建築・その1 <次の記事へ>

010「つくられた桂離宮神話/井上章一著」を読んで(2010年12月21日)

つくられた桂離宮神話/井上章一
講談社学術文庫/19970110第1刷/\960+税

 「私には、桂離宮の良さがよくわからない」と始まる本である。「なにも感激することができない自分にも落胆した」と続いていく。しかし、「そのことを誰にもしゃべらなかった」のである。その言動を拘束したあの権力は何だったのかと著者の思索は始まる。

 私は、井上章一に対して、少し<うさん臭さ>を感じていた。それは、テレビなどで見る、発言を聞いていてである。しかし、この本は少し、氏を見直す結果となった。1986年に書かれた本が元になっている。引用の多さとその範囲に驚く。とにかくよく調べている。後半以降は、少し中だるみが見えるが、読んでみなければ、判らないとは良くいったものである。

 アーネスト・フェノロサが岡倉天心とともに、法隆寺夢殿の秘仏・救世観音像を開扉したエピソードは有名である。それとともに時代は異なるが、桂離宮は、ブルーノ・タウトによって再発見されたという神話もまた有名である。フェノロサが薬師寺の東塔を「凍れる音楽」と評した話は、どうも怪しいみたいだが。

 1933(昭和8)年5月、ブルーノ・タウトは日本にやってくる。その<翌日>に桂離宮を訪れている。時代は、モダニズムの勃興紀であった。そのモダニズム思想のもとに桂離宮が称えられ、東照宮がおとしめられだす時期でもあった。タウトのその見学に際しては、日本のモダニストたちが常にそばにいる。

 タウト自身は、モダニストではなかった。ドイツでは表現主義の建築家として位置づけられている。しかし時代は、モダニズムの方へ移りゆく。タウトは、日本における3年間の滞在において、建築の作品を殆ど残していない。その中で、大倉邸の設計にあたり「『モダンな白い箱』から脱却」することをめざしたため、モダニストたちのひんしゅくを買う。ために、モダニストたちは、タウトへの設計依頼を控えだす。両者のあいだには、明らかな食い違いがあるのである。

 だとすれば、モダニスト=タウトというイメージづくりは、つくられたものといえる。逆に言えば、みごとに成功した神話だったというべきだろう。もちろん、事情通は、タウトとモダニズムのずれを知っていた。しかし、それ以外の人々にはモダニズムのリーダーとしてのタウトが伝わっているのである。タウトの実像はねじ曲げられたのである。

 本当に、タウト以前の「桂離宮」の評価は低かったのだろうか。岸田日出刀などは『過去の構成』を含めて、タウトの来
日以前から、モダニズム理念による桂離宮の再評価をくりかえしているのである。さらに、建築史家・藤島亥治郎も同じようなことをのべていた。桂離宮とモダニズムを関連づける議論は、当時の建築家にとってほとんど常套句(じょうとうく)となっていたのである。おそらく、彼らには、ひとつの先入観のようなものすらできていただろう。すなわち、桂離宮賛美の言葉を耳にすれば、ただちにモダニズムを連想する、といった先入観である。

 タウト以後の桂離宮論は、もっぱらその簡素美を強調する。しかし、それ以前はそうではなかった。技巧的な桂離宮というイメージも、充分あり得た。いやむしろ、そうしたイメージのほうが、一般には認識されていた。ところが、和辻哲朗や唐木順三たちは、桂離宮の技巧美をたたえるわけにはいかなかった。あくまで、「桂離宮の美しきはその簡素なところにある」と書かねばならなかった。桂離宮像をおしあげたモダニズムと日本文化論。この拘束力は、それ以外の叙述をゆるさなかったのである。「桂棚」は、桂離宮にとっては例外的な要素として処理されねばならなかった。たとえ、論述上の整合性が少々犠牲になったとしてもである。

 桂離宮は、かつて庭園関係の人を初めとして、高い評価を得ていた。それが、ブルーノ・タウトの来日を契機として、モダニズムの人たちによって、様式主義に抗する格好の建物として、再評価されることになっただけなのである。再評価前は、評価が低かったかのように伝えられただけなのである。その反対側には、様式主義の象徴としての東照宮があった。まさに「つくられた桂離宮神話」なのである。

 しかし、桂離宮が素晴らしいかどうかということは別な問題といえる。著者が感動できない理由は、タウトの神話を砕いたとしても、明快にはなっていない。著者は、盛んに自分の「審美眼のなさ」と逃げているが、「同じ土俵」では感動できないということなのだろう。

 ただ、桂離宮の素晴らしさは、庭なのだろう。桂離宮は、庭が中心、自然はその演出者、建物は庭の一部であり、人の視点の立地点に過ぎないと言える。「引手」のデザインは、余りにも有名だが、個々の演出はとてもモダニズムとは思えない。二つある笑意軒の外階段の段数がなぜ異なっているのか、等々仕掛けが余りにも多い。古書院から新御殿にかけての雁行した建物群は、むしろその仕掛けの演出のためにあるような気がする。

 最後に、著者が触れた川端康成の「虹いくたび」で、島津家から贈られた蘇鉄(そてつ)の異質観が出ていたのは、驚きだった。私も桂離宮を訪れたとき、外腰掛の前の蘇鉄の木の異質観に驚き、どうしてここにあるのだろうと思ったからである。

つくられた
    桂離宮神話

   井上章一著
ページのトップへ

009「桂離宮」と「修学院離宮」を訪ねて(2010年3月12日の記録)


桂離宮・松琴亭

桂離宮・外腰掛

桂離宮・御幸門から

桂離宮・休所の引手の展示

桂離宮・松琴亭内部
■2010年3月12日(金)、予約をしていた「桂離宮」を訪れました。1615年、後陽成天皇の弟・八条宮初代智仁(としひと)親王により、桂山荘(現在の古書院)が建てられたのが始まりとされています。その後、二代目智忠(としただ)親王により、加賀藩の財政的な裏付けの元、中書院、新御殿、月波楼、松琴亭、賞花亭、笑意軒を初めとして、池や庭園が今日見られるような姿に完成されたそうです。特に、桂棚や御幸道などは、後水尾天皇を迎えるにあたって新改造されたと伝えられています。八条家はその後、京極宮、桂宮と改称されて明治に至り、1881(明治14)年に断絶。1883年から施設は、宮内省所管となり、桂離宮と称されました。創建当時の姿を未だにとどめている貴重な文化財です。
 古書院、中書院、新御殿はいずれも入母屋造、柿葺(こけらぶき)で、書院造を基調としていますが、古書院の縁側などには数寄屋風の要素も見られるそうです。古書院縁側からさらに張り出した「月見台」は、桂離宮の主要テーマが観月にあることを示しています。隣の月波楼も、時間軸で連続して観月を楽しむ様に造られています。

■たまたま、工事等の時期と重なり、池の水を抜いていたため、注水中の状態でした。半涸れ状態の池を見ることになった訳です。この時期を選んだのは、今回の主目的が東大寺の「お水取り(修二会)」だったからです。ダメ元で往復葉書にて申し込んだところ、思いがけず、希望時間にはなりませんでしたが、見学可能の知らせを受けることができました。見学説明者の方は、ひと言多いが、面白い説明をしてくれる方でした。羨ましいことに、説明者は、自由に庭の中に入ったり、建物の中に入ったりしています。かつては、小堀遠州作といわれていたらしいのですが、当時小堀遠州は別のところにいたため、現在は、小堀遠州風といわれているそうです。遠近法を巧みに使うなど、純和風とは言えないとの説明もありました。

■受付後の休所では、有名な引手の実物が複数、展示してありました。案内開始とともに、一度、御幸門まで行きます。渡ってきた太鼓状の橋は、道に対して微妙な角度に振られています。御幸門から表門に至る道も、巾が均一ではなく、遠近法を利用しているとのことでした。外腰掛を見学すると、付帯の雪隠の説明が面白かったのですが、その前にある島津家から献上されたという蘇鉄(そてつ)の木に、妙に違和感を覚えました。池に進むと、水が半涸れ状態ですが、説明者からは滅多に見られないとの<慰め>も頂きました。州浜(すはま)を右手に見て、松琴亭(しょうきんてい)に向かいます。途中の石橋は、景色に見とれて時々落ちる人がいるそうです。橋の巾も均一ではないようです。

桂離宮・賞花亭

桂離宮・笑意軒を望む

桂離宮・笑意軒の外階段

桂離宮・灯籠

桂離宮・笑意軒内部

桂離宮・書院
■松琴亭は、茅葺入母屋造りの茶室です。襖の大柄な青と白の市松模様は、大胆ですね。説明者は、畳の上を歩いています。もちろん、入室禁止と書いてあります。池を巡る回廊を伝うと、見えてきた茅葺切妻屋根の賞花亭(しょうかてい)は、苑内で最も高い位置にあるそうです。ここにも大きな炉がありました。賞花亭を出ると、少し異質に見える、本瓦葺宝形造りの園林堂(おんりんどう)という持仏堂があり、その先に太鼓橋を通して笑意軒が見えてきました。右手には、新御殿、中書院、古書院と続く書院群が葉の落ちた木々の間から見えます。橋を渡ると、池を挟んで、茅葺寄棟造りの屋根に、柿葺の廂(ひさし)を付けた田舎風茶室である笑意軒の前に出ます。船付場から登る階段は二つ付いていますが、同じ高さなのに段数が違います。横にある灯籠の屋根は三角です。一筋縄ではいかないですね。笑意軒の内部の壁紙も窓から見える景色も絵と額縁のようです。襖の引き手なども本当に凝っていますね。撮影した写真をすべて掲載できないのが残念です。

■書院群は、外からの見学のみです。桂棚も見ることはできません。障子の白を基調として、直線が交差する構成は、単純明快ですね。実物を見ることができて、本当に幸せと感じた瞬間でした。月見台から見た月を、時間とともに月波楼に移動して見るとの説明は面白いですね。一度、味わってみたいものです。月波楼から古書院を見ると、小ぶりな梅の木が桃色の花を付けていました。良い写真が撮れたと思います。中門から古書院を見たときの敷石のデザインも良いですね。その先にあった、結界となる置き石が妙に印象的でした。そして、中門から出て、池を見たとき、松の木の隙間から松琴亭が見えました。周到に計算された作意を感じた次第です。最後に、説明の方は、今度は新緑の時に来て下さいと言ってくれました。もちろん、紅葉も見たいですね。

桂離宮・月波楼内部

桂離宮・古書院

桂離宮配置図

桂離宮・中門付近から見る松琴亭

桂離宮・中門から古書院を見る

修学院離宮配置図

修学院・寿月観の庭

修学院・出入口

修学院・寿月観内部
■午後からは、「修学院離宮」に行きました。修学院の名は、10世紀後半にここに修学院という寺が建立されたのが始まりです。後水尾天皇によって造営工事が起こされ、1659年に完成した山荘が「修学院離宮」です。1964年、上・中・下(かみ・なか・しも)の各離宮の間に展開する8万uに及ぶ水田地帯を買い上げて付属農地とし、景観保寺の備えにも万全を期したのが今日の姿です。

■入口を入ると、花菱紋の透かしがある御幸門がありました。そこから入るとすぐに庭があります。苔むした庭を歩くと柿葺入母屋数寄屋風の「寿月観」がありました。杉戸が印象的ですね。襖は墨絵です。この下離宮を出ると、上離宮に向かう松並木を左手に見て、中離宮に向かいます。廻りは、段々畑が広がっています。修学院自体が、畑の中にあることを実感させてくれます。比叡山も遠望することができます。

■中離宮に入ると、楽只軒(らくしけん)がありました。客殿も続いています。ここにも祇園祭の鉾(ほこ)を描いた杉戸などがありますが、霞棚(かすみだな)と呼ばれる床の間の造りが印象的でした。桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚と並んで天下の三棚といわれているそうです。入母屋造り木賊葺(とくさぶき)の深い廂にも特徴があります。また、「網干の欄干」と呼ばれる、漁村で網を干した形を表している低い手摺も味がありました。

■一旦戻り、松並木から上離宮をめざしました。結構、距離があります。すると大きな池が見えてきました。浴龍池(よくりゅうち)です。島の形を泳ぐ龍の姿に見立てたそうです。右手には、隣雲亭(りんうんてい)もあり、そこで一休みです。深い軒下のたたきは、漆喰だそうです。そこに小さな石が多数埋め込んであるのが印象に残りました。俗に、一二三石(ひふみいし)といわれているそうです。浴龍池を眺めながら行くと、千歳橋も見えてきました。その先の中島の中に、外壁は板張りの宝形(ほうぎょう)造りといわれる窮邃亭(きゅうすいてい)が見えてきました。外観とは異なり、内部は上品な造りです。畳の上段が直角に折れているのが印象的です。創建当時の建物で、唯一現存するものらしいですね。

■その後は、ゆっくりと浴龍池の廻りを歩きながら戻りました。この池で、船遊びをしたという情景が少しだけ目に浮かびました。ただ残念ながら、説明の方は初心者?風で、つかえつかえのお話となり、桂離宮の説明の方との落差はかなりのものでした。そんなせいか、修学院離宮の印象は少し薄いものになりました。

■紅山雪夫の「ヨーロッパものしり紀行」では、「桂離宮、竜安寺、金閣寺、苔寺など古来有名な日本庭園は、『見て楽しむため』の庭である。それに対し西洋庭園は、「見て楽しむため」と「中に入って何かするため」という二つの機能を兼ね備えるようにできている。」と述べていますが、修学院離宮の上離宮は、まさに「何かをするための庭」の機能が備わった日本庭園だったと思います。そして、桂離宮は「見て楽しむ」ことの他に、「造って楽しむ」要素がふんだんに溢(あふ)れている日本庭園だと認識させられました。

修学院・下離宮と上離宮の間

修学院・楽只軒の霞棚

修学院・楽只軒の木賊葺の軒裏

修学院・網干の欄干

修学院・浴龍池と千歳橋

修学院・窮邃亭

修学院・窮邃亭内部
ページのトップへ

008 住宅エコポイント拡充・ストック活用型住宅セーフティネット整備推進事業及び瑕疵保険制度に係る講習会に行って(2010年12月9日)

1)住宅エコポイント

 昨年の補正予算で、1,000億の予算が計上され、スタートした住宅エコポイントですが、2010年10月現在で申請受理されたボイントが新築で約250億、リフォームで約84億(国土交通省の報道資料による)と家電のエコポイントに比べて、普及が今ひとつという状況でした。そのような中、2010年度の補正予算等により、さらに拡充がはかられることになりました。時限をほぼ1年延長して、国費1,412億円と30億円の追加が決定された訳です。
 制度自体は、ほとんど変わっていませんが、新たな追加ポイントの要件が加わりました。

 ○対象となるエコ住宅の新築

   @トップランナー基準相当の住宅の新築
    または
   A省エネ基準(平成11年基準)を満たす木造住宅
    発行ポイントの30万ポイントは変わっていません。

  そして、新たな要件として、
   B同時に太陽熱利用システムの設置をやった場合に
    2万ポイント
     ※太陽熱発電と太陽熱利用システムは異なります

  が追加されました。


 ○対象となるリフォーム工事

   @窓の断熱改修
    (ガラス交換、内窓設置・交換、外窓交換)
    または
   A外壁、屋根・天井又は床の断熱改修
  ここまでは、変わりません。

  そして、@又はAの改修とあわせて実施する
   Bバリアフリー改修
   (手摺設置、段差解消、廊下幅の拡張)/5万ポイント
  の他に、
   C太陽熱利用システムの設置/2万ポイント
   D節水型トイレの設置/2万ポイント
   E高断熱浴槽の設置/2万ポイント

  が追加されました。
  ただし、リフォームの場合は、上限30万ポイントは変わっていません。あくまでも要件が追加されただけです。

2)ストック活用型セーフティネット整備推進事業

 国内の民間賃貸住宅のストックは約1,300万戸だそうです。その空き率が約18%であり、年々上昇しているそうです。その空き民間賃貸住宅を高齢者等への供給を目的とする改修工事に対する補助金です。総額で100億円の予算がついています。

 ○事業の対象となる改修工事

   @耐震改修工事
   Aバリアフリー改修工事
   B省エネルギー改修工事

  要件を満たせば、100万円を上限とする補助がでます。
     (補助率は、改修工事費用の1/3まで)
  ただし、期限があります。
    事業計画を含めて一括申請する場合
           2011年1月31日消印まで
    契約済み事業ごとに個別申請する場合
           2011年3月31日消印まで
  と時間がありませんね。また、住宅エコポイントとの重複
  はできないそうです。

3)リフォーム工事や中古住宅売買を対象とした瑕疵
 (かし)保険制度


 姉歯事件に端を発する耐震偽装に伴い、建て替え等の事態が発生しましたが、責任を負うべき業者の倒産等により、資金手当ができなくなるケースに対応した保険が「住宅瑕疵担保履行法」です。これは、事業者(宅建業者や建設業者)が供託か保険の加入を義務付けられた法律です。ただし、新築に限る制度でした。

 それに対して、リフォーム工事や中古住宅売買にも、同様な補償を目的とする保険が制定されました。しかし、これは「任意」です。ですから、事業者が保険に加入しているかどうかは、HP等で確認をする必要があります。制度の可否は、今後の普及の程度にもよるものと思います。

住宅エコポイント

画像をクリック

ストック活用型
セーフティネット
整備推進事業

画像をクリック

※「住宅エコポイント」が発行される工事の対象期間は、2011年7月31日までに工事が着工されている条件をもって、終了しています。
 また、新たに「
復興支援・住宅エコポイント」が始まっています。
  <ポイントの発行対象>
    1.エコ住宅の新築 2011年10月21日〜2012年10月31日に建築着工したもの
    2.エコリフォーム 2011年11月21日〜2012年10月31日に工事着手したもの

 詳細は、「復興支援・住宅エコポイント」のホームページをご覧ください。(2011年12月4日追記)

※「復興支援・住宅エコポイント」は、2012年7月4日到着分をもって、東日本大震災の被災地以外の予約受付は終了しています。
                                      (2012年8月12日追記)
※  2015年からは、「省エネ住宅ポイント」制度が始まっています。(2015年3月1日追記)
ページのトップへ

007 木造住宅の耐震補強のポイントと実務の講習会に行って(2010年10月27日)

■財団法人日本防災協会が実施する講習会でした。久しぶりに3時間半を眠りもせずに、じっくりと拝聴することができました。木造住宅の耐震診断をやったことがない人には、ついていくのが厳しいかもしれないですね。質問も受け付けず、淡々と進む姿には、違和感もありました。どうして質問を受け付けないのでしょうかね。

■最初に「(1)木造住宅の耐震補強のポイント及び考え方と流れ」が約90分。参考例が瓦屋根など、北海道ではめったにお目にかかれない実例が出るなど、全国用のテキストに対する不満はありますが、ポイントが良くまとめられていました。木造住宅の耐震診断の復習には良かったと思います。

■次は、「(2)木造住宅の耐震補強の方法」が90分。これは、早すぎる講習でした。講義中、疑問が時々出るのですが、質問を受け付けて貰えない。テキストの図面も下手なため、補強金物の使い方などの詳細が良く判らない。相当、改善の余地があると思います。木造住宅の熟練者だと問題がないのかも知れませんが、木造住宅には経験の浅い当方としては、もう少し勉強をしなければならないと思いました。参考図書の案内もありましたので、「本」を買えということなのでしょうか?しかし、ここの本は高いですね。「一般診断法による診断の実務」は、以前購入しましたが、税込8,000円もしました。今回の無料講習会と合わせて、トントンということかな?

■最後は、「例題演習」です。時間が無く、説明だけでしたが、ここに時間を掛けても良いと思いました。せっかくの講習会です。3時間半が4時間半となっても、良いと思ったのは私だけでしょうか?例題のなかに「樋」の話題が出てきたときは、北海道向きではないなと思いました。北海道にも「樋」はありますが、限定した役割しか果たしていません。講師は多分、理解していないなと思いました。

■例えば、北海道では、「束石」は凍上の問題があり、ほとんど使われません。あるいは、積雪荷重の問題から、「瓦屋根」もめったに使われません。「瓦屋根」を「金属屋根」にすると軽量化が図れるといくら説明されても、まったく説得力がありません。全国ネットの講習会とはいえ、ローカルを考慮した講習会は難しいのでしょうかね。とはいえ、私にとっては、なかなか実になった講習会でした。

 講習会テキスト
ページのトップへ

006 高齢者向け民間賃貸住宅普及セミナーに行って(2010年10月25日

■高円賃(高齢者円滑入居賃貸住宅)と高専賃(高齢者専用住)の違いを良く理解していませんでした。また、高優賃(高齢者向け優良賃貸住宅)というのもあります。

 (高円賃)
   ・年齢を問わず入居できる
   ・規模に規定はないが、専有面積は25u以上など
   ・バリアフリー化の規定はない
   ・整備費等の助成なし
   ・家賃助成なし
   ・高円賃登録は任意(高専賃と登録基準は共通)
 (高専賃)
   ・高齢者のみ入居できる
   ・規模に規定はないが、専有面積は25u以上など
   ・バリアフリー化の規定はない
   ・整備費に助成あり(高齢者等居住安定化推進事業)
   ・家賃助成なし
   ・高専賃登録は任意(高円賃と登録基準は共通)
 (高優賃)
   ・60歳以上の高齢者が入居できる
   ・5戸以上で、専有面積は25u以上
   ・高度のバリアフリー化が要求される
   ・整備費等に国・地方公共団体より助成あり
   ・家賃助成あり

■要するに、高円賃と高専賃の違いは、入居する人に条件があり、それに伴って助成費の有無があることのようです。ところで、高齢者とはなんでしょうか。これも65歳以上を高齢者というと思っていましたが、高優賃の規定を見ると60歳以上の高齢者とあります。どうも曖昧ですね。

■政府が変わったことにより、療養病床の削減の迷走がありますが、高○賃といった施設や有料老人ホームがこれからの主体となっていく事が予想されます。

■北海道の総人口は1995年がピーク、世帯数は2010年をピークに減少すると予想されているそうです。日本全体の総人口のピークは2004年、世帯数は2015年ころにピークになると予想されていますから、北海道は、日本全体よりも数年から10年程度、早く高齢化が進んでいるともいえますね。

■セミナーでは、
 ・北海道では3割以上が一人住まい
 ・北海道では、9割以上の人が子供の世話になりたくないと考えている
 ・北海道では、在宅死亡が全国一低い
といった、NPO法人の方の説得力あるお話も聞けました。


(財)高齢者住宅財団のパンフレット
http://www.koujuuzai.or.jp/pdf/page07_02_02.pdf

※2011年10月20日より、「サービス付き高齢者向け住宅制度」が施行され、「高円賃」、「高専賃」、「高優賃」の三制度が廃止され、「サービス付き高齢者向け住宅制度」に一本化されました。有料老人ホームについても、任意ですが、「サービス付き高齢者向け住宅」の登録をすることができます。
ページのトップへ

005 愚蛇佛庵が全壊したニュースをみました


「萬翠荘」から「愚蛇佛庵」へ登る道

   「愚蛇佛庵」全景(2009年11月26日撮影)

       「愚蛇佛庵」内部
■2010年7月12日の記録的な豪雨により、松山城の城山から大規模な土砂崩れが発生し、「愚陀佛庵(ぐだぶつあん)」が全壊したとのニュースをみました。隣接している「萬翠荘」も二次災害を防ぐために、現在閉館しているそうです。(2010年7月25日現在)

■「愚蛇佛庵」は、私も2009年秋の日本一周の時に訪れています。夏目漱石が英語教師として松山中学校に赴任した際の、下宿していた上野義方邸の「離れ」を当時の雰囲気そのままに移築復元したものです。元の建物は、戦災により焼失したそうですが、正岡子規が療養のために居候し、1階に正岡子規、2階に夏目漱石が住み、52日間共に過ごし、俳句づくりに没頭したとされています。小説「坊ちゃん」はここで過ごした松山での教師体験を元に生まれました。「愚蛇佛庵」は小さな木造二階建でしたが、写真の様に、夕暮れの薄暗い林の中でライトアップされて、静かな雰囲気を浮かび上がらせていました。

■実は、この時の私の本来の目的は、手前にある「萬翠荘(ばんすいそう)」でした。1922年(大正11年)に旧松山藩主の子孫久松定謨(ひさまつさだこと)が、建てたネオルネッサンス様式の別邸。設計は後に愛媛県庁本館などを手がけた建築家木子七郎(きごしちろう)です。総面積887.58u(268坪)の地下1階、地上3階、愛媛県で最も古い鉄筋コンクリート造です。屋根小屋組は鉄骨造。戦災をまぬがれたそうです。良く管理された美しい洋館です。左右非対称が印象的でした。階段のステンドグラスにも感動した覚えがあります。また、写真では判りませんが、避雷針の先端には、松山藩の大判・小判が使われているそうです。その「萬翠荘」の裏手の道を登ったところ、林の中に「愚蛇佛庵」が再現されていたのです。再び、復元されることを期待したいですね。

■その「萬翠荘」の下には「坂の上ミュージアム」もあります。総工費30億円をかけて、2007年に建設された安藤忠雄の作品です。2009年には、この建物にも入ってみました。垂直面が殆ど無い、コンクリート打放しで構成された廻廊をグルグルと登っていく博物館です。司馬遼太郎の「坂の上の雲」を記念する施設です。カメラアングルの難しい建物でした。施工も大変だったと推測されます。その廻廊の途中からも「萬翠荘」を眺めることもできます。

■その夜に入った大洲市の「小藪温泉」も落ち着いた佇まいでした。もっとも本当にあるのだろうかと何度も不安に駆られる、暗い山道を登ったところにある、大正2年に建てられたという由緒ある温泉宿でした。ナビがなければ到達できなかったと思います。温泉自体は割と新しく、しかも他に入浴客がいないゆったりとした時間を堪能させて貰いました。写真は、翌朝に再び訪ねて撮影したものです。(2009年11月27日撮影) 明治・大正の歴史を感じる松山から大洲市への行程でした。

 「萬翠荘」全景(2009年11月26日撮影)

        「萬翠荘」内部

「坂の上ミュージアム」から「萬翠荘」を眺める

     「坂の上ミュージアム」

    「坂の上ミュージアム」内部

 「小藪温泉」の朝(2009年11月27日撮影)
ページのトップへ

004 田上義也の2作品(2010年7月15日の記録)


        支笏湖ユースホステル

        苔の洞門

         室蘭ユースホステル
■室蘭方面に仕事があり、田上義也の作品を訪ねてみました。最初に訪れたのが、支笏湖畔に建つ、支笏湖ユースホステルです。1960年の作品ですから、築50年を経ています。田上らしい、ダイナミックな斜線を交差させた作品と言えます。現状は、ユースホステルというよりも工事事務所のような雰囲気になっていました。

■支笏湖の反対側には、「苔の洞門」があります。十数年ぶりに行ってみました。樽前山の噴火で流れ出た溶岩が浸食され、高さ最大で約10m、長さ約400mの渓谷となっています。2001年以降の数度の崩落により、「観覧台」以降の立ち入りが禁止されています。駐車場からは、徒歩で往復35分ほどかかりますので、30度近くの気温でしたから、少し汗をかきました。しかし緑生い茂る木立から刺す日の光が、美しい映像となっています。歩いていると、突然にセミが背中に張り付いて来ました。自然一杯の環境です。

■「観覧台」からみると、崩落の跡が歴然と残っています。一面に苔むした岩肌が深厳な雰囲気をかもしだしています。10数年前には、渓谷を先まで歩くことができましたので、渓谷の途中で引っかかった大岩の下をくぐるのがスリルでしたが、今はどうなったのでしょう。

■北湯沢から洞爺湖を巡り、伊達方面の建築・遺跡などを訪ねて、室蘭の白鳥大橋を渡り、地球岬から室蘭の海岸線にある室蘭ユースホステルに行ってみました。1972年の作品ですから、丁度、私が田上義也の薫陶を受け、社会に出た頃の田上作品です。少しおとなしい外観デザインかもしれません。「鳴き砂」で有名な「イタンキの浜」を見下ろす高台に建っています。見事な景観に建つ建物です。

         室蘭イタンキの浜
ページのトップへ

003 見ることがかなわなかった田上義也設計の「坂邸」

■田上義也は、フランク・ロイド・ライトの弟子と言われています。私は、その田上義也の薫陶を受けましたから、ライトの孫弟子になるのかな?まあ、それはさておき、北海道内には田上義也のファンが多いですね。彼の作品については、ウィキペディアなどをご覧下さい。

■私の手帳には、田上義也の現存すると言われている作品リストが載っています。「今日はこれを見に行くぞ!」というよりも、近くに寄った折りに見ていくというスタイルを取っていました。網走に出張した際には、「網走郷土館」を見に行くという訳です。

■小樽方面には田上作品がかなり残っているのですが、岩井俊二監督、中山美穂主演の映画「ラブレター」の舞台となった坂邸(旧名:坂 別邸)をぜひ見たいと思っていました。しかし、2度ほど挑戦したのですが、その建物を見つけられないまま時を過ごしていました。札幌から小樽に向かう途中の銭函の山あいにあるのですが、非常に狭い道でわかりづらい住所がネックになっていました。まあ、いつでも見られるとの思いから、それほど真剣に探していなかったのです。

■2007年5月26日の夕刊を見て、目が点になりました。坂邸が全焼したのです。本当にがっかりしました。銭函の高台に立つ坂邸をもう見ることはかなわなくなったのです。それから10日ほど後のことです。小樽方面に行く用があり、現地に行ってみたのです。建っていた場所からの石狩湾の景色を見るだけでもとの思いからでした。

■坂邸の残骸は、見るも無惨な形で残されていました。焼け落ちたままに近い状態で残っていました。この写真は、その残念な記念の写真です。白樺の木立は、雰囲気を残しています。高台に立ち、石狩湾を眺めることもできました。来て良かったと思いました。建物自体を見ることはかないませんでしたが、坂邸の在りし日の写真はたくさん残っています。その場所に立ち、その雰囲気を感じるだけで、私の目には坂邸の姿が蘇ってくるようになりました。田上作品は、多数残っています。保存運動をしているNPOの方もいます。田上義也の精神がいつまでも残っていくでしょう。
 ありし日の坂邸
    焼け落ちた坂邸(1)     焼け落ちた坂邸(2)
   高台から石狩湾を望む       坂邸の庭
ページのトップへ

002 住宅の耐震診断について

   ■我が家の耐震診断をやってみました。結果は、以下の通りです。
 診断は、EXCELLに自分で書き込む疑似手計算でやりました。
 「北海道」発行の「戸建て木造住宅耐震化の手引き」による一般診断法です。
 この方法は、財団法人日本防災協会「木造住宅の耐震診断と補強方法」に準拠しています。
■我が家は、某ハウスメーカーに依頼して、1997年に建てましたので、築13年になります。
 建設時、同じプランを他のメーカーにも聞きましたが、数社から構造的に無理と断られたいきさつがあります。
 木造2階建ての結構大きな吹き抜けがあるプランです。
 途中の計算過程は、かなりボリュームがありますので省略しました。
方向 強さ 配置 劣化度 保有する耐力 必要耐力 上部構造評点
Pd
2F よこ 159.29 1.00 0.78 124.25 43.59 2.85
たて 164.73 1.00 0.78 128.49 43.59 2.95
1F よこ 161.14 1.00 0.78 125.69 101.56 1.24
たて 158.49 1.00 0.78 123.62 101.56 1.22
■上部構造評点で判定をします。
上部構造評点 判定
1.5以上 倒壊しない
1.0以上〜1.5未満 一応倒壊しない
0.7未満〜1.0未満 倒壊する可能性がある
0.7未満 倒壊する可能性が高い
■2階は、たて/よこ(Y/X)方向ともかなりの余裕がありますが、1階は余裕がありません。
 判断が微妙だったのが、「劣化度」でした。
 「劣化度」は、最低で0.7の数値になりますが、その最低数値を入れてみると以下になります。
方向 強さ 配置 劣化度 保有する耐力 必要耐力 上部構造評点
Pd
2F よこ 159.29 1.00 0.70 111.50 43.59 2.56
たて 164.73 1.00 0.70 115.31 43.59 2.65
1F よこ 161.14 1.00 0.70 112.80 101.56 1.11
たて 158.49 1.00 0.70 110.94 101.56 1.09
■それほど、大きな評点の変化はありません。
 仮に、劣化がないとしますと、劣化度は「1」になります。
方向 強さ 配置 劣化度 保有する耐力 必要耐力 上部構造評点
Pd
2F よこ 159.29 1.00 1.00 159.29 43.59 3.65
たて 164.73 1.00 1.00 164.73 43.59 3.78
1F よこ 161.14 1.00 1.00 161.14 101.56 1.59
たて 158.49 1.00 1.00 158.49 101.56 1.56
■これだと、1階も余裕がでてきます。
 一度も改修等をやっていませんが、今年はやらなければと思っています。
 実は、不安要素がありました。
 これは、一般の建物すべてに言えることなのですが、2000年に基準法が改正になりました。
 そのとき、積雪荷重/基準積雪量が大幅に増加しています。
 私が住む札幌市では、基準積雪量1.0mが1.4m(一部地域除く)になりました。
 我が家でも、1.0を切っていないかどうか気になるための耐震診断でした。
 以前の基準積雪量ではどうなるでしょう。(劣化度は、0.78に戻します)
方向 強さ 配置 劣化度 保有する耐力 必要耐力 上部構造評点
Pd
2F よこ 158.64 1.00 0.78 123.74 37.97 3.26
たて 164.03 1.00 0.78 127.94 37.97 3.37
1F よこ 160.18 1.00 0.78 124.94 93.67 1.33
たて 157.59 1.00 0.78 122.92 93.67 1.31
■予想ほど変わりませんでしたが、境界ラインぎりぎりの場合は、大きいでしょう。
 建設当時に問題がなくても、劣化でもなく、法律によって不可となる不合理はあります。

ページのトップへ

001 建築確認手続き等の運用改善講習会に行ってきました(2010年4月28日)
■建築確認審査の迅速化、申請図書の簡素化、厳罰化のための制度改正の講習会です。午前が「小規模建築物(木造住宅等)」、午後が「一般建築物」対象でした。私は、両方とも受講してきました。3月末交付、6月1日施行とのことです。

■要するに、「姉歯事件」の反省から、確認申請手続きを厳密化したため、手続きの長期化と申請書類の増大に対する批判に答えた改善ということです。政府が代わったことも少し影響しているでしょうね。審査の肥大化による経済的なマイナス効果も言われました。
 確かに「姉歯事件」は、私たち建築士にとって恥ずべき事件でした。しかしながら、建築士全体に対するマスコミを中心とした指摘は、言いがかり的な部分もあったと私は思っています。真面目に設計・施工している大多数の建築士がいるのは間違いありません。

■結局、事件に乗じて、多大な手続きを押しつけ、思いつきに近い労苦を強いたのが誰だったのでしょうか?わずかな施行期間で簡素化を実施することが、そもそもおかしいのです。行政の人たちと、実際に(案)を作成する人たち(学者と言われる人が多い)が、関係団体のガス抜きを経て、法案化されるのが常です。どこかの大学の教授を委員長として、似たような人たちが集まって、(案)は作成されていきます。そして行政の人たちは、自分たちが考えている方向に(案)を誘導していきます。

■今回の改善内容をみると、以下のようになっています。

1.確認申請図書の補正の対象の拡大等(告示改正)
  文章を見てもよくわからないのですが、要するに確認申請に不備があった場合、建築主事は書面で通知するということでしょう。確認審査期間の取り扱いにも変更が出ています。

2.確認審査と構造計算適合性判定審査の並行審査を可能とする見直し(告示改正)
  確認審査と構造判定の並行審査が可能になりました。消防との並行審査も可能となったそうです。
 
3.確認審査等の報告に係るチェックリスト告示の簡素化(告示改正)
  指定確認検査機関が確認済証等を交付した後に特定行政庁へ提出するチェックリストを大幅に簡素化する(項目を約9割減とする)。 9割という表現が凄いですね。

4.「軽微な変更」の対象の拡大(規則改正・技術的助言等)
  瑣末な変更のため確認申請を出し直さなければならないなどといわれましたが、要するに、軽微な変更を認めると言うことです。難しい表現を使いますね。

5.大臣認定変更手続きの迅速化
  超高層建築物等の構造計算や避難安全検証法等に係る大臣認定の変更手続きについて、迅速化を図る、とありますが、構造計算概要書などが不要となっています。設備関係も簡素化が図られていますね。

6.審査期間短縮及び審査バラツキの是正(技術的助言等)
  構造計算適合性判定の対象物件については、現在の審査期間(約70日※)の半減を目指し。。。と書いていますが、「審査期間を半減する」ことはわかりました。


■実は、前回の法改正により影響を受けたのは、確認手続きだけではありません。建築士免許の更新や建築事務所の管理建築士なども大きく変わりました。特に、設計事務所に勤める建築士は、3年毎の更新講習が義務づけられました。更新講習自体を批判するつもりはありませんが、各種の「講習」に伴う料金とそれを集める団体がどのようにつくられているかがどうも納得できません。とにかく、お金が係るようになっています。そのお金がどこに行っているのでしょう。

 小規模建築物の
  テキストです

  一般建築物の
  テキストです

ページのトップへ

<次へ> 「建築・その2」へ行く
「建築・その1」のトップへ