじまないことになる。

 例えば、米国のDMCA(デジタル・ミレニアム著作権法)には、著作権法上問題のあるコンテンツを投稿されたサイトの責任について、セーフ・ハーバー規定という、明確な免責条項があり、著作権を侵害するような行為であっても、事後に通知されてからすみやかに削除すれば免責されるという決まりになっているそうだ。日本では、そうはいかない。見方をかえると、「著作権の考え方」にも書いたが、米国の著作権法が国際的にも甘いといわれる所以だろう。逆にいえば、法が違うのに同じ土俵で勝負はできないことだともいえる。最近も、アップルの著作権に対する扱いに対して、日本のマスコミが騒いでいたが、最初から<かけ違っている>のである。

「制度の問題を素直に制度で解決できる社会」の説明に、日本のバスの料金ボックスが出てくる。紙幣もコインも使えておつりも出て、磁気カードもICカードも使えて、高齢者割引もできる「世界最高性能」の料金ボックスがそれである。すべて<足し算>の世界なのである。しかし、制度で解決すれば単純な市民ICカードのリーダ一つでいいという。これは本とは関係ないが、最近復活してきた感がある「国民総背番号制」に集約できるだろう。最近のマスコミによると「共通番号制度」とネーミングを変えているが、早く実施して貰いたいものである。世の事情は変わってきて、「住民基本台帳ネットワーク」への参加をしていない市町村は、全国で2市町(東京都国立市、福島県矢祭町)だけになっているそうだ。セキュリティの問題も含めて、これを書き出すと長くなるので、またの機会としたい。

「組織を超え水平方向に状況情報を流し利用できる社会」とは、著者が提唱するuコードの標準化により、IDアーキテクチャにより、組織・応用・システムを超えて情報連携を行なうことだそうである。日本では、情報化が世界でも早かったため、初期に作成されたシステムがそれぞれの分野で幅を効かしている。そのため、「制度の慣性力」が働き、その古いシステム設計のままコンピュータやインターネットを利用しようとしたところから問題が生じている。それを打開する必要があるというのだ。

 いくつかの試みや提案が出ている。「コープさっぽろ」では、全商品にuコードを付ける努力をすでに始めている。お客さんそれぞれに、お買い物カードの中にその人が持っているアレルギーの情報などを入れておいてもらって、それと商品に付いているデータとをuコードを介してチェックし、その人のアレルギー物質がその商品に含まれているかどうかを知らせるという実験もしているという。

 建築物トレーサビリティのための具体的デバイスとして、建築物にuコードを付けるためのRFID(Radio Frequency IDentification「電波による個体識別」の略)入り「建築定礎板」といったものも開発しているそうだ。セキュリティの問題はあるが、その建築定礎板に電子提出された建築図面や設計責任者のリストなどを組付けしておけば、耐寒強度偽装事件のようなことがあっても、すばやく問題の建築物をピックアップできるという。また、火災の時に現場に到着した消防隊が建築定礎板からすばやく図面を呼び出して、救出計画を立てるといったことも可能となる。

 色々と著者に対する批判はあるようだが、日本発のOS「トロン」は、パソコンの世界では撃沈した(撃沈された?)坂村健氏である。一貫して、このような夢を追い続けている姿に、応援をしたくなる気持ちが改めて芽生えてきた。

ユビキタスとは何か
−情報・技術・人間−
坂村健
岩波新書
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014「できそこないの男たち」/福岡伸一(2011年1月30日)

できそこないの男たち/福岡伸一
光文社/光文社新書/20081020初版/\820+税/285頁

 生命の基本仕様は女性である。アダムからイブがつくられたのではなく、イブからアダムがつくられたのである。何もしなければ、生命はメスを形づくる。主要な男性ホルモンであるテストステロンの体内濃度が上昇すると、抗体をつくる能力やナチュラルキラー細胞などの細胞性免疫能力も低下する。さらに、免疫細胞は細胞間のコミュニケーションに欠かせないインターロイキンやインターフェロンγ(ガンマ)といった伝達物質の放出能力が抑制されるなどなど、その結果、程度の差はあれ免疫システム全体の機能が低下する。すなわち、メスが形づくられる状態が抑制された結果、<できそこない>ともいえるオスが生まれるのである。

 アリマキの話がおもしろい。メスのアリマキは誰の助けも借りずに一日に数匹の子どもを産む。子どもはすべてメスであり、親のクローンそのものなのだ。娘はやがて成長し、また誰の助けも借りずに娘を産む。しかも、母の胎内から出た娘は、その時点で、小さいながら立派なアリマキの娘を宿している。まるで入れ子のようになっているのである。

 そして、冬が近づくとアリマキたちは、初めてオスを作る。オスはメスを探して交尾し、精子と卵子が受精して受精卵を作る。メスは受精卵をどこか安全な場所に産む。受精卵は、硬い殻に包まれ、低温、凍結、乾燥などに耐え、次の春を待つ。新しい春を迎えたとき、卵から生まれるのはメスに他ならない。しかし、このような単為生殖のシステムには問題点があった。同じ遺伝子を受け継いでいくため、新しい形質を生み出せないのである。
 生命が誕生してから、10億年の時を経た。その間、地球環境は幾度も大きな転機を迎えている。その気候や気温変化へ対応する多様性は、遺伝子の交換がなければ、生まれないのだ。著者によると「メスたちはこのとき初めてオスを必要とすることになったのだ。つまり、メスは太くて強い縦糸であり、オスは、そのメスの系譜を時々橋渡しする、細い横糸の役割を果たしているに過ぎない」となる。オスはメスの遺伝子を、他の誰かのところに運ぶ「使い走り」にすぎないのだ。

 著者は、理工学部の化学・生命科学科の教授だが、実験実習の最初の時間に、顕微鏡を使って細胞を観察させ、スケッチさせるという。だが、彼らが描く絵は、幼児の絵と見まごうばかりの、糸くずのようにおぼつかない不定形の細い線になる。生まれながら、目が見えなかった人が目を治しても、映像と捕らえることが難しいと聞くが、まさに脳が映像を結んでいるのである。

 興味が沸いたのは、ホルマリン漬けの標本から、顕微鏡で利用するためにスライスした細胞片の作り方だ。ホルマリンから出しただけでは、ごく薄く削ることはできない。最終的には、100%の蝋(パラフィン)溶液に漬けた状態でスライスするのだが、その課程が気の遠くなるような作業だ。まず、10%から100%まで10%ずつ段階的に増したアルコール溶液に徐々に漬け込む。次にアルコールとなじみやすいキシレンを100%まで、10%ずつ段階的に増した溶液に漬け込む。そして同じ段階作業をパラフィンでも繰り返すのだ。それを小刀で削り出すのだが、映像が目に浮かぶ。

 などなど、興味深い話題が、氏独特の秀麗な文章で綴られている逸品といえよう。

できそこないの男たち
福岡伸一
光文社新書
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013「ジーン・ワルツ/海堂尊」に想う医療と建設の世界(2011年1月28日)

ジーン・ワルツ/海堂尊
新潮社/新潮文庫/20100701初版/\476+税/330頁

「チーム・バチスタの栄光」で一躍、脚光を浴び、矢継ぎ早の連作を発表し続けている海堂ワールドの一場面である。ジーン(gene)とは遺伝子のことらしい。ネーミングも冴えている。今回は、不妊治療と代理出産を大きなテーマとして、「冷徹な魔女(クール・ウィッチ)」と呼ばれる帝華大学(ほとんど東京大学に聞こえる)の助教であり、女性産婦人科医が主人公の物語である。

 主人公がかなり強烈な個性を持っていることと、海堂ワールドにしては説明が多く、いつものように読み流すことは辛かったが、厚生労働省に対する批判のボルテージもより高く、問題意識をかき立てられる本であった。さすがといわざるを得ない。

  本書によると、厚生労働省による大学病院改革の本当の狙いは、医療制度の改革の旗印のもとに、大学医学部の医局の閉鎖性を打ち破ることにあった。それが、「新医師臨床研修制度」の導入だった。それは、大学病院などの特定の病院だけが可能であった医師研修を、一般の民間病院においても可能としたのだ。人材補給を絶たれた大学病院医局は、シス
テム維持のために、地域医療を支えていた大学医学部が派遣していた中堅医師を大学に呼び戻す。こうして地方医療の現場は人材を失う。その結果、地方の医療崩壊を生むこととなった。それも米国の医療制度の中途半端な移植だったというから、恐ろしい話だ。

 主人公が語る次の言葉が気になった。
「みなさんもご存じの通り、今、産婦人科医療は崩壊寸前まで追い込まれています。それは産婦人科が抱える特異な問題のせいです。赤ちゃんが普通に産まれるのは当然と考える患者さん、そういかなかった時に医療を訴えるように焚(た)き付ける弁護士の方たち、そうした体制を誘導しておきながら、個々の問題をあたかも部外者のような顔で糾弾する担当省庁の役人たち。そうした方々に対するささやかな反撃です」

 まるで建設業界と同じではないか。構造計算の偽装を擁護するつもりはまったくないが、それ以外の状況は、まさにうり二つの状況といえる。建物が完璧に寸分の狂いもなく建てられるのが当然と考えるクレーマー、問題が起きたときに裁判を起こすように焚きつける弁護士、法律を厳しくするだけで部外者のような顔で糾弾する担当省庁の役人。これにマスコミが出てくれば、勢揃いといえるだろう。

ジーン・ワルツ
海堂尊著
新潮文庫
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012 NECの凋落とPC−100の運命(2011年1月23日)


 2011年1月21日の新聞報道に驚いた。NECが中国のパソコン最大手のレノボ・グループと合弁を組む提携交渉をしているとのことである。事業の切り離しも検討していたと報道には出ている。新聞報道なので、多少割り引いて考える必要はあるかもしれない。

 それにしても、隔世の感がある。80年代には、「PC−9800シリーズ」で、国内パソコン市場を制覇していた、あのNECである。現在でもパソコン販売台数では国内首位とのことだが、2009年には海外から撤退している。ちなみに国内シェアは、2009年度には18.3%、世界シェアは2009年度で0.9%で世界12位。

 我が家でも、サブノートで利用していた98ノートが数台、部屋の隅に積んであるが、滅多に火が入ることはない。メインのマシンは、TWOTOPの特価品であり、ノートはDELLになっている。机の脇にあるサブマシンも富士通だ。しかし、大事に保管してあるNECのマシンが別にある。「幻の名機」といわれたNECのPC−100という機種である。専用CRTと本体合わせて、80万もしたマシンである。CPUが7Mhzだったが、8MhzのV30に乗せ換えて使っていた。現在のマシン能力の単位とは、3桁も違うことになるが、10数年は、現役で働いていた愛機である。実は、これが3台も鎮座しているのである。オリジナルには無かった、HDDを接続している改造機が2台含まれている。

 この機種の逸話が面白い。京セラ創業者の稲森和夫(現、JAL会長)氏とアスキー創業者の西和彦(現、学校法人須磨学園学園長、尚美学園大学大学院教授)氏が飛行機で隣り合わせに乗った縁で生まれたというのである。事実、OEMとして京セラで開発されたと聞いている。更新はされていないようだが、こんなホームページもある。(http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/3228/computer/pc100.html)
 私は、この機種でMS−DOSを覚えた。世は、BASICの全盛時代である。また、一太郎の前身であるJS−WORDもバンドルされていたし、EXCELの前身であるマルチプランもバンドルされていた。しかも最も特徴的なのが、マウスが標準で付いていたのである。1983年6月、世界に先駆けて、マイクロソフトマウス(アルプス電気製/もちろん日本製)が発売され、同年10月に発売されたPC−100にも搭載されたのである。その後のWINDOWSとマウスの歴史は、ご存じの通りである。しかし、PC−100は、アップルのLISAや同じステーブ・ジョブズがアップルを追い出された時に別会社で開発したNEXTと同様の運命を辿った。

 如何に前駆的な技術であろうとも、世界的なシェアを抑えない限り、埋もれていく好例であろう。こんな話がある。<2001年7月7日の朝日新聞の元NECの関本忠弘(故人)氏の記事から>

 80年代にNECが半導体市場で世界1位のシェアだったとき、前述のV30を初めとしてCPU(MPU)を開発していた。それを米国で売ろうとしたら、特許侵害で訴えられたのである。2年たって出た答えはシロだったが、時すでに遅し。ほとんど売れなかった。米国は、国を挙げてアタックしてきたのである。

 シェアが一位だけでもダメなのである。国を挙げて、交渉力を付けなければならないのである。まだ何も見えていないTPPという幻想を後追いするのではなく、FTAによる二国間交渉力を付けなければならないと再認識した次第である。

※TPP(環太平洋パートナーシップ:Trans‐Pacific Partnership)に参加を表明している国は、2010年の10月現在、オーストラリア、ブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポール、ペルー、米国、ベトナム、マレーシアの9カ国程度しかない。

朝日新聞/朝刊
(2011年1月21日)

幻の名機
NECのPC−100
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011「ロハスの思考」/福岡伸一(2010年12月27日)

ロハスの思考/福岡伸一/木楽舎
ソトコト新書01/20060520初版/\762+税/253頁

私たち生命系は、機械論的に成り立っているというよりは、動的な平衡状態として絶え間のない流れの中にある」と著者は説く。組み換え作物と品種改良が同じだとする考え方があるが、著者は、そこには「時間」の観念が抜け落ちているという。急いでを組み換えたものは「平衡」からはずれ、そのズレを取り戻すために、自然は「揺り戻し」を起こすのだ。

 BSE(狂牛病)は、幼牛を迅速かつ効率よく肥育するために骨肉粉などの飼料を使うことによって発生した「揺り戻し」の一例だ。それは、草食動物に共食いを強制して、肉食動物に変えたことにより、「平衡」から外れてしまったともいえる。また、石油を節約するために飼料加工工程を変えて、加熱が不十分となり感染性が残存したことも大きいと著者はいう。さらに、汚染飼料を国内で禁止しながら、輸出を野放しにした国が、本には明確に出ていないが、イギリスである。イギリス国内では使用が禁止された骨肉粉は、大量に米国に輸出されたのである。もちろん日本にも入ってきていた。

 米国には1億頭もの牛がいて、毎年3500万頭規模の処理が行われているが、狂牛病検査の対象となるのはごくわずかの牛、それも主に病気が疑われるもののみだそうである。日本に全頭検査の見直しを迫る一方で、米国は自国の狂牛病への安全対策を強化しようとはしない。2003年暮れ、米国で第1例が見つかったのち、複数の「疑い例」が発見された。しかし、その後、これらは偽陽性とされ、疑いはシロとなった。
 米国では一次スクリーニング(迅速検査)で陽性であっても、免疫組織化学検査(IHC)で陰性ならば、狂牛病ではないと結論して、リンタングステン酸添加による濃縮を利用するウェスタンブロット法など他の方法でダブルチェックはしないそうだ。筆者によれば、IHCは感度が低いという。事実は、グレーなのである。見方を変えると、米国では狂牛病の影響が深く浸透している恐れがある。

 英国では若い牛での陽性例は極めて稀であるのに対し、日本では20例中、すでに2例が若い牛で、しかもこの牛が感染したのは、肉骨粉禁止が実施された以降のことなのだそうだ。つまり日本の狂牛病禍の構造は、感染源、感染ルートともに、英国とは異なっている可能性がある。要するに、日本の狂牛病の原因が特定できていないのである。

 狂牛病の人への影響の理論には、まだ確立されたものはない。ウィルス説もある。人の発症例が少ないことにより、心配するには当たらないとの極論もある。極論を唱える人には、せいぜいたくさんの米国産牛肉を食べて貰いたいものである。しかし、発症例が少ないことと今後の展開は異なる。アルツハイマーの原因の一つにまで広げる考え方もある。米国では、若年のアルツハイマーが多いとの情報もある。小さな因果を摘み取る努力をしなければ、大きな結果を生み出すことはできないだろう。それは、狂牛病に限らない話である。

 著者によると。私たちの食べ物はどんなものであっても、もともとは他の生物の一部であったものだ。したがって、そこには他の生物の身体を構成していた「情報」が残されている。このような「情報」が直接、私たちの身体に侵入してくると、「情報」の干渉や混乱が起こることになる。そこで私たちは消化システムによって、他の生物が持っていた「情報」を完全に解体してから身体に吸収するようにしている。
 また、私たちはカロリー源だけでは生きていくことができない。必ず、タンパク質を食べ続けなければならない。タンパク質にあって、炭水化物や脂質には含まれていないものは、「窒素」という元素である。ヒトを含むすべての生物は、カロリー源、つまり炭素と酸素と水素からなる食料の他に、かならず「窒素」を含む食料、すわなちタンパク質を必要とする。食べ物をカロリーベースの熱量だけから捉える考え方は、一面的すぎるのである。では「窒素」は私たちの身体の中で何を行っているのだろうか。それは「情報」の構築に使われているのである。

 グルメの話も出てくる。グルメを自任する人々は例外なく酒好きであり、特にワインを好む。ワインには100ミリリットルあたり100ミリグラム以上のカリウム塩が含まれており、ワイン通の舌はこの塩濃度に麻痺している。彼らグルメは、しっかりした味、つまり塩濃度の高い料理でないともの足りないと感じる。だから、ワインとともにおいしいものをさんざん食べ慣れたヒトが、オレが本物を教えてやる、と言い出してもそれは「食育」とはならないと筆者は言う。

 後半には、雑誌「ソトコト」等に掲載された複数の対談が出てくる。その中で、レスター・ブラウンが中国について語る内容が注目に値する。
 中国は、一人っ子政策にもかかわらず人口は増大し続けているため、食糧需要は指数関数的に上昇するだろう。その結果、中国が穀物輸入大国になり、世界の輸出穀物の供給は計り知れないプレッシャーを受け、穀物の市場価格に多大な影響を与えるようになる。
 日本や米国などの富裕国は食物の価格上昇を何とか吸収できるだろうが、人口問題を抱える数多くの途上国は輸入穀物の価格上昇に耐え得ることができないだろう。

 市場原理だけで、その国の農畜産業政策を決めるべきでないことは、明白であろう。食糧自給率の問題だけではなく、安全な食糧を如何に供給・確保すべきか、その基点に立って考えるべきである。それは、国を守ることと同義語である。最後に、著者がロハスについて語る。

ロハスなこと、とは。
1 動的平衡を乱さないこと
2 エントロピーをいたずらにふやさないこと
3 エネルギーの収支を考えること
4 元素の循環を阻害しないこと
5 光と緑を大切にすること

ロハスなもの、とは。
1 形だけでなくプロセスが見えるもの
2 適正手続きが確保されたもの
3 価格の理由が説明できるもの
4 安全・安心が価値に含まれるもの
5 組成、素材がわかるもの

ロハスなひと、とは。
1 時の流れに抗わないひと(アンチ・アンチエンジング)
2 急がない・急がせないひと(加速しないひと)
3 サプリメントなんていらないと思えるひと
4 牛肉は地球に負荷をかけていると思えるひと
5 一番大切なのは納得だと思えるひと

ロハスの思考
福岡伸一
ソトコト新書
木楽舎
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010 再び、TPPについて考える(2010年12月5日)

 TPPについて、明快な記事を目にした。朝日新聞2010年12月3日の記事だ。書いたのは、同新聞、ニューデリー支局の高野弦(ゆずる)氏。氏の論点を箇条書きにしてみると

 1)現状では、各国の意見対立の溝が深く、驚異とみるには
   早すぎる
   ・米国は、自国農民の反発が強い砂糖の自由化は認め
    ない(オーストラリアなどの砂糖の輸出国は反発)
   ・米国は、自ら締結してきた、自国に都合の良い二国間
    のFTA(自由貿易協定)をTPP規約に当てはめようとし
    ている
   ・オーストラリアはゼロからTPPを作り上げようとしている
   ・ニュージーランド、シンガポール、チリ、ブルネイは、こ
    の4カ国間によるTPP(P4)をそのまま拡大したい

 2)誰も日本に開国を迫っていない
   ・米国が狙いを定めているのは、ベトナムなどの経済成
    長が著しい新興国
   ・日本にとってTPPに加わるかどうかは、外圧ではなく、
    あくまで主体的な選択の問題なのだ

 3)2006年に発効したP4だが、中核のシンガポールとニュ
   ージーランドはともに人口400万強の小国で、かたや商
   工業国、かたや農業国で補完的な関係にある

 4)日本政府内では、コメの関税が撤廃されたり、韓国に後
   れをとったりする事を前提に、さまざまな試算が出され、
   議論されているが、現状を考えると、どれくらいの意味が
   あるのだろうか

 5)大切なのは戦々恐々とせず、守るものは守り、得るもの
は得るという、したたかな外交戦略を今から練っておくことだ

 以上、実に明快だ。「参加をしなければ遅れをとる」という発想から、外交戦略もなしに、なし崩し的にアメリカに押し込められてしまう。もう、このパターンは、止めようではないか。国は、輸出産業ばかりで成り立っている訳ではない。先日、ラジオを聞いていたら、勝間和代が、TPPの話題のなかで、日本の「米」は<純粋に>高すぎる、国際価格からみると20〜30円/個でオニギリが買えるようになると言っていた。20円でオニギリを買いたいと思う人がどれだけいるのだろうか? 大事なことは、市場を無制限に開放することではなく、市場を、そして国を守るということではないだろうか? もう市場原理主義者という、アメリカ追従思想から逃れるべき時が来ていると思う。

 今朝(2010年12月5日)の朝日新聞に、米韓FTA(自由貿易協定)が合意に達したとの記事が出ていた。「日本が出遅れた」「TPPで逆転」といった論調に感じられた。同じ新聞とは思えない書き出しだ。しかし記事を良くみると、このFTAには、それとは別な視点があることも伝えている。

  ・韓国は、互いの事情を配慮しあえる「二国間」に徹底して
   こだわってきた
  ・「米」を市場開放の例外にした
  ・米産牛肉の輸入規制で韓国側の主張が勝った

 韓国は、しっかりとFTAをやっているのである。何故、日本がFTAにより、自国に有益な交渉ができないのかが理解できない。まさに、できないこと(TPP)を掲げて、何もできない理由にしようとしているのではないか。政府・官庁・そしてマスコミもまことに無責任と言わざるを得ない。

2010年12月3日の朝日新聞
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009「眼の誕生」/カンブリア紀大進化の謎を解く/アンドリュー・パーカー(2010年12月3日)

眼の誕生/カンブリア紀大進化の謎を解く
アンドリュー・パーカー/渡辺政隆・今西康子訳/草思社
20060303第1刷/\2,200+税/382頁

 五億四三〇〇万年前から四億九〇〇〇万年前の地層から最初に化石が見つかったのは、英国ウェールズのカンブリア山地においてだった。そこでこの時代は「カンブリア紀」と呼ばれることになった。五億四三〇〇万年前よりも古い時代は先カンブリア時代と呼ばれている。地球誕生から、地球上には、これまでに38の動物門が進化している。「カンブリア紀の爆発」とは、五億四三〇〇万年前からのわずか五〇〇万年間に、それまで3つしかなかった動物門が突如として38の動物門になるという、すべての動物門が複雑な外部形態をもつにいたった進化上の大事変のことである。

 個々の動物門の初期の構成種は、カンブリア紀になるまで硬い殻を獲得しておらず、したがってそれぞれに特徴的な外部形態も獲得していなかった。しかし著者のいう「光スィッチ」がオンになり、「眼が誕生」したことにより、捕食者と非捕食者の関係が始り、身を守るため、外部形態の変化が爆発的に起きたというのである。眼をそなえた最初の動物は、三葉虫だった。その三葉虫は、捕食動物でもあった

「開眼」により、世界は一変する。離れたところからでも、食物を見つけられる。眼が誕生していない先カンブリア時代には、化学物質を出したり、音をたてたりさえしなければ、相手にぶつかりでもしないかぎり、捕食者を避けることができた。ところがカンブリア紀に入ると、生きものたちはライトアップ
されてしまった。照明のスイッチがオンになったというのだ。

 本全体が余り論理的な構成ではない。タイトルがすべてを物語っている。一見、可能性を広げて、論理的に結論を導き出そうとしているが、いつも直ぐに結論だけが出てくる。訳文も余り良くないような気がする。もっとも原本に問題があるとすれば、訳者を責めるわけにはいかない。100ページくらいにまとめてあれば、良い本だったかもしれない。この手の本は、読み進めるとその時は、なるほどと思わせられることが多い。しかし、この本に限っては、読み始めの納得感が読み進めるに従って、不信感に変わってきた。

 先カンブリア紀の末期に、「有性生物」が現れたことが、カンブリア紀の進化の爆発の原因とする説もある。「有性生物」の誕生により、各種器官の発達が促されたという理論だ。「鶏と卵」の問題に近いのかも知れないが、「何か」をきっかけとして、「視覚・聴覚・触覚など」が発達したという説明は説得力がある。私は、「性」の誕生は、もっと遙か以前だと思っていたが、カンブリア紀直前が「性の誕生」だったとするならば、あまりにも良く出来た話ではないだろうか? いずれにしても、「眼の誕生」は、一つの「結果」であって、「原因」たり得ないともいえる。それが、「性」なのか、若しくは別な「何か」なのか、あるいはやはり「眼」なのか、今後の展開が楽しみである。

 本のタイトルに引かれ、非常に興味を持って読んだが、その本の内容により、むしろ反対する理論の正当性を裏付ける結果となった本である。

「眼の誕生」
カンブリア紀大進化の謎を解く
アンドリュー・パーカー
渡辺政隆・今西康子訳
草思社
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008「人類の足跡10万年全史」/スティーヴン・オッペンハイマー(2010年11月26日)

人類の足跡10万年全史/スティーヴン・オッペンハイマー
仲村明子訳(なかむらあきこ)/草思社
20070907第1刷/\2,400+税/413頁

 一九八七年にネイチャー誌に発表された、レペッカ・キャンらによる「ミトコンドリア・イヴ説」は、約二〇万年前にアフリカに生息していた一人の女性が現生人類の共通祖先であると、各界に大きな衝撃を与えた。しかし、この系統図には、いくつかの問題が指摘され、必ずしもアフリカ起源とは結論付けられないことがわかった。がしかし、その後の研究展開によって当初の結論自体は大きくは、覆ってはいない。

 男性は母親のミトコンドリアDNAを受け取り使用するが、それを子孫に伝えることはできない。常に母親からだけ、ミトコンドリアDNAを受け継ぐ。それをたどれば母親から母親へと、世代をさかのぼっていくことができる。最終的には、およそ二〇万年前のたった一人の母親までたどることができるという理論がイブ仮説だった。

 ミトコンドリアDNAのように、核のなかには男系のみに伝えられる一セットの遺伝子がある。これがY染色体で、男になることを決定する染色体である。ミトコンドリアDNAと同様、Y染色体の組み換えがおこなわれない部分(NRY)は、男系の始祖までとぎれずにたどっていける。これまでにY染色体を利用して描いた遺伝的な足跡は、主要な地理的分岐点でミトコンドリアDNAの語る物語を裏づけているという。

 このことはわたしたちの遺伝子すべてが一人の女性から由来していることを意味しない。それぞれの細胞核には、何万もの遺伝子があり、そのどれを標識システムとして使ってもひとつの共通祖先まで遺伝子系統をたどることができる。実際のところ、現生人類が受け継いでいる遺伝子は、一九万年前ごろ生きていた二〇〇〇〜一万人のアフリカ人を核とする集団に由来すると筆者は語る。

 多くのヨーロッパの考古学や人類学の権威が、ヨーロッパ人は北からアフリカを出て独自に広がったと論じている。わずか五万年ほど前にヨーロッパへ入ってきたにすぎないクロマニヨン人から、完全に知的な意味での「現生人類」が始まったというヨーロッパ人の確信の根強さもある。ヨーロッパ中心主義から離れられないのであろう。もっとも、世界の始まりが約6000年前だと信じている宗教家も数多くいるが。。。

 アフリカから出た最初の人類は、サハラとシナイを通ってその他の世界へ進出した。この通路は、ふだんは極度に乾燥した砂漠だが、地球の軌道と極軸の傾きの変動により、短い温暖期が生じたときにだけ開くという。それは、およそ一〇万年ごとに起こるといわれている。したがって、サハラ以南のヨーロッパ人の祖先が、四万五〇〇〇年から五万年前にサハラ以南から直接やってくるなどということは、ナイル川をずっと丸太に乗って漂よってでもこないかぎり無理で、遺伝的なシナリオはそれを否定している。

 現生人類は、ヨーロッパへやってくるはるか以前に、アジアとオーストラリアに移住していた。ヨーロッパに上部旧石器時代の証拠がふんだんにあるのは、人々がヨーロッパでそれを一所懸命に捜したからだ。アフリカで、より早期の芸術の証拠を見つけるのが困難なのは、時間、保存状態、個々の洞窟のタイプにも関係している。絵はおしなべて消滅しやすく、古い時代に露出した表面に描かれたものは残らなかったのだろう。

 解剖学的な現生人類は少なくとも一三万年前から存在してきたが、おそらく初めの一〇万年ほどは、その大半がネアンデルタール人と同じレベルの道具をつくり、使っていた。一般的には中部旧石器技術と呼ばれ、おそらく二〇万年以上前に、現生人類とネアンデルタール人の共通の祖先と思われるアフリカのホモ・ヘルメイによって発明された。
 ヨーロッパ人の最早期のものは、五万一〇〇〇年前に肥沃な三日月地帯を通り入ってきた。もう一つのルートは、インダス川からカシミール、さらに中央アジアへ北上して、そこでおそらく四万年以上前に、狩猟者たちは初めてマンモスのように大きな獲物を倒しはじめてヨーロッパへ入ってきた。即ち、ヨーロッパへの現生人類の進出は、二つの時期とルートがあった。

 一九九〇年代までは、四万年前より前にオーストラリアやニューギニアに人が存在したはっきりとした証拠はなかった。これは放射性炭素年代測定法の限界によるところが大きかった。その後、新しい年代測定法が使われはじめた。その一つ、シリカのルミネッセンス年代測定法により、研究者は四万年という放射性炭素年代測定法の限界の先までさぐることができるようになった。そのようないきさつから、オーストラリアに人が居住したもっとも古い年代は、およそ六万年前の可能性が高い。ヨーロッパより古いのである。

 遺伝子の証拠と、いくつかの画期的な考古学的年代から推測すると、アフリカを最初に出ることを成功したのは、八万五〇〇〇年前、アフリカから南ルートで出て、七万四〇〇〇年前までにマレー半島に、六万五〇〇〇年前までにオーストラリアに到着した可能性があると著者は語る。

「ネオテニー説」というものがある。古生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールドによって立てられた仮説で、それによるとモンゴロイドの一連の解剖学的変化は、幼態あるいは子供の体型が成熟しても維持される幼形成熟(ネオテニー)という現象によって説明されるという。要するに、モンゴロイドは未発達な幼態が遺伝した結果だというのである。著者はこの説を否定していない。著者の説明が少し不足していたが、L・ボルクは、「人類ネオテニー説」を提唱した。チンパンジーの幼形が人類と似ている点が多いため、ヒトはチンパンジーのネオテニーだという説が元になっている。

 早期の海岸採集民がインド−太平洋沿岸をめぐる旅のさまざまな時点で次々に分裂して、四万年前にはアジアとオーストラリアの大半を殖民していた。最初の内陸への分枝はインドから北へ行き、中央アジアのステップに上部旧石器文化の狩猟民をもたらし、また後の分枝は東南アジアの大河をさかのぼり、やがて現在わたしたちがモンゴロイドと呼ぶ集団になった。

 中国と太平洋岸にも、モンゴロイドの到着以前から残存する、ジャングルではなく海によって孤立している先住集団を見ることができる。その一つが北日本のアイヌ人だ。アイヌは一万二五〇〇年前に世界でもっとも早期に壷をつくった日本の縄文人の子孫だ。のちに韓国経由で大陸からモンゴロイド(弥生人)が移入し、もとの集団に取って代わられたため、現代のアイヌ人はかなりの頻度で混血されている。沖縄で見つかった先史時代の縄文人、港川人(一万六六〇〇〜一万八二五〇年前と推定される)が、現代アイヌ人と類似していることから、彼らは連続した系統の子孫であることが十分に考えられると著者はいう。ところが最近の検証で、港川人は、縄文人とは異なるオーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いという説が日本で発表されている。本を書いた時点では、著者は知らなかったと思われる。

 2010年10月26日、中国南部で約10万年前の現生人類の化石人骨(あごの骨)が見つかったというニュースが流れたが、事実とすると、現生人類の発生は、さらにさかのぼることになる。もしくは、違うルートがあることになる。今後の調査が楽しみである。総じて、良く網羅されている本だと思う。読みやすく、添付の人類の足跡図は、非常に興味深い。お勧めの逸品である。

「人類の足跡    10万年全史」
スティーブン・オッペンハイマー
仲村明子訳
草思社

「人類の足跡」地図
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007「銃・病原菌・鉄」/一万三千年にわたる人類史の謎/ジャレド・ダイアモンド(2010年11月20日)

銃・病原菌・鉄/一万三千年にわたる人類史の謎
ジャレド・ダイアモンド/倉骨彰訳/草思社
(上巻)2000/10/02第1刷/\1、900+税/320頁
(下巻)2000/10/02第1刷/\1、900+税/332頁

 朝日新聞が選んだ2000〜2009年「ゼロ年代の50冊」のベストワン。日本語訳も良く整理されており、なかなか面白いが、繰り返しが多く、冗長さが気になる。大体、三分の一の長さで良いのではないか。タイトルが「銃・病原菌・鉄」だが、著者の意図はここに余り捕らわれていない。それと非常に慎重な言い回しが多く、時々、どうなんだと思ってしまう。逆にいえば、諸説を網羅していることが、知識を得る本としては良いかな。

 著者による要約は、「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」ということである。これが著者の結論である。要するに、人類の発達に差異がでたのは、たまたま置かれた環境によるものであり、白人の優越性などはないということである。

 著者は、ミトコンドリアDNAによる現生人類のアフリカ起源説には、慎重なようだが、言語学者ジョゼフ・グリーンハーグの分類による、アフリカ大陸での言語発生説の可能性は否定していない。そして、各大陸への人類の進出を語る。

 四万年前に、オーストラリア先住民たちは、ヨーロッパやその他の大陸の居住民たちを、大きく一歩リードしていた。現在知られている最古の磨製石器や石斧(せきふ)、そして舟も作っていた。しかし、その後は彼らは停滞している。

 オーストラリア・ニューギニアの大型動物は、突然、発達した狩猟技術を持つ現生人類によって侵略されるという不幸に見舞われたため、初期人類によって殺戮されてしまった(あくまでも著者はそうだとは言っていない。そういう説を紹介している)。同様なことがベーリング海を渡ってきたアジア人によって、南北アメリカ大陸でも起きている。その結果、重要な大型家畜の野生祖先種が世界じゅうに一様に分布することはなく、大陸ごとに偏って分布していたため、動物を媒介とする疫病への耐性能力の差が発生する原因となった。

 大型動物がいなくなった大陸では、家畜化も始まらなかったし、農業に適した環境もできなかった。そして社会も発展しなかったし、文字も使われなかった。しかも、社会の発達伝播も一様でないのは、アフリカ大陸と南北アメリカ大陸では、南北に長いため、気候、生態系、降雨量、日照時間の差が大きく、ある地域で栽培化された農作物や、家畜化された動物といえども、他の地域に拡散することは非常にむずかしかった。これに対してユーラシア大陸では、数千マイル離れていても、同じ緯度に位置して気候も似ており、日照時間も同じであった地域のあいだでは、農作物や家畜がやすやすと伝播できた。

 この一万年間において、社会の発達がもっとも遅れていたのがヨーロッパであり、ヨーロッパの社会は、技術を提供する側ではなく、地中海地方東部や肥沃三日月地帯や中国の進んだ技術を受け容れる側にあった。この時代、技術において
世界をリードしていたのは、肥沃三日月地帯と同じぐらい早い時期に食料生産を開始していた中国だった。

 中国は、初めの一歩を早く踏みだしていた。鋳鉄、磁針、火薬、製紙技術、印刷術といった様々な技術を誕生させていた。コロンブスに先立つ、「鄭和(ていわ)の大航海」も出てくる。しかし、中国は突然、政治的争いにより、思考停止に陥ってしまう。技術を後退させていくのである。国の統一が余りにも早く成し遂げられていた弊害も著者は説いている。先年の「文化大革命」による教育弾圧にも著者は触れている。外洋航海を最初におこなったのは、中国系農耕民の子孫たちだった。彼らは三六〇〇年前頃にニューギニア海域の島々から東方に拡散しはじめ、太平洋城の最東端の島々にまで到達して現代ポリネシア人の祖先となったのである。

 ところがヨーロッパは、統一はおろか国と国の争いが絶えなかった。それが利するのである。大航海時代、コロンブスは国を渡り歩き、5つめの国であるスペイン王に願いが叶えられ探検船団の派遣が認められた。それが、アメリカ大陸にたどり着き、ユーロシア大陸に住む人だけに耐性があった疫病を蔓延させる原因となるのである。

 最後に著者は、ヒットラーのエピソードに触れている。一九四四年のヒトラー暗殺計画では、会議テーブルの下に仕掛けられたブリーフケース内の時限爆弾が爆発して、ヒトラーが負傷した。もし、そのブリーフケースがヒトラーの席のもう少し近くに仕掛けられていたら、彼は殺されていたかもしれない。そのときにヒトラーが死亡し、第二次世界大戦が終結していたら、戦後の東ヨーロッパの情勢も冷戦のありかたも大きく異なっていた可能性がある。同様に、ヒットラーの自動車事故についても触れている。要するに、ちょっとした事件の結果によって、歴史は変わるというのである。最後に書きすぎてしまい、漏れてしまった感がある。

 その他、「現存している世界の六〇〇〇種の言語のうち、一〇〇〇種はニューギニアでしか使われていない」
とか、「研磨加工を施し、刃先の長い石器を最初に作ったのは日本人だった」、などが出てくる。「石器捏造事件」を思い出せば、かなり危ない話だが、「世界で最初に土器を発明したのも日本の狩猟採集民だった。それはヨーロッパで土器が見られるようになる五〇〇〇年前、南北アメリカ大陸で見られるようになる九〇〇〇年も前のことである。」は、事実である。正確には、現在、世界で発見されている土器で確認されている最古のものは、日本なのである。中国は例により、こちらの方が古いと言っているが、認知されていない。ただ、日本の学者もいずれは中国で発見されるだろうと思っている人が多いのではないだろうか。

「日本語を表記するのにまったく向いてない漢字を、日本人が使いつづけている」とか「日本人が、効率のよいアルファベットやカナ文字でなく、書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである。」
と出てくる下りには、お節介なとも思ったが、とにかく広範囲に書いている。逆に言えば、読後感に説得力を余り感じないが、まあ、読んで損はない本であろう。

「銃・病原菌・鉄」
(上巻)
ジャレド・ダイヤモンド
倉骨彰訳
草思社

「銃・病原菌・鉄」
(下巻)
ジャレド・ダイヤモンド
倉骨彰訳
草思社
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006 TPPについて考える(2010年11月9日)

 TPP/環太平洋戦略的経済連携協定(TPP:Trans-Pacific Partnership、またはTrans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)なる言葉がマスコミに突然現れるようになった。論調は、日本もすぐに「参加すべき」といった風潮である。マスコミも余り非難しない。これを批准することで、域内の関税がゼロとなり、交易を活発化させるとのことらしい。単純に考えると、関税がゼロになるわけだから、輸出がし易くなり、輸入も入り易くなることになる。

 輸出を主体とする業種は有利になるが、輸入を主体とする業種は大打撃を受けるわけである。日本は輸出大国だから、総体的には良いことだということらしい。車や家電のエコポイントで大きく業績を上げたメーカーは、当然、諸手を上げて賛成するだろう。大きく打撃を受けるのが農畜産業界だと言われている。途中からTPPに参加してきたアメリカの目的は、「米」や「牛肉」の自由化だ言われると、非常に判りやすい。アメリカの本当の狙いは、郵便貯金だという凄い説まで現れてくる始末である。もっとも以前にも「著作権法」で書いたが、アメリカがそこまでやってくることに不思議感はない。

 今回のアメリカの選挙を見れば、一目瞭然だろう。「茶会」なるものが人気を博すのがアメリカの現実なのである。別に、オバマ大統領を応援するつもりもないが、「医療改革」や「富裕層の減税停止」に反対するのがアメリカなのである。富裕層とは25万ドル(約2千万円/年)以上の豊かな階層をさしている。さらに経営層である超富裕層の年収を考えると、常軌を逸していると私は考えるが、そう思わないのがアメリカなのである。10億近い年収を外国人経営者に払う国内メーカーがあったが、不思議と思わないのが、私は不思議に思う。私は、あのメーカーの製品は絶対に買わない。

 中国に対抗するために、TPPに参加するべきだという論調もある。それこそがまさにアメリカの思うつぼだろう。決して、今の中国と仲良くすべきだということではない。中国が恐れる
からと言うことだけで、その反対をやる「愚」をやるべきではないということである。

 日本はまだまだ、地域内の自由貿易協定である、FTA/関税の自由貿易協定(FTA:Free Trade Agreement)※(1)やEPA/経済連携協定(EPA:Economic Partnership Agreement)※(2)でTPPの将来を見ながら、有利なカードを探ることで交渉していくべきである。今回の「尖閣諸島沖の中国漁船衝突」でも、カードであった「ビデオ」が流出してしまうという悲しい事件が発生したが、カードを切るタイミングが大事なのである。「ビデオ」は結局、カードではなく、「事件」になってしまった。

 TPPのルールは、まだ定まっていないから、これからだという大臣の意見もあるようだが、見通しもなく、気がついたら勝負が決まっていたことが、今までの現実ではないだろうか。一部のローカルな輸出メーカーだけを助ける政治をやってはいけない。そのメーカーを助けたことによって、日本の経済がどれだけ良くなっただろうか。では、もっと農畜産を保護すべきと言う論理で、お金を使うほど日本の財力は豊かではない。円が高くなったことを、より有利に使うことを考える方が肝要である。(2009年11月8日)

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※(1) FTA(自由貿易協定)とは、物品の関税及びその他の制限的通商規則やサービス貿易の障壁等の撤廃を内容とするGATT(関税及び貿易に関する一般協定)第24条及びGATS(サービス貿易に関する一般協定)第5条にて定義される協定。
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※(2) EPA(経済連携協定)とは、FTAの要素を含みつつ、締約国間で経済取引の円滑化、経済制度の調和、協力の促進等市場制度や経済活動の一体化のための取組も含む対象分野の幅広い協定。
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2010年11月7日の朝日新聞
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005「日本語が亡びるとき」−英語の世紀の中で−/水村美苗(2010年10月1日)

日本語が亡びるとき −英語の世紀の中で−
水村美苗/筑摩書房/20081031初版/\1,800+税/330頁

 楽天やユニクロが社内の標準語を英語にすると聞いたが、可哀想なのは英語が余り得意ではない社員だろう。楽天は、幾度かインターネットで本を頼んだが、「自動的」に注文を受けた後、「在庫がありません」と返ってくる確率が高い。直ぐに売り切れるほど売れているのか、在庫管理が甘いのか判らないが、そのうち英語でしか注文を受けなくなるのだろうか?

 2010年6月26日の朝日新聞で、前日本語学会会長の野村雅昭氏の「常用漢字を増やすな 日本語が亡びる」の記事を見た。
「音声言語を豊かにする努力をはじめから怠り、安易に書き言葉の漢字に頼る風潮が、むしろ日本語をまずしくしてきた」
「日本語が生き残るためには、外国人が学び、使いやすいように、漢字を減らす必要がある」
「日本語を守るためにこそ、漢字を制限すべき」
といった記述だった。こんな人が日本語学会の会長をやっていたのかと驚き、悲しくなった次第である。『怪しい』と『妖しい』の違いに意味を感じないそうだが、書き分けることが日本語を貧しくするという理由が、私には理解できない。漢字に含まれる趣が無くなることの方が恐ろしい。但し、難解な漢字や旧仮名遣いを多用する文章には、私も閉口してしまう。とはいえ、外国人が学びやすい日本語の基準などを作られてもたまらない。こんな人が日本語学会の会長ならば、間違いなく日本語は「亡んでしまう」。

 さて、本論である。夏目漱石の未完の遺作「明暗」の続編を書いた水村美苗の話題の本である。「續明暗」を出版したのが1990年、「日本語の亡びるとき」を出版したのが2008年。漱石の続編を書くという誰もがなし得なかった(アイデアは多々あったが)偉業には、尊敬の念を禁じ得ない。

 まず筆者は、<普遍語><現地語><国語>という三つの概念を区別している。作中から引用すると、

 <普遍語>とは、<書き言葉>と<話し言葉>のちがいをもっとも本質的に表すものであり、<話し言葉>は発せられたとたんに、その場で空中にあとかたなく消えてしまう。それに対して、<書き言葉>は残っていく。<書き言葉>により、自分なりの解釈を書き足すこともできるのであり、長年にわたる人類の叡智が、蓄積されつつ、大きく広く拡がっていったものが<普遍語>である。この世でもっとも純粋な学問だとされる数学は、今や、数学言語という一つの共通した<書き言葉>でなされ、それによって、地球に住むすべての人たちに開かれたものになっている。誰にとっても<母語>ではない数学言語こそ、もっとも純粋な<普遍語>なのである。

『新約聖書』の現存する一番古い<テキスト>は、当時地中海文明の<普遍語>であったギリシャ語で残っているが、『新約聖書』がのちに西ヨーロッパに広がったとき、それは当時西ヨーロッパの<普遍語>だったラテン語訳で広がった。もとはパーリ語やサンスクリットで書かれた「仏典」も、漢文圏の中国や韓国や日本では、<普遍語>の漢文訳で広がった。「聖典」そのものが何語で書かれていようと、その「聖典」は<普遍語>で広がる。

 <現地語>とは、<普遍語>が存在している社会において、人々が巷で使う言葉であり、多くの場合、それらの人々の<母語>である。<現地語>が<書き言葉>をもっているかどうかは、さほど重要なことではない。<現地語>が<書き言葉>をもつようになるのは、<普遍語>を翻訳するという行為を通じてのことである。日本語も例外ではなく、日本語という<現地語>の<書き言葉>は、<普遍語>を翻訳するという行為を通じて創られていった。


 <国語>とは「国民国家の国民が自分たちの言葉だと思っている言葉」である。<国語>とは、もとは<現地語>でしかなかった言葉が、翻訳という行為を通じ、<普遍語>と同じレベルで機能するようになったものである。

 日本に近代文学があるのを可能にした条件は日本に<国語>があったことにあり、日本に<国語>があるのを可能にした条件は日本に大学があったことにあり、日本に大学があるのを可能にした条件は、まさに日本が西洋列強の植民地になる運命を免れたことにあった。


 いきなり読んでも頭にすっきり入らない。文意が判りづらい、そんな本である。冒頭に「IWP」という、多数の国の多数の<国語><現地語>を持つ作家達が集まった長期プログラムの体験談が出てくるが、必要性をあまり感じない内容である。繰り返しも多く、全体の構成が練られていない本と感じた。

 今、世界では、名も知れぬ言葉が、たいへんな勢いで絶滅しつつあるなかで、アメリカに生まれたインターネットを媒体として、世界全域で流通する<普遍語>が生まれた。それが<英語>であることに誰も異論を挟まないであろう。

 では、英語に対して日本はどうすべきか?原理的に考えれば、三つの方針があるという。
 Iは、<国語>を英語にしてしまうこと
 Uは、国民の全員がバイリンガルになるのを目指すこと
 Vは、国民の一部がバイリンガルになるのを目指すこと
そして、作者はVを選択すべきだといっているのである。もっと「日本語」を教育すべきだと提案してのである。すべての日本人がバイリンガルになる必要などない。日本人は何よりもまず日本語ができるようになるべきであり、日本人を日本人たらしめるのは、日本の国家でもなく、日本人の血でもなく、日本語なのである。それも、長い<書き言葉>の伝統をもった日本語なのである。もっと「日本語」を教育すべきと作者は繰り返す。

 学校教育から英語教育をなくすべきだとはいっていない。英語を読む能力の最初のとっかかりは与えるが、インターネットの時代、もっとも必要になるのは、「片言でも通じる喜び」などではなく、世界中で流通する<普遍語>を「読む能力」なのだという。読む能力とは、外国語を聞いたり話したりする能力の一番重要な基礎となるものであり、読めるということは、文法の基本構造がわかっており、単語を数多く知っているということにほかならない。読むことさえできれば、ゆっくり話してもらえれば相手の言うことも何とかわかる。また、自分のほうからも、どんなにひどい発音でも、ある程度は言いたいことを言える。と、アメリカで仏文学を専攻したというバイリンガルに近い、水村氏は考えている。

 かつて私は、参考にすべき文章は「新聞」にあると思っていた。「天声人語」などは、その好例である。限られた文字数で、簡潔に趣旨を表す。その領域が今や揺らいでいる。最近は、新聞を読んでも、文意を逆に取りかねない文章が良く出てくる。句読点の間違いなどの例は枚挙にいとまがない。「日本語力」が落ちているのである。チェック機能も働いていないのである。「国語教育」の重要さは、同感である。

 作者は、最後に、「日本の国語教育はまずは日本近代文学を読み継がせるのに主眼を置くべきである。」と語る。規範性をもって市場で流通するに至った<書き言葉>を習うことによって、人々の<話し言葉>が安定するのだという。その日本近代文学は、文語体で書かれた日本近代文学の古典を指している。私には、夏目漱石の文語体程度ならば違和感なく読めるが、幸田露伴の「五重塔」を読むには非常に苦労した思いがある。読むことを否定はしないが、教育がそこまで戻る必要には、賛同することはできなかった。

日本語が亡びるとき
水村美苗
筑摩書房
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004「著作権の考え方」/岡本薫(2010年9月3日)

著作権の考え方/岡本薫/岩波書店
/岩波新書869/20031219初版/\740+税/225頁

 筆者は、文化庁の著作権課長などを歴任したお役人だが、少し手前味噌なところが気になる。また、肝心なところで、「社会の中で対立する利害を調整するのは政治の役割だ」となってしまうのも少し気になる。本として世に出すのだから、官庁の論理を語るのではなく、自分の考えを主張して貰いたかった。とはいえ、著作権の考え方を知るには格好の本である。

 知的財産権には大きく著作権・産業財産権・その他(IC回路の保護など)の三種類あるが、これらの中で「著作権」のみは、「権利を持つのに政府の審査や登録はいらない」という国際ルールがある。日本の著作権法がこれに適合したのは、1899年(明治32年)であるが、アメリカの著作権法がこのルールにようやく適合したのは1989年(平成元年)であり、それまではアメリカの著作権保護水準は低かったのである。「著作権」にも広義と狭義があり、広義の著作権には「著作隣接権」と呼ばれる「伝達者の権利」も含まれる。

 1990年代の前半に、インターネットが進んだアメリカで、無断送信事件が頻発し、国際的に大きな問題となった。「著作権制度はネットに対応していない」というニュースが世界を駆け巡り、「インターネット上の著作権ルールが未整備」などという見出しが国内の新開・雑誌に盛んにでていたのだが、実は日本の著作権法は、インターネットが普及する前の一九八六年から、既に「ネットワーク化への対応」を行っていたそうである。

 しかし、アメリカは他国に対して常に「著作権の保護が不十分だ」という攻撃や宣伝を行ってきたために、攻撃されている国の国民でさえ、不勉強な人は「アメリカは著作権保護の水準が高い」という、逆のイメージを持ってしまっていた。アメリカが他国への攻撃材料に使っているコンテンツは、ほとんど常に「レコード」と「コンピュータ・プログラム」だけであり、その他のコンテンツについては言及されていないことが多い。これ
は、この二つのコンテンツだけが、アメリカが他国よりも強く保護しているものだからなのである。逆に言えば、この二つの業界の政治力がアメリカにおいては強いということである。

 要するに、アメリカの「国際著作権戦略」は、「アメリカがたくさん作っているものは外国でコピーさせず、外国がたくさん作っているものはアメリカでコピーできるようにする」という、極めて単純なものであった。そのような国が「国際著作権システムを自国に有利な方向に持っていくことによって、有利な貿易環境を実現できる」ということに気づいてしまったのである。日本には、進んだ「著作権法」があっても、明確な「著作権戦略」がないとも言える。これが、著者の言う「政治の問題」だという所以だろう。私には、政治だけの問題とは思えないのだが。

 このような動きを見て、アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの途上国は、「先進諸国の産業も、国際著作権制度が整備されるまでは、外国のものをバクッて発展してきたではないか。今になって我々にだけ高いバードルを課すのは、先進国の優位を固定化しようとするものだ」と主張している。中国政府は、対米外交交渉において、「中国人が発明してアメリカの産業が活用してきた、『羅針盤』、『紙』、『火薬』などについて、アメリカはこれまで利用料を払っていないではないか」と本気で主張した。サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」という曲が世界的にヒットしたが、この曲がもともとペルーの人びとによってつくられた民謡であるにもかかわらず、彼らはペルーの人びとに利用料を支払っていない。

 改めて、「アメリカの基準は、決して国際基準ではない」ということに気づかされた本であった。しかも、強く主張する国が有利になり、いかに先進的な制度を作っても、主張の弱い国が損をするという現実である。「戦略」がないまま、「先進的な制度」で自分たちを縛ってしまっているとも言えるのではないか。これは、「著作権」の問題に限らないであろう。国民性の問題と終わらせるには、余りにも悲しい。政治に限らず、「国際戦略」を立て直す必要があると気づかされた本であった。

  著作権の考え方
岡本薫
岩波新書
岩波書店
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003「文明の海洋史観」/川勝平太(2010年8月3日)

  文明の海洋史観/川勝平太/中央公論社
/中公叢書/19971110初版/定価\1,700+税/292頁

 1998年に読んだ本である。国際日本文化研究センター副所長、静岡文化芸術大学学長などを経て、現在、静岡県知事の川勝平太氏の著作である。

 近代はアジアの海から誕生した。より正確にいえば、海洋アジアからのインパクトに対するレスポンスとして、日本とヨーロッパに新しい文明が出現した−これが本書を貫くテーゼである。

 この文章からこの本は始まる。そして、最終章の文章に氏の歴史観が表れている。

<P.275>
 人体の成分と海の成分を、多い順から十とると、ほぼ同じである。それは生物が海から生まれたことを示す証拠であるが、このように、人間の歴史のみならず、生物の歴史、地球の歴史がかなり正確に知られるようになった。いいかえれは、人間の起源についての遠い記憶を呼び覚ましうる条件が整いつつある。


 戦後の日本における代表的な歴史観が二つある。一つは、歴史を階級闘争とみなし、人類社会は奴隷制社会→封建社会→資本主義社会の階級社会を経て、平等な社会主義社会に到るという、マルクス主義の「唯物史観」。対して一方の「生態史観」は、環境によって人間がつくられるという見方にたち、ユーラシア大陸の北東から南西にかけて走る大乾操地帯に生きる遊牧民と、それに隣接する湿潤地帯に生きる農業民との攻防をもって、人類史を展望する考え方である。

 世界的な視野に立つと、近代西洋の生んだ知的三巨人、哲学者へーゲル、自然科学者ダーウィン、社会科学者マルクスがそれぞれ絶対精神の自己実現、生物の進化、社会の発展段階というように時間軸によって世界観を立てたのに対し、日本の京都学派の哲学者西田幾多郎の場所、自然科学者今西錦司の棲み分け論、人文学者梅棹忠夫の生態史観は空間軸によって世界観を立てているのである。
 しかしこの二つには意外な共通性があった。それは両者とも陸地中心的な歴史観だということである。

 海と陸という観点から見ると、日本社会は海洋志向と内陸志向の時代とを交互に繰り返している。奈良・平安時代、鎌倉時代、江戸時代は内陸志向であり、奈良時代以前、室町時代、明治時代以降は海洋志向である。しかも、日本が海洋志向に向かうときは、それぞれ「白村江の戦い(663年)」の敗北、「秀吉の朝鮮出兵」(文禄・慶長の役、1592〜98年)の失敗、「太平洋戦争」(1941〜45年)の敗北を契機としているのである。即ち、日本社会は海外からの撤退を余儀なくされるごとに、海洋志向から心機一転して内地志向に転じ、内治を優先して国内のインフラストラクチャーを整備して、新社会を生み出してきたという歴史がある。

 そしてこの本のテーマである近代において、ヴェネチアを核としてヨーロッパは再び地中海に乗り出し、地中海はイスラムとヨーロッパの競合する海域となり、制海権をめぐる競合の帰結はヨーロッパの勝利に終わる。地中海におけるヨーロッパ制海権の回復は、中世の終焉をもたらし、近代の始まりを告げたのである。一方日本は同時期、「鎖国システム」という方向に向かう。本書から引用すると、

<P.195>
 この近世期(1500年頃〜1800年頃)に、西ヨーロッパに「近代世界システム」、日本に「鎖国システム」という二つの経済社会が出現した。時期を同じくして経済社会が両地域で出現したのは、両地域の人々が同じ時空間を共有し、類似の危機に直面し、類似の解決方法を見出したからである。同じ時間とは「ブローデルの世紀」ともいうべき十六世紀、同じ空間とは海洋アジア、類似の危機とは貨幣素材の流出、類似の解決方法とは人類史上最初の生産志向の経済社会の形成である。なぜ類似したのか、それは両者とも辺境であり、文物を海洋アジアという文明空間から受容したからである。両者とも高い文明からチャレンジを受けたことにおいて共通したのである。

<P.196>
 ただし、両地域に働いたレスポンスのベクトルの方向は対照的であった。∃ーロッパは外向きの開放経済体
系、日本は内向きの封鎖経済体系をとった。この相違は、中世と近世のはざまで両君が体験した激烈な海戦の帰趨と無関係ではない。フェリペニ世がトルコとのレバント海戦に勝利したことは、外向き志向を強化したのに対して、フェリペ二世と同年に死去した豊臣秀吉(一五三七〜九八年)が明征服に失敗し、それまで外向き志向できたベクトルが、徳川期に内向きになった。海戦という事件史的時間の体験において、一方は勝者、他方は敗者という決定的な違いがある。にもかかわらず、海洋アジアとの関係から生まれた歴史構造は、∃ーロッパと日本は相似ていた。それが両者に共通した現象を生んだ。一つは生産革命を経験したこと、もう一つは脱亜を達成したことである。
 ヨーロッパは商業の復活以後、日本は倭寇の出現以後、アジア海域から大量のさまざまな物産を継続的に輸入し、輸入は拡大した。その見返りに、ヨーロッパは新大陸の貴金属を、日本は国産の貴金属(それに鋼)を支払った。このような貨幣素材の流出は、当時の両地域の文明の後進性に由来するものであり、一時的な性質のものではなく、構造的性質をもっていた。それゆえに、アジア物産の輸入は長期の持続を見たのである。文物の受容の対価として日本とヨーロッパから海洋アジアに流れた貨幣素材の流出も同様に構造的である。それは両社会に経済危機をもたらした。近世前半期においては、ヨーロッパでは重商主義政策がとられ、日本でも改鋳や金銀鋼流出への抑制策が講じられた。しかし、それらは抜本的な解決策にはならない。

<P.197>
 こうして十八世紀にヨーロッパ特に西ヨーロッパと日本で生産革命がおこったのである。西ヨーロッパで進行した生産革命は「産業革命」といわれる。これは資本集約型・労働節約型の技術で、労働の生産性をあげることによって、商品の量産を可能にした生産革命である。一方、日本で進行した生産革命は、速水融によって「勤勉革命」と名づけられている。これは、資本節約型・労働集約型の技術で土地の生産性をあげ、商品の量産を可能にした生産革命である。生産革命は一八〇〇年頃には軌道にのり、西ヨーロッパも日本も、アジア物産の輸入状態から基本的に脱し、自給体制を確立したのである。
 その歴史的意義は脱亜の達成であった。ユーラシア大陸の両端でおこった生産革命によって、ヨーロッパはイスラム文明の海域圏すなわち環インド洋にひろがるダウ船の海洋イスラム世界から自立し、日本は中国文明の海域圏すなわち環東シナ海・南シナ毎にひろがるジャンク船の海洋中国から自立した。近代世界システムの政治的特徴である「戦争と平和」の世界観がイスラムの「戦争の家」と「平和の家」の世界観に由来し、徳川日本を特徴づける「華(文明)と夷(野蛮)」の世界観は擬いなく中国の中華思想に由来する。その過程は旧アジア文明から自立して離脱したという意味で脱亜である。


 我々は、ともすると西洋中心の歴史観でものを考えてしまう。しかし近代以前は、海洋アジア(インドおよびイスラム社会)という先進地域が世界の中心だった。西洋も日本も海洋アジアからの先進文物を得るために貴金属を支払っていたのである。そこから起こった経済危機へのレスポンスとして、西洋では「産業革命」が起こり、日本では「鎖国」による「生産革命」が起こったと見る視点である。

 海洋アジアの現状(現在の姿)から見ると想像しえないが、これが歴史の事実であろう。進んだ文明が停滞した例はいくつもある。そしてこれからも歴史は立場を変えて繰り返すのである。今まさに、ヨーロッパは「内向き」に向かっているのではないだろうか?

 川勝氏は、日本の国土政策を批判して、「脱東京」を宣言して軽井沢に住んだ。空気の良い自然の中に幸せを感じる「ガーデンアイランズ」を提唱している。(知事に当選して後は、静岡の知事公邸に住んでいる。)この本には、ハワードの「ガーデン・シティ」を「田園都市」としたのは誤訳であり、文字通り訳せば「庭園都市」になるはずだとして、その起源は「幕末の日本」にあるとしている。決して、「明治維新」を契機として、西洋に頑張って追いついたのではないのである。

 昨今は、「世界標準」を言いながらも、実態は単なる「ローカルなアメリカ標準」であったり、声高に叫ぶ論理だけが横行したり、強いものだけが良いこととされて来たが、その反省の気運が目覚めてきているのではないだろうか?この本は、発売以来10数年を経ているが、川勝氏の「内容の濃い、心地よい名文」もあり、ぜひご一読を進めたい本の一冊である。

 文明の海洋史観
川勝平太
中央公論社
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002「日本奥地紀行」/イザベラ・バード/高梨健吉訳

  日本奥地紀行/平凡社
/平凡社ライブラリー/20020215第1版
定価:\1,500+税/529頁

 日本の歴史を考えると、東アジア以外の外国人から見た日本の姿は、江戸時代の鎖国のせいもあり、非常に限られたものしか残されていない。明治期に入ると多くの欧米人が入ってくるが、イザベラ・バードというイギリス人女性が単身で日本を旅行し、紀行文を残している。一部、反発もあるかも知れないが、非常に冷静で詳細な当時の日本が見えてくる本と言えよう。以下の引用で、作者であるイザベラ・バードという人となりが見えてくる。

 一八七八年(明治十一年)の春、身体はずんぐりしているが知的な眼を輝かせた英国女性が、汽船から降りて横浜埠頭に立った。彼女は、名をイザベラ・バードという。サンフランシスコで乗船し、太平洋を渡って日本に初めて釆たのであった。ときに四十七歳。彼女の生涯の中で真の活躍の時代はここに始まった。
 イザベラは、英国ヨークシアの牧師の長女として生まれた。幼いときから病弱で、脊椎の病気のため、牧師館のソファに横になって青春の大半を過ごさなければならなかった。彼女は、父母を愛していたが、妹のへニーを特にかわいがった。彼女が健康のために外国旅行を志し、故郷を出発したのが一八五四年で、二十三歳のときである。彼女はまずカナダと米国を訪れた。しかしこれは彼女の大旅行のほんの足ならしにすぎなかった。旅行らしい旅行が始まったのは、中年に近くなってからである。彼女はオーストラリア、ニュージーランド、ハワイを旅行し、米国へ帰った。ここで彼女は、騎乗によるロッキー山脈越えを敢行した。
 彼女の生活態度には二つの面があった。淑(しと)やかな婦人であるとともに、因習にとらわれない自由闊達な女性でもあった。日本における彼女は、この第二の面の女性であった。


 時には、日本を美しく表現し、時には日本の醜さを辛辣に酷評している。日光に向かう途中に、こんな文章を残している。

 旅をしてゆくにつれて、景色はますます美しくなった。うねうねと続く平野は、険しい森林の丘陵となり、背後には山脈が雲にかかっていた。村落はこんもりと樹林に囲まれ、裕福な百姓たちは、短く刈りこんだ生垣の奥に自分の住宅を引っこませている。生垣は障壁ともいうべきもので、幅は二フィート、しばしば二〇フィートの高さもある。どの家の近くにも茶が栽培されており、その葉は摘まれて、蓆(むしろ)の上で乾かされていた。
<中略>
年とった女たちは糸を紡ぎ、年寄りも若い人たちも仕事に精を出し、背中の着物に入れて負われている利口そうな赤ん坊は、その肩先から、ずるそうな眼つきでのぞいていた。七歳か八歳の小さな女の子でさえも、赤ちゃんを背中におんぶして子ども遊びに興じていた。まだ小さくてほんとうの赤ん坊を背に負えない子どもたちは、大きな人形を背中に結んで同じような格好をしていた。村が無数にあること、人家が立て混んでいること、中でも赤ん坊が多いことで、たいそう人の多く住んでいる地方だという印象を受ける。


 かつての日本では、子供が赤ん坊を背負って遊んでいた映像がそう遠くない過去にもあったような気がする。以下は、辛辣な表現の一部である。

 川島にて(那須塩原近辺と思われる)
この人たちはリンネル製品を着ない。彼らはめったに着物を洗濯することはなく、着物がどうやらもつまで、夜となく昼となく同じものをいつも着ている。夜になると
彼らは、世捨て人のように自分の家をぴったりと閉めきってしまう。家族はみな寄りかたまって、一つの寝室に休む。部屋の空気は、まず木炭や煙草の煙で汚れている。彼らは汚い着物を着たままで、綿を詰めた掛け蒲団にくるまる。蒲団は日中には風通しの悪い押入れの中にしまっておく。これは年末から翌年の年末まで、洗濯されることはめったにない。畳(タタミ)は外面がかなりきれいであるがその中には虫がいっぱい巣くっており、塵や生物の溜まり場となっている。髪には油や香油がむやみに塗りこまれており、この地方では髪を整えるのは週に一回か、あるいはそれより少ない場合が多い。このような生活の結果として、どんな悲惨な状態に陥っているか、ここで詳しく述べる必要はあるまい。その他は想像にまかせた方がよいであろう。この土地の住民、特に子どもたちには、蚤やしらみがたかっている。

 しかし本全体を通じて、酷評はあるけれども、日本人に対する作者の思いは以下の文章で読み取れる。

 ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無札や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。馬子(マゴ)は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くことのないように絶えず気をつかい、革帯や結んでいない品物が旅の終わるまで無事であるように、細心の注意を払う。旅が終わると、心づけを欲しがってうろうろしていたり、仕事をほうり出して酒を飲んだり雑談をしたりすることもなく、彼らは直ちに馬から荷物を下ろし、駅馬係から伝票をもらって、家へ帰るのである。ほんの昨日のことであったが、革帯が一つ紛失していた。もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。彼にその骨折り賃として何銭(セン)かをあげようとしたが、彼は、旅の終わりまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受けとらなかった。彼らはお互いに親切であり、礼儀正しい。それは見ていてもたいへん気持ちがよい。

 北海道に渡ったイザベラ・バードは、平取でアイヌとの交わりの中で、彼らに引かれていく。気のせいか、その後の日本人に対する評価が厳しくなっていく。

 しかしアイヌの最低で最もひどい生活でも、世界の他の多くの原住民たちの生活よりは、相当に高度で、すぐれたものではある。それから−−これは私がつけ加える必要がないかもしれぬが−−、アイヌ人は誠実であるという点を考えるならば、わが西洋の大都会に何千という堕落した大衆がいる−−彼らはキリスト教徒として生まれて、洗礼を受け、クリスチャン・ネームをもらい、最後には聖なる墓地に葬られるが、アイヌ人の方がずっと高度で、ずっとりっぱな生活を送っている。全体的に見るならば、アイヌ人は純潔であり、他人に対して親切であり、正直で崇敬の念が厚く、老人に対して思いやりがある。

 彼女は、アイヌから、外国人が誰も訪れたことのない神社への案内をされ、ますますアイヌの人たちの誠実さに引かれていく。この本の各種の評価を見ると、日本の良いところを表現した部分のみ引用した話題が多いが、決してその様なことはない。良いところも悪いところも誠実に書かれていると言うのが事実だろう。しかし、アイヌに関しては一貫して好意的に描かれている。同じ作者の「朝鮮紀行」があるが、確かに手厳しい表現もあるが、「日本奥地紀行」と比較して、日本と朝鮮のいずれかの優劣を語るには無理があると思われる。

日本奥地紀行
イザベラ・バード
高梨謙吉訳
平凡社
平凡社ライブラリー
 
 
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 001「創竜伝」/田中芳樹から「鄭和の大航海」「病院船」

創竜伝(2009年現在、第13巻まで刊行)
/田中芳樹/講談社文庫

「銀英伝」と聞いて、「銀河英雄伝説」とすぐ理解する人がどれくらいいるのだろうか?少なくとも、私の周りにはほとんどいない。しかしアニメにもなり、いずこのレンタルビデオ(DVD)にも置いてあるので、かなりの普及率なんだろうなと思ったりしている。その作者による連作長編シリーズの一つが「創竜伝」だ。

 内容は、四海龍王(竜)が現代に転生し、その四人兄弟が活躍するパラレルワールド。敵は牛種である。牛種である牛頭天王(ごずてんのう)は、日本では素戔嗚尊(すさのおのみこと)と習合されていることが少し気になるが、小説ではそこには触れていない。いずれにしても、かなりハチャメチャな本でもある。ちなみに、2010年の3月に私が行った京都の「八坂神社」は、牛頭天王と素戔嗚尊を祀っていた。
 話は戻るが、「銀英伝」にあった品格は、ほとんど失われている。どちらかというと保守的傾向に批判的な、少し無責任(失礼)な文章が随所に出てくる。事実に基づいているかどうかが危ないところも見受けられるが、流し読みをしていくと、時々気になる内容が出てくる。その中で、特に気になった話題が2つ。小説の主旨とはまったく無関係なことは小説の流れにあわせている。

 第8巻には、「鄭和の大航海」が出てくる
 19960815第1刷/定価\520+税

 アフリカ大陸東岸の都市遺跡を発掘すると、大量の中国貨幣が出土する。鄭和(ていわ)の大航海以前にも、インドやアラブを中継地として、インド洋全体にまたがる広大な海上交易圏が存在し、文物の交流がおこなわれていたのだ。そのころ、中国がアフリカを植民地にすることもなく、アフリカが中国に攻めこむこともなかった。残念ながらアラブ商人による奴隷(どれい)貿易はおこなわれていたが、ともかく、せまい地域に閉じこもっていたのはヨーロッパ世界だけで、東方の海は広く開けていた。それが中世の世界であった。
 ヨーロッパ人が大西洋に「進出」したときから悲劇がはじまる。彼らは南北アメリカを「発見し」、喜望峰を「発見し」、インドを「発見し」、フィリピンを「発見し」、行く先々で流血と破壊を巻きおこし、財宝を略奪し、住民をさらって奴隷にした。そして心を痛めることもなく、うそぶいた。
「奴らは其の神を知らぬ異教徒であり、文字も知らない野蛮人である。人間ではなく、動物である。ゆえに動物をあつかうように彼らをあつかうべきだ」漢字やアラビア文字は、ヨーロッパ人にとって文字ではなかったのだ。自分たちの悪業−−−他国の独立を奪い、他国の民を奴隷とし、他国の財宝を掠(かす)め、他国の文化を破壊し、さからう者は殺す。それらを正当化するため、「こんなものは文字ではない」と主張したのだろうか。それとも、心からそう信じ、正義をなす喜びにひたりな
がら、人を殺し、土地を奪い、奴隷を売買したのか。ヨーロッパ人は本来、邪悪な人々だったのか?そうではないはずだ。暴風雨の大海をこえ、赤道直下の太陽に焼かれ、壊血病(かいけつびょう)に苦しみながら、なお、大きくもない帆船で故国から彼らは旅立った。その勇気や行動力、未知への探求心、進取(しんしゅ)の精神は、同時代のアジア人よりはるかにすぐれていた。それが目標を達成したとたん、残忍な欲望に塗りつぶされる。

 鄭 和(てい わ)は、1405年から1433年にかけての7回の大航海で、東南アジア、インド、アラビア、アフリカなどに遠征した。ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を通過したのが1497年、ちなみにコロンブスがサン・サルバドル島に到達したのが、1492年だから、「大航海時代」に先立つこと70年近く前に。中国は「大航海時代」をやっていたことになる。どちらにしても、先住民がいるのに「発見」というのもおかしな話だ。鄭和は、雲南生まれのイスラム教徒で、永楽帝に仕えた明朝の武将・宦官だった。

 第13巻に「病院船」の話題が出てくる。
 20070515第1刷/定価\648+税

 一九九五年、阪神・淡路大震災の直後、アメリカ軍は病院船マーシーを派遣したいと日本政府に申しこんだ。マーシーは最新式の手術室12とベッド1000以上をそなえていたが、日本政府はなぜかせっかくの厚意を拒絶した。そのため、多くの被災者が緊急治療を受けることができず、死に至った。

 ハイチ大地震で、アメリカ軍の病院船「コンフォート」が派遣されたニュースを見た方もいると思う。「コンフォート」も前述の「マーシー」と同規模の施設を持つ「病院船」で、「マーシー」と同様、石油タンカーを改装したもの。その船だけで独立して治療ができることは素晴らしい。残念ながら日本にはない。日本における有効性は議論が分かれるところだが、国際貢献を考えると軍隊への給油よりも有効なのではないだろうか?

 阪神・淡路大震災でアメリカからの病院船派遣打診を拒否をした時の神戸市長は、卒業後、神戸市役所に入り、助役から市長になった宮崎氏。当時の官邸(総理大臣は社会党の村山氏)には危機管理意識がまったくなかったことは、その後の経過をみればわかるが、市長が断った理由が、平和国家として軍隊を入れる訳にはいかないのと、外国の医師は日本の医師免許を持っていないからという説があるが、本当ならば信じられないことだ。もっとも、村山総理にしても、社会党の内閣というよりも、自民党の上に乗っかっただけだった。

「創竜伝」に話は戻るが、こういった話題が、作者の憤まんをぶつけるがごとく、ところどころに出てくる、それなりに楽しい小説といえる。でも、第14巻が出ても購入する気は、今のところはない。

 創竜伝 第1巻

 創竜伝 第8巻

 創竜伝 第13巻
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