旅の思い出・その6 <次の記事へ>

059 車中泊に適した場所と食事など



「道の駅」の情報本
(ゼンリン発行)

同様の本がたくさんあります
■車で停泊するためには、いくつかの条件があります。

        ◎ トイレがあること
        ○ 温泉・スパなどの入浴施設が近くにあること
        ○ 食事ができること

 このような条件をすべて叶えてくれるのが、「道の駅」です。「道の駅」には、レストランが併設されている場合が多いですし、入浴施設が併設されていることもあります。<情報本>が多数発行されていますので、1冊は携行した方が良いでしょう。ナビゲータがあれば、掲載されている電話番号で簡単に案内をして貰えます。ただし、入浴施設やレストランとも、掲載情報より終了時刻が早い場合が多々ありますので、確認をしておく必要があります。秋から冬にかけての時期では、特に早く終了することが多いので、注意を要します。張り紙を見て時刻を確認して、ゆっくりお風呂に入りに行ったところ、早仕舞いをしていたケースもありました。電話等で確認するのが一番良いでしょう。

■「道の駅」での車の位置取りは、余りトイレに近いところは避けた方が良いでしょう。一時利用の車がひっきりなしにやってきて、エンジン音などがうるさかったりします。また、大型車専用の駐車場がある場合がありますが、大型車はディーゼルエンジンをかけたまま停車することが多いので、避けた方が良いです。その他、色々なコツがあります。敷地条件や混み具合によっても異なりますが、経験を積むと見えてくるものです。慣れてくると、瞬間の判断で、良い位置取りができるようになります。

■「道の駅」以外で、私が利用したのは「湖畔の駐車場」です。各地の湖畔駐車場には、ほとんどにトイレがあります。また無料となっていることが多く、利用しやすいと思います。一方、公園などの駐車場は夜間禁止となっていることが多く、注意を要します。あるいは、アベックのたまり場となっているような公園の駐車場もあります。ひっきりなしに車に出入りされるとさすがに落ち着けません。そして、そのような車はエンジンを止めることが余りありません。中には、音楽を響かせている車もあります。一度だけ、諦めて夜中に移動したことがありますが、その時は、高架下の有料駐車場に移動しました。しかし、高架下はタイヤの騒音が、鳴り響いていますので、音が気になる方にはお勧めできません。私は、ぐっすり寝ていましたが。。。

■入浴施設は、「道の駅」の<情報本>であれば、近接の入浴施設などが掲載されていますし、「道の駅」自体で聞くこともできます。また、温泉地であれば、日帰り入浴ができるところが多数ありますし、極端な話、停泊はトイレがあればどこでも可能ですが、入浴だけは、早め早めにターゲットを決めていなければ、入り逃すことになりかねません。一度だけ、そういう経験をしましたが、運転の疲れが取れませんね。

■車中泊の専門のスポットガイド的な本もありますが、秋冬では、ハズレがほとんどでした。トイレが閉鎖されていたり、場所自体が閉鎖されていることが多数ありました。余り期待しないで、参考の一つとして見るのならば良いでしょう。インターネットで検索する方法もあります。ただし、イーモバイルは全国人口90%カバー率をうたっていますが、地域カバー率は50%も行かないでしょう。実際に、「道の駅」などで接続を試みましたが、繋がることの方が珍しい状況でした。調べたいときは、辺鄙なところにいることが多い訳ですから、繋がらないと思った方が良いでしょう。

■食事は、私の場合、昼と夜はほとんど外食です。やむを得ずコンビニ弁当にしたこともありますが、侘びしいものです。夜は、それなりに食べたいものです。ただし、アルコールは控えた方が良いのは当然です。どうしても飲みたい場合は、寝る前に少しだけ味わう程度にすると良いでしょう。朝食は、私の場合、電子レンジで3分間温めるタイプのご飯を利用していました。コンビニ弁当を温めたりもしましたが、すぐに飽きがきました。他には、インスタント味噌汁と缶詰が主体です。各地の漬け物も味わいました。完全に日本食ですね。そして、必ずコーヒーを落としました。あの臭いが車内に立ちこみますと、幸せ感が満ちてきます。ゆったりと、今日の予定に思いを巡らすことができます。

■一番、難しいのは「ゴミ」の問題でしょう。「ゴミ」は、持ち帰るのが原則ですが、49日間、溜めるのは無理があります。「道の駅」では、分別したゴミ箱があるところもあります。後は、コンビニの分別ゴミ箱を利用させて貰いました。もちろん、買い物もするという条件です。本当に良いのかと言われると少し困ります。

■給水については、ポリタンクを一つ積んでいました。公園や、自然の水が湧き出ているところで週2回程度給水して、飲み水以外はそれを利用しました。飲み水は、安全を考えて、ペットボトルをコンビニ等で買っていました。

■楽しみ方は、色々あると思います。朝食はパンの方もいますし、夕食は豪華にしたいと思う方もいるでしょう。私が記述した方法は、あくまでも一例と思って下さい。また、目的地の住所は事前に良く調べておくことをお勧めします。町村合併等で地名が変わっている場合もあります。ナビゲーターも完全なものはありません。しかしあると非常に便利なものです。ナビには、道順などで何度も裏切られましたが、そのこと自体が楽しい旅行ともいえます。そして、帰ってからの整理もまた楽しいものです。


「カーネル」VOL.2
(車中泊のテクニック本)

ネーミングが凄いですね
ページのトップへ


058 車中泊に必要な装備(サブバッテリーシステム)


私のサブバッテリーシステムの系統図

バッテリーチャージャー
SBC−001A
■数え上げればキリがありませんが、必要度が高い装備にサブバッテリーシステムがあります。車両本体の電源からもインバーターを経由して、電源を取ることはできますが、色々な問題があります。
  ※インバーター:車両に付いている電源は12Vですが、電気製品は通常100Vです。その間の変換の装置をインバーターといいます。

■例えば、コーヒーを入れたいと思ったとします。湯沸かし器でお湯を沸かそうとすると、800Wの湯沸かし器を使うと、
   800W÷12V=66.7A
が必要になります。仮に本体に付いているバッテリーが48Ahだったとしますと。
   48Ah×0.8(充電ロス)×0.8(放電ロス)=30.7Ah
程度で考えなければなりません。これは1Aを30.7時間使えるということです。
すると、800Wの湯沸かし器であれば、
   30.7Ah÷66.7A×0.8(余裕をみて)=0.36時間=約22分
約22分しか使えないことになります。

■これは、恐ろしいことですね。本当に、本体のバッテリーから電源を取って、お湯を沸かしたとすると、1分ごとにバッテリーの能力の1/22ずつ奪っていくことになります。かなり危険な賭だといわざるを得ません。しかし、現実にはそんなことはあり得ません。車両の電源に繋がっているヒューズは、せいぜい20〜30Aですから、バッテリーの能力以前に、ヒューズが飛んでしまうことになります。直接バッテリーから引かない限り、そんな事はできないわけです。

■それと、インバーター自体の能力の問題があります。車専門の量販店で売られているインバーターの能力は、せいぜい定格で350W程度のものしかおいていません。注意するのは、<定格>の数値です。<最大700W>と書いてあっても、定格はその半分程度だと思って間違いありません。これで、800Wの湯沸かし器を使うとインバーターのヒューズが飛ぶか、インバーター自体が飛んでしまいます。

■さらに、電子レンジを使おうとすると、バッテリーからくる直流電源を純正弦波の交流電源に変えるインバータが必要なのです。量販店で売られているインバーターはほとんどが矩形波ですが、純正弦波に変えるインバーターが必要なのです。これも量販店では、滅多においていません。湯沸かし器やパソコンなどは、矩形波でも動くようですが、電子レンジや電気毛布は純正弦波でなければ動かないのです。疑似正弦波というインバーターもあるようですが、試したことはありません。そこで必要になるのが、サブバッテリーシステムなのです。本体のバッテリーに負担を掛けない、サブのバッテリーを搭載する必要があるのです。私が搭載したシステムは、上の系統図です。

■バッテリーチャージャー:SBC−001A(税込12.800円程度で購入)
    質量:0.5kg 定格入力電圧:12V/24V
    出力電流:MAX30A 使用温度範囲:−20度〜+60度
 これは、運行中はメインバッテリーに充電されていますが、余裕が出るとサブバッテリーに充電を切り替えてくれるという優れものです。ちなみに49日間、サブバッテリーの充電不足は起きませんでした。もちろん、走行しなければ充電されません。バッテリーチャージャーとメインバッテリーの結線は、ディーラーに依頼しました。車内を配線するのは、個人では難しいと思います。また、スィッチが付いているため、日常は切断しておくこともできます。

■サブバッテリー:ディープサイクルタイプG&Yuの115Ah(税込17,500円程度で購入)
 私は車内に置いていますので、ディープサイクルタイプを選択しています。密閉型でガスが発生しないものです。通常は、サブバッテリーの場合、ディープサイクルタイプを選択します。これも量販店では通常おいていません。また、メインバッテリーの能力が48Ahでしたが、サブとの能力差があるとバランスが悪いとの情報もありましたが、問題は起きませんでした。やはり、容量の大きなものが良いと思います。

■バッテリーコントロールボックス:バッテリーのケースです(税込7,660円で購入)
 バッテリーを車内に置くために、ケースを購入しました。これには、シガーソケットタイプの差し込み口が2ヶ所付いています。当初、何も考えずコントロールボックスに付いている+−の端子にバッテリーチャージャーからの配線を接続して、ヒューズを飛ばしてしまいました。コントロールボックスに付いているヒューズが30Aだったからです。結局、端子を利用しないで、直接バッテリーの端子に接続しました。まあ、単なる箱と思えば良いでしょうが、結線をしておくと、シガーソケットタイプの差し込みも使えますし、バッテリーチェッカーも付いていますので、充電状態の確認ができます。私は内部側面にラバータイプのクッションを入れて、バッテリーが中で動かないようにしています。

■インバーター:1000W 純正弦波 連続出力  2000Wサージパワー
 通常7〜8万円の値段が付いているようです。私は、たまたまヤフーオークションで半値以下で購入することができました。ラッキーだったと思います。コンセントも2ヶ所付いています。また、ある程度負荷がかかった時だけファンが回り始めるタイプでしたので、静かでした。パソコンを利用するために、以前、定格170W矩形波のインバーターを利用していましたが、これは、ファンが常時回転のために、まことにうるさいインバーターでした。

■バッテリー充電器:BP−1210(税込16,000円程度で購入)
 結局、旅行中は利用しませんでしたが、バッテリー充電が不足の時に、100Vのコンセントからバッテリーに充電する装置です。ワニ口クリップが付いています。いざという時の用心のためです。バッテリーを外したときの充電にも利用できます。

■サブバッテリーの能力検討
 事前に、目安となる電気器具の使用時間を検討しておきました。

 □115Ahのディープサイクルバッテリーの能力
  115Ah×0.8(充電ロス)×0.8(放電ロス)=73.6Ah
                             ・・・・1Aが73.6時間ということです
  ○湯沸かし器 500W(古いものですが、我が家にあったW数の低いタイプです)
    500W÷12V=41.6A
   (73.6Ah÷41.6A)×0.8(インバーターの変換ロス)=1.41時間
                             ・・・・5分当たり、6%の消費
  ○ドライヤー 1000W
    1000W÷12V=83.3A
   (73.6Ah÷83.3A)×0.8(インバーターの変換ロス)=0.7時間
                             ・・・・5分当たり、12%の消費
  ○電気毛布 50W
    50W÷12V=4.16A
   (73.6Ah÷4.16A)×0.8(インバーターの変換ロス)=14.1時間
                             ・・・・5分当たり、0.6%の消費
  ○電子レンジ 600W(これも古いものですが、W数の低いタイプです)
    600W÷12V=50.0A
   (73.6Ah÷50.0A)×0.8(インバーターの変換ロス)=1.18時間
                             ・・・・5分当たり、7%の消費
  ○照明(蛍光灯) 12W(車付属とは別な照明です)
    12W÷12V=1.0A
   (73.6Ah÷1.0A)×0.8(インバーターの変換ロス)=58.9時間
                             ・・・・5分当たり、0.14%の消費
 このように、W数は低いのですが、電気毛布などは長時間利用するため、注意しなければならないことが判ります。毎日、走行しながら充電していれば、2日近くは持つことも判ります。逆に、電子レンジやドライヤーなどは、W数が高いですが、通常の使用にはほとんど問題ないことも判ります。

■私は、食事には余り、時間とお金を掛けない様に心がけました。興味が薄いせいもあるでしょう。「食」に興味が高い方は、ガスコンロ等の使用もあると思いますが、寒い時期の利用は大変だと思います。電子レンジであれば、車内で火を使わずに暖めることができます。人それぞれに楽しみ方はあると思いますので、自分の趣向にあった方法をとることをお勧めします。

ディープサイクルバッテリー
115Ah

バッテリーコントロールボックス

1000W連続出力 純正弦波インバーター

バッテリー充電器
BP−1210

サブバッテリーを運転席後ろに

手製のボックスとともにセットした状態

<追記>

 その後、ディープサイクルバッテリーは2台目となっています。このサブバッテリーシステムは、2018年の北海道胆振東部地震の際のブラックアウトに対して、小さな電気器具への有効な電源確保となってくれました。そんな使い方があるとは予想をしていませんでした。また、正弦波インバーターは、種類が豊富となったことと多少の価格ダウンもあり、2021年、倍の容量があるGIANDELのPS−2000PBRに換装しています。1000W程度の電子レンジも余裕を持って使うことができます。

 ところで、最近のサブバッテリーシステムのネット情報を見ると、ディープサイクルバッテリーでもわずかな水素ガスが発生するため、ガス抜き用のビニル管を付ける必要が謳われています。確かに、バッテリーにもその穴があります。私も気になったため、売られているビニル管が高い(約千円程度)ことと、50cmでは短いと思い、ホームセンターでビニル管と取付用の小物を買ってきて、自作しました。2〜300円程度です。

 私は、自作のサブバッテリーシステムを後部座席の足下に設置しています。しかし、その配管を外に出すとなると、どうしても床下を探る必要があります。しかし、充電時に水が分解されて発生する水素がガスの主体ということですので、発生した空気より軽いガスが、配管を伝わって床下に逃げてくれるかどうか疑問を感じてしまいました。密閉空間にバッテリーを入れた場合は、上部にガスを逃がす方法は有効でしょうが、私のシステムでは無理があると考えた結果、私はガス抜き管は現在は使用していません。

 水素が発生する可能性があるのは走行中ですので、長時間まったくドアを開けないことはありませんし、場合により上部に溜まった水素を時々窓を開けてやることにより外部に放出すれば良いだけだと考えたからです。就寝中はガスが発生することはほとんどありませんし、これまで10年以上使用してきて、危惧されたことは一度もありませんでした。むしろ、バッテリーに膨らみ等がないかどうかの点検が必須といえます。また、市販されているガス抜き配管の一部には、折れ曲がったときに配管が閉鎖されることを防止するため、配管に切り込みを入れて売っている向きもありました。設置状況によるとは思いますが、これでは本末転倒ではないでしょうか?

 いずれにしても、自己責任・自己判断が求められることですが、車中泊がかなり普及してきた現在、販売店も含めたバッテリーメーカー等の正確な情報提供が必要と感じたところです。(2022年2月27日追記)



換装したインパーター

GIANDEL/PS−2000PBR
入力電圧 9.8〜16VDC
出力電圧 100VAC 55Hz±1Hz
出力波形 正弦波
USB出力 5VDC 2.4Aが2口
定格 2000W
サージパワー 4000W


※バッテリーの上にあるのは自作したガス抜きパイプ
ページのトップへ


057 車中泊に適した車


水平の仕切板を敷いた上段

トヨタ・ヴォクシーの断面図 (後部座席以降がほぼフラットになる5人乗りタイプ)

水平の仕切板を敷いた下段(荷物置場)
■一般のキャンピングカーはもちろん、バンコンや軽キャンバーなどと呼ばれるバンや軽を改造した車は車中泊に適しているでしょう。しかし、値段もそれなりに高く、軽キャンパーでも200万円台はするようです。しかも用途が限定されているため、日常の使用には不向きなことが多いと思います。私も中古の安いハイエースを買って、自分で改造しようかとも思いましたが、長期の旅行には、中古は恐ろしいなあと考えていました。

■たまたま私の場合は、所有していた乗用車が13年を超えていたことで、補助金が充実(25万円の還付)していたタイミングもあり、日常にも利用できる条件の新車を検討することにしました。国内のほとんどのメーカーを当たりましたが、後部座席がほぼフラットになるタイプは2車種しかありませんでした。
     (条件)
       1)軽は外す
         ・助手席まで利用しないと寝ることは厳しい
         ・長距離の場合、決して燃費は良くない

       2)後部座席以降が、フラットになること
         ・改造なしに、完全に平らになること
         ・シートを倒すことにより、シートの背で疑似フラットをつくり、凸凹の間に、
          クッションを挟む方法は不採用(シートの下に、余りものが置けないため)

■この条件に適した車は、以下の2車種だけでした

       1)トヨタのヴォクシー(ノアも同じ車です)
         ・本来は7人乗りなのですが、3列目が無い5人乗りのタイプ(トランスX)があります

       2)ニッサンのX−トレイル
         ・アウトドアに適した車です

 どちらも、後部座席以降に水平の仕切り板を付けて、上下2段を構成することができます。ニッサンのX−トレイルは内部が防水仕様になっているなど良い車ですが、車高が少し低く、仕切り板の上に座ったときに窮屈感がありました。ヴォクシー(トランスX/5人乗りタイプ)は、2段目の上に座っても、天井までは多少余裕があり、下段のスペースもかなり広く、車中泊向きの車だと思います。結局、このヴォクシー/トランスXタイプを選択することになりました。

■また購入時に、遮光カーテンをオプションで付けることにしました。自作をしたり、廉価品を自分で購入して付ける方法もあると思いますが、夜、車内で電気をつけても、うっすらと明かりが漏れる程度の、秀逸なカーテンでした。寝る時はカーテンを閉め、起きるとカーテンを開けるのですが、純正のためか扱いも非常に快適でした。

■旅行がほぼ冬期のため、下段には50mmのFP板を敷いて、その上に銀マットを敷きました。床下からの放射冷却を防ぐためです。水平仕切板の上には、低反発マットレスと布団を敷いて寝床を形成しています。しかし、電気敷毛布を使ったとき、低反発マットレスの下が結露したことがありましたので、電気敷毛布は敷毛布として利用することを止めました。特別に寒い時だけ、足元の電気掛毛布として利用しました。マットレスの下には、新聞紙を敷いて、時々交換するのが良いみたいです。布団と毛布を掛けて寝ていれば、マイナス5度程度でも、全然。寒くありませんでした。むしろ、夏場の暑さの方が耐えられないことは、経験のある人であれば、よく判ると思います。

■そのような状態で49日間を過ごしたのですが、思いの外、快適だったと思います。また、当初の数日間は、夜間にものを捜すのに時間を費やしていました。狭い中にものが色々とある状況ですので、何も考えず移動してしまうと、見つけられなくなるのですね。すべてのものの置き場所を決めてからは、電気をつけなくても手を伸ばせば、目的のものがそこにあるという状況になりました。必ず元のところに戻す心がけが大事なのです。日常でもいえることなのかなと思った次第でした。

荷物を積んだ状態

荷物を積んだ状態を内部から見る

夜間に電気をつけた内部の雰囲気
ページのトップへ

056 久慈から尻屋崎を経由して大間、そして札幌に帰る(2009年12月18日と19日の記録)
※枠がある画像をクリックすると画像が開きます。


「久慈琥珀博物館」

「久慈琥珀博物館」の琥珀のカプセル

琥珀のカプセルの内部

琥珀の坑道
■12月18日、道の駅「くじ」は、街中にありましたが、良く寝ることができました。「やませ土風館」と併設の施設で、温水暖房便座付きの綺麗なトイレがありました。近くの「久慈琥珀博物館」に行く予定ですが、多分、9時の開館でしょうから、朝はゆったりと時間を過ごしました。博物館に着いたのは、9時2分でした。入館料は500円です。メインの施設の他に、工房や琥珀の坑道跡があります。

■受付の女性に、新聞の特集を見て来ました言うと、私が見た朝日新聞の記事を持ってきました。ここが私の日本一周の、旅の最後の見学施設と説明すると感動してくれました。一所懸命に説明をしてくれます。「古墳の湯」の辺りにも古い琥珀の坑道があったらしいですね。撮影禁止らしいのですが、結構、了解を頂き、撮影をさせて頂きました。ホールに入ると、大きなカプセルがありました。これが新聞に出ていた琥珀を内部に貼り詰めたものです。その内部も撮影させて頂きました。久慈付近の琥珀は、約8千万年代と、世界でも古いものが多いそうです。色は、そのためか濃い茶色が中心となっています。北海道でも三笠地方などで取れているのですね。世界一の大きさの琥珀のレプリカがありました。琥珀製品の販売場所もありましたが、青い色をした琥珀がありました。始めてみました。生物の死骸や糞などから燐酸がでて、青く発色するらしいですね。坑道にも入ってみました。琥珀神社があるので、参拝もしました。

■続いて、下北半島に向かいました。海岸線は、雪模様のためか白い冷めた景色です。段々と雪が降ってきました。三沢基地の付近では、戦闘機がスクランブルしています。むつ原発のためか、道が広く対向車が少ないですね。この後、尻屋崎と下風呂温泉の記録は、以前に書きましたので、「尻屋崎の寒立馬」
を参照して下さい。

■雪の中、再び大間に向かいました。大間フェリータミナルに着きましたが、とてつもなく風が強く吹いています。明日朝のフェリーは出航するのでしょうか?

■12月19日、日本一周の最終日になりました。大間フェリータミナルの強風は、朝になるとピタリと止みました。起床は5時20分ころです。確か、旅行初日の夜も強風でしたが、朝になると止んでいました。6時10分に受付が始まります。入庫は6時50分からです。その間に、食事と洗面をして待機しました。7時10分、定刻きっかりの出航です。ついに、最終日となった感慨があります。上ノ国町に寄る予定でしたが、昨日からの天候を考え、取りやめました。土日の高速割引を利用して、太平洋側廻りで一気に帰ることにしました。北海道内であれば、いつでも行けるでしょう。

■思えば、49日間、気の休まる日はありませんでしたが、あっという間に過ぎた様にも思います。定刻通り、函舘に着きました。高速を使い、札幌へ向かいました。落部(おとしべ)から高速に入りました。途中、食事をしようと思いましたが、八雲のオアシスではインスタントしかありません。何と、その後2ヶ所しか食事ができるPAも無く、それもコンビニがあるだけでした。止む無く、樽前PAにて、サンドイッチを食べました。中国人の観光客の姿も目につきましたが、これでは北海道の観光が泣きますね。自宅近くの洗車場で、洗車を済ませて、家に着いたのが、15時ころでした。

■無事故にて、49日間の旅を終える事ができたのは、本当に幸せだったと思います。紹介した写真は、撮影した写真の数パーセントに過ぎません。旅の概略は、「日本一周旅行地図」

を見ていただければ見えてくると思います。さて、今度はいつになるかな。。。

尻屋崎に向かう

大間フェリータミナルの夜明け

函舘山が見えてきた

駒ヶ岳を横目に
ページのトップへ

055 高田松原の「普門寺」から遠野の「福泉寺」、そして「浄土ヶ浜」(2009年12月17日の記録)


「普門寺・山門」
 

「普門寺・三重塔」

「普門寺・三重塔」の二層目軒裏
(垂木がなく、彫刻だけ)

「碁石海岸・穴通磯」
奥に見えるのは大船渡市
■道の駅「高田松原」の朝は、かなり冷えました。電気毛布を使いませんでしたが、何度も寝ながら使おうと思ったほどです。起きたときの外気温はマイナス4度でした。道の駅自体は、かなり広いですね。インターネットが繋がるので、19日の朝の大間からのフェリーの予約を入れてから、高田市内の「普門寺」に向かいました。駐車場からかなり奥がありそうに見えます。奥まで車を入れて下さいとの表示がありますが、敢えて手前に車を止めて歩くことにしました。すがすがしい朝です。山門の彫刻類が凝っています。通路は余り掃いていない、自然のままも良いですね。寺内は静かな雰囲気が漂っています。木々の間からは、光がさしています。石の水鉢には、氷が張っています。三重塔らしきものが見えてきましたが、足場で囲われています。改修中のようですが、足場の間から三重塔が判ります。勝手に、足場を少し登ってみました。なるほど、2層目には垂木がありません。垂木の代わりに、彫刻が掘ってあります。日本で唯一と聞いています。

■「普門寺」は、開山の記外和尚が宋の時代の中国から帰って、1241年に創立した寺です。三重塔は、1809年の建立、高さ約12.5mですが、気仙大工の粋を集めたそうです。初層は垂木(たるき)を並行に配置した二軒繁垂木(ふたのぎしげたるき)、二層は垂木なしの軒裏天井に動物と波・雲をあしらい、さらに四面に輪宝文(りんぽうもん)の浮き彫り彫刻を施し、三層目は垂木を放射状に配した二軒扇垂木と、それぞれが異なった軒裏を形作っています。勝手に足場に登ったため(すみません)、間近に堪能させて頂きました。

■続いて、「碁石海岸」に行ってみました。「碁石浜」を通り過ぎた崖地の上に、駐車場がありました。歩いて行くと、お店のおばさんが出てきて、寒いから、帰りにお茶をご馳走しますと愛想良く言ってくれます。他にお客の姿も見えません。「乱曝谷(ランボウヤ)」という奇岩がありました。また、「雷岩」がありましたが、確かに雷音が聞こえてきます。予想以上に雄大な景観です。海は、非常に透明度が高いですね。岩間で漁をしている船がいます。自然がかなり残された景勝地だと思います。店に戻ると、北海道の昆布茶をご馳走になりました。作りたてのイカ煎餅もご馳走になったため、そこまでして頂くと、お土産を買わざるを得ませんね。ここに来る途中の海岸で取れた、碁石の原石を見せて貰いました。車に戻り、先の「穴通磯(アナトオシイソ)」を見て、戻りがてら「碁石浜」の磯を歩いて行ってみました。確かに黒い丸い石が敷き詰められています。

■釜石の高さ48.5mもある「大観音像」を横目に見て、内陸に入り、遠野市へ向かいました。遠くに見える山脈が、冠雪して美しく見えます。うわさに違わず、遠野自体も美しい田園風景です。「福泉寺」に着きました。なかなか大きな寺です。大きな駐車場があり、山の上にも駐車場があります。またしても、敢えて車を下に駐めました。拝観料が300円とのことですが、「観音堂で払って下さい」と書いてあります。しかし、観音堂がどこにあるのかが判りません。山門を通り、しばらく行くと橋があり仁王門がありました。横の池は氷が張っています。仁王門脇の(阿吽?)像が特徴的ですね。山道を歩いて行くと、寺域が大きいのが良く判かります。四国八十八箇所と西国三十三箇所の写し霊場があります。右下の方に五重塔が見えてきました。美しい塔ですね。山の上に来ると、「大観音堂」がありました。その横にスタイルの良い「多宝塔」もあります。「大観音堂」に入ると、僧侶と若い女性がいて、ここで300円払うようになっていました。奥には、「大観音像」がありました。

■「福泉寺」は1912年創建、多宝塔は1982年建立、五重塔は1990年建立で高さは26m、「観音堂」は、宮大工菊池恭二率いる金剛組の施工です。そして、「大観音像」は、20年の歳月を費やした樹齢1200年の大木の一木造で、住職が自ら刻んだそうです。少し間延び(失礼)して見えますが、驚きました。残念ながら撮影禁止でした。「大観音堂」を出て、屋根が付いたかなり急な通路を歩いて行くと、「毘沙門堂」と「五重塔」に着きました。本当に美しい五重塔です。

■内陸から、また海岸へ出て、宮古へ向かいました。峠は、雪道になっています。かなり険しく曲がりくねった道路ですが、対向車は殆どありません。「浄土ヶ浜」に着きました。16時20分頃になり、辺りはかなり暗くなってきています。駐車場に駐めて階段を降りていくと、船の発着場らしきところにつきました。少し、妖しい雰囲気です。さらに先へ、トンネルを通って歩くと、ハットする雰囲気の海岸に出ました。他には、誰もいません。「浄土ヶ浜」です。想像を遙かに超えた景観でした。うっとりとします。うす暗闇に、群青の海、そして岩場が白く輝いています。カメラの照度としては、ギリギリの撮影になりました。

■車に戻ると、既に真っ暗になっていました。ここから一気に久慈に向かいました。途中、道の駅がいくつもありましたがパスします。久慈手前の道の駅で、温泉を教えて貰うと、久慈市内に「古墳の湯」という健康ランドがあるそうです。凄い、ネーミングですね。「浄土ヶ浜」の後に、「古墳の湯」ですからね。由来を後で聞きますと、かつてここに古墳があったそうです。古墳を潰して造った健康ランドなんですね。道の駅「くじ」は、町の中にありました。繁華街にある、珍しい道の駅でした。

「碁石浜」

遠野の風景

「福泉寺・仁王門」

「福泉寺」の阿吽?像

「福泉寺・多宝塔」

「福泉寺・五重塔」

「浄土ヶ浜」

久慈の「古墳の湯」の看板
ページのトップへ

054 相馬から高田松原まで(2009年12月16日の記録)
※枠がある画像をクリックすると画像が開きます。


「長泉寺」

「長泉寺」の床下

角田市のロケット

「仙台遠見塚古墳」
■道の駅「そうま」の朝は、かなり冷えました。この道の駅は、車の出入りが激しいですね。角田市の「長泉寺」に向かいました。門前に大きな駐車場があります。元参道と思われる通りもあります。伊達藩配下の石川氏の菩提寺だったようです。このお寺は、「鵤(いかるが)工舎の仕事」という本で知りました。故西岡常一棟梁の唯一の内弟子だった小川三夫棟梁が率いる宮大工集団による「長泉寺」の記録を塩野米松氏が著された本です。

■山門を潜ると、ヒノキが眩しい本堂がすぐに見えました。廻りを見ながら進んで行くと、先ほどは開いていた本堂の扉が閉まっています。どうも、拒否された雰囲気です。僧職が忙しそうに歩くのが庫裏の廊下に見えます。そのうち法事でもあるのか、多くの人がやってきました。駐車場の車も増えてきたので、外観のみを拝観して帰ることにしました。白木が美しいですね。思わず、触ってしまいました。床下にある瓶?は、どういう意味があるのでしょうか?

■「長泉寺」を出ると、近くに不思議なモニュメントが見えました。行ってみると、H2ロケットを外に展示しています。後で調べると、あのふるさと創生資金を用いて、建てたそうです。馬鹿なことをしたものです。名取を通り、仙台を経て、松島に向かう途中に古墳が見えました。停車してみると、「遠見塚古墳」という前方後円墳でした。これは、予定外でした。全長約110メートルの、仙台地方で第三位の古墳とのことです。説明書きを読むと、4世紀末〜5世紀初めと書いてありますから、また驚いてしまいました。見事に復元されていました。

■「塩竃神社」に着きました。実際に書いてある字はかなり難しいですね。鳥居があるので行くと、「志波彦(しわひこ)神社」と書いてあります。塩竃の神に協力した神様の神社らしいですね。その奥に、「塩竃神社」がありました。横の門からも行けますが、一度外に出て、敬意を表して、正面の楼門に廻りました。「塩竃神社」は、かなり凝った造りですね。拝殿一つに、左宮と右宮の本殿があり、他に拝殿と本殿が一つずつの別宮があります。左と右の呼び名は、本殿から見ての配置です。すべての本殿に対して、参拝させて貰いました。本殿の千木はすべて外削ぎ(垂直に切ってある)です。ちょっと変わった狛犬が外にあったのですが、拝殿の中にも左と右の鏡の前に一対の金色の狛犬があります。ちょっとライオンみたいに見えます。塩竃神社も式年遷宮をしているのですね。

■続いて、「松島」に向かいました。「松島」は、何度も来ていますが、「双観山」という展望台にも登ってみました。さらに松島博物館に着くと「観瀾亭」がありましたので、入ってみました。襖絵が豪華ですね。奇岩の上に建っています。その奥に松島博物館がありました。隣の「瑞巌寺」には、寄りませんでした。

■さらに、石巻市にちょっと寄り道をして、南三陸海岸を眺めながら北に向かいました。途中、道の駅がいくつかありますが、温泉がなさそうです。気仙沼市内に入り、食事をして、温泉を聞いてみるとありました。近くの南気仙沼駅のそばに「湯みえーる」というのがあるそうです。早速、行ってみると、そう大きくはありませんが、熱くて良い湯に入ることができました。ここで、気仙沼海岸も明朝見たいのですが、道の駅「つしま」まで戻ると約10キロ、道の駅「高田松原」まで進むと、21キロです。先に進む誘惑が勝ちました。高田松原は、かなり大きな道の駅です。かなり冷えて、外気温マイナス1度を指していました。

「塩竃神社」

「志波彦神社・拝殿」

「塩竃神社・拝殿」

「塩竃神社・拝殿内」

「塩竃神社・本殿」

「松島」

「観瀾亭」
ページのトップへ

053 猪苗代湖から会津若松、相馬まで(2009年12月15日の記録)


「猪苗代湖」の朝
奥に見えるのは磐梯山

冬景色になった「猪苗代湖」
  

「さざえ堂」

「さざえ堂」内部
  

会津若松市の「鶴ヶ城」
■猪苗代湖畔で起きたのは、6時半過ぎです。少し、寝不足です。雪は、うっすらと積もった感じです。湖側に行ってみると、結構冬景色ですね。気温はマイナス1度、路面は凍っています。磐梯山を含む山並みは雪景色に変わっています。会津手前に、道路沿いに大きな観音像がありました。会津慈母観音像ですね。高さが57mもあります。車の流れに問題は無く、「飯盛山(いいもりやま)」に着きました。「飯盛山」は標高314mの山です。白虎隊自刃の地としても知られています。

■市の無料駐車場に車を駐めて、階段を登り、「さざえ堂」に向かいました。横に有料エスカレーターがありますが、誰もいません。もっとも動いていないですね。階段を登ると、白虎隊関連の遺跡が続いています。一人、生存した人がいたのですね。白虎隊が自刃した場所に来ましたが、さざえ堂が見えません。少し戻って、来た人に聞くと、横道がありました。すぐに「さざえ堂」が見えてきました。かなり痛んではいますが、壁面の装飾がおどろおどろしいですね。400円を払って「さざえ堂」に入りました。土足で良いとのことです。他に、人は無し、確かに不思議な建物です。二重らせん構造を有しています。登りと下りが交差しない構造です。現代でも店舗などに使われる「X階段」(階段を縦に2層重ねる)がありますが、発想は似ていますね。

■「さざえ堂」から出ると、他に神社やら、水が滔々(とうとう)と流れる洞窟があります。来たときとは別な道を降りました。折角なので、予定外の「鶴ヶ城」に向かうことにしました。「鶴ヶ城」の駐車場は、内堀の中、門を車で通った中にあります。コンクリート製のお城が見えますが形は良いですね。天守閣前の広場で語るおじさんの声がやたら大きいのが気になります。天守閣には登らずに、茶室「麟閣」に向かいました。ところが、事務所の改築をやっているためか、長期休みとなっています。塀の向こうに屋根だけが見えます。見えないとなると見たいのが心情ですね。櫓(やぐら)跡などに登ったりしながら見下ろしてみました。事務所の建て替えなのに、なぜ茶室が見られないのだろう。事務所の屋根には銅板などを貼っています。千利休が自刃したとき、その子息、小庵を蒲生氏郷がかくまったらしいですね。家康と氏郷が千家復興を秀吉に願い、千家の再興がなったとのことです。その小庵がかくまわれている間に造ったのが「麟閣」です。

■今度は、太平洋側の原町に向かいました。途中、蕎麦屋にて昼食をしたのですが、新聞によると、昨夜の交通事故の方は、結局亡くなったそうです。20数メートルも跳ね飛ばされたとの記事がありました。それで、不可思議な格好で倒れていたのですね。その後、はどうなったのかは判りません。

■130km以上走り、原町に着きました。ここには、28年ほど前、仕事で半年程住んでいました。住宅街はかなり変わった雰囲気ですが、駅前は余り変わっていませんね。その北にあった鹿島町などと合併して、南相馬市となっています。「桜井古墳」に着きました。すっかり整備されて、前方後方墳が綺麗に造成されています。犬のロープを外して、散歩をしている人がいます。いけませんね。犬は気になると見えて、こちらの方ばかりに来ます。「桜井古墳群1号墳」は、4世紀後半とみられる、主軸長74.5mの前方後円墳です。周壕の痕跡も確認されています。4世紀後半に、この地にこれだけの前方後円墳があるということは、当時の文化的な中央集権化がかなり進んでいたことを物語っています。5世紀の円墳もありました。28年前は、ここは単なる林の状態でした。

■鹿島の烏崎に向かいました。知った方向なので、ナビには逆らい進みました。渋佐(しぶさ)の海岸に面して、多分ゴルフ場があった付近に火力発電所ができています。新しい道も沢山できています。懐かしい雰囲気の烏崎にしばらく過ごしました。ここには当時、建設に携わった建物が複数あります。

■今日の停泊は、道の駅「そうま」です。その手前にある「蒲庭温泉」に入ることにしました。知りませんでしたが、「蒲庭温泉」の歴史は古く、今から230余年前が始まりなのですね。道の駅「そうま」のレストランは20時までやっていました、それから食事をしました。生ビールも飲んでしまいました。

「麟閣」

原町(南相馬市)の「桜井古墳」

「桜井古墳」の上から
ページのトップへ

052 水戸から、「石の美術館」などを見て、猪苗代湖まで(2009年12月14日の記録)
※枠がある画像をクリックすると画像が開きます。


「鎌足神社」

「鎌足神社」

「千波湖」にて

「常磐神社・拝殿」
■道の駅「いたこ」にて、朝の5時40分頃起床です。夜中は雨が降っていました。止んではいますが、曇り空です。時々、パラパラと来ますが、傘をさすほどではありません。8時過ぎに、再び、「鎌足神社」に向かいました。中臣鎌足(藤原鎌足)の出生地には、諸説あります。樫原、明日香、鹿島などが比定されています。お墓については、大阪府の高槻市にある、阿武山古墳(あぶやまこふん)が有力視されていますね。

■「鎌足神社」は、朝見ると、小さい住宅街の小神社でした。所以(ゆえん)は判りませんが、「鹿島神宮」「香取神宮」の近接地にあることは、「何か」があるのでしょうね。続いて、水戸に向かいました。途中、鹿島ドームがありましたが、立派ですね。

■「水戸偕楽園」に着きましたが、有料駐車場はガラガラです。500円とのことでした。その直前にあった千波湖(せんばこ)の公園の無料駐車場に駐めることにしました。200メートル程度しか変わりません。千波湖のほとりを黒鳥や鳩を眺めながら、「偕楽園」に向かいました。4〜5百メートルほども歩いたでしょうか。

■隣に、「常磐神社(ときわじんじゃ)」があるので、参拝しました。水戸黄門が神様になっています。RC造の神明造りです。東門から「偕楽園」に入りました。葉が枯れ落ちた梅の木が並んでいます。二季桜も咲いていました。松の樹形も美しいですね。「好文亭」という水戸3代、徳川斉昭公が自ら設計したという建物がありました。屋根等を改修するため足場が掛かっていますが、見学はできるようです。内部は、見所が多いですね。襖絵も数多くあり、見事です。3階まで上がることができます。他に誰も来客もなく、1時間近く堪能させて貰いました。「偕楽園」の御成門まで歩いて、東門から戻ったのですが、千波湖の黒鳥、白鳥、鳩、鴨は、人をまったく恐れませんね。

■那須方面に向かいました。一般道を走ったのですが、高速並に快調です。高見沢市の宝積寺というJRの駅にある「ちょっ蔵広場」に来てみました。隈研吾設計の2006年の建物です。月曜日のせいか、余り人がいません。大谷石を斜め格子に組んだ建物ですが、鉄板で補強してありました。石の隙間を通った光のガラス面への反射が美しいですね。

■続いて那須町の「石の美術館」に向かいました。着いたのですが、今日は休みでした。外観だけでもと思い、撮影していると展示品の模様替えをやっているようです。奥に行くと、石の茶室風の部屋が見えましたが、中には入られません。2000年の隈研吾の設計です。「石の美術館」の向かいの丘の上には、那須の歴史探訪館がありましたが、多分休みでしょう。「ちょっ蔵広場」は斜めの光線、「石の美術館」は水平の光線が刺していました。

■会津若松方面に行こうと思いましたが、結構距離があるのと、冬期閉鎖道路が途中にあるので、白河方面の道の駅に向かいました。30キロほど遠回りですが、母畑温泉が近くにあります。途中の道に、街路樹を鳥の形に刈り込んだ道並みがあったり、「泉田の一里塚」などがありました。途中で、コインランドリーに寄りました。するとコインが入りません。斜めにすると入るので、入れていると何枚でも入ってしまいます。横にいたお姉さんも、同じ状況だったようです。どうも変です。電話を掛けて、担当の人を呼びました。すると、濡れたまま乾燥機に入れた人がいるため、連動して、ブレーカーが落ちたらしいのです。知りませんでした。なんとか洗濯を敢行して、母畑温泉と道の駅に向かいました。かなり時間をロスしてしまいました。

■18時過ぎ、母畑(ぼはた)温泉に着きました。大きなホテルがあり、奥に元湯があります。日帰り入浴の案内がありません。看板が出ていた「母畑元湯」に電話をしてみました。すると、日帰り入浴は、16時までとのことでした。他に、日帰りをやっているところはないそうです。アウトでした。さて、困りましたが、まず食事をすることにしました。須賀川に向かい、そこで食事をしました。食事の後、そこにあった地図をみると、高速に隣接して公衆浴場があると出ていましたので、向かいましたが、途中、「ひばり健康ランド」なるスパが目に入りました。

■少しい変わった雰囲気の施設でしたが、「ひばり健康ランド」は広い浴場です。ゆっくり浸かることができました。温泉を出た所で、22時10分前になっていました。しかも、パラパラと雪が降ってきました。高速に乗ってPAに駐まる事も考えましたが、猪苗代湖に向かうことにしました。きっと無料駐車場があるだろうと思ったわけです。

■雪が降ってきました。郡山を抜けかけた所で、片側2車線の中央に何かがありました。大きなゴミかと思いきや、何と「人」でした。慌てて停車すると、前に駐まった人が携帯で電話をしています。二度引きになるとまずいと思い、車から降りて、後ろに向かい両手を振りました。次々と車が来ますが、横目に見ながら、みんな先に行ってしまいます。倒れた人は、不自然な姿勢で、とても生きているとは思えません。間もなく、パトカーが来ました。携帯で電話をした人が主に説明しています。私の他に2名の車の人がいました。

■女性の警官に、それぞれ名前や免許証、電話番号が聞かれました。自分の車が倒れた人のすぐ横にある状態です。そのうち救急車が来て、蘇生を試みていましたが、タンカで運ばれました。まだ息があった様です。新聞社やテレビ局が来て、聞かれましたが、答えることは余りありません。電話をした人への事情聴取は続いています。残りの2名のうちの1名がテレビの撮影付きで、インタビューに答えています。結局、そのまま1時間程度、待たされました。すっかり体が冷えてきました。雪も強くなってきました。メモをしていた女性警官に聞きに行きました。責任者が出てきて、やっと帰って良いと言われました。結局、23時10分過ぎに、猪苗代湖に向かいました。かなりの雪の量です。猪苗代湖に入ると、ピッタリの湖畔駐車場がありました。トイレもあります。すぐに駐めて、支度をして寝ることにしました。0時を少し過ぎています。外気温は、0度をさしていました。

「水戸偕楽園」

「水戸偕楽園」の二季桜

「好文亭」

「好文亭」

「好文亭」

「好文亭」から

「ちょっ蔵広場」

「ちょっ蔵広場」

「石の美術館」
ページのトップへ

051 千葉から鹿島まで(2009年12月13日の記録)


道の駅「よしみ」の夜明け

「法華経寺・山門」

「法華経寺・五重塔」

「法華経寺・四足門」

「法華経寺」聖教殿への山門
■道の駅「よしみ」は、夜明けがとても綺麗でした。昨夕の、吉見百穴横の川のせせらぎも美しかったですね。日曜日の朝の首都高速を利用して、千葉に向かいました。しかし、高速に入るまでが結構掛かりました。高速は結構流れていましたが、ナビがあるといえ、分岐の判断に迷いますね。案の定、神田橋で一度降りてしまいました。再び、高速に入り、京葉道路を通り、市川に来ることができました。料金は、表示されたり、されなかったりで、どうもよく判りませんでした。

■市川の「法華経寺」近くまで来ましたが、ナビの指示する横道にはとても入ることができそうもありません。とてつもなく繋がっている車列を横断して、商店街を通らなければなりません。少し、行ってみると、別の道が見つかりました。なんとか廻って、「法華経寺」に着くことができました。何かイベントがあるみたいで、人が沢山います。ガードマンがすぐに指示をしてくれて、入り口近くに駐めることができました。ラッキーでした。すぐに「五重塔」が見えます。1622年建立、高さは約30mです。寺院改修の寄付集めのイベントをやっているようです。報恩講とは異なるのでしょうか? ここも日蓮宗の本山とのことでした。かつて「法華寺」と「本妙寺」の二つあった寺が一つになった寺です。左手の奥に「山門」が見えました。「山門」まで歩いて行ってみました。ナビに従うと、こちらに来たようです。すると駐車は大変だったかも知れません。東山魁夷美術館も近くにありました。

■参道を戻り、「祖師院」などを見ていると、一段上がったところにいくつかの建物があります。「祖師院」にお参りして、その間を歩いて行くと、「四足門」がありました。これももう一つの目的でした。鎌倉の愛染堂から13世紀中にに移築したといわれています。正面一間、屋根は切妻柿(こけら)葺で、中央本柱間に両開きの扉をつけています。本柱と控柱を海老虹梁という、湾曲した梁でつなぐ珍しい構造ですといった説明書きがありました。

■また、「祖師院」から本堂の方に戻りかけると、立派な門が見えます。二階建で、二階に大きな太鼓がある門です。その先には、日蓮直筆の品々を祭ってある「聖教殿」があると説明がありました。一三重の石塔も見えます。迷いましたが、「聖教殿」に行ってみることにしました。階段を上がり、広い所にでると、右側に巨大な構築物がありました。ちょっと侮れない塔です。説明書きを見ると、伊藤忠太設計でした。後で、後悔しなくて済みました。日蓮自筆の国宝「立正安国論」が所蔵されているのですね。同じ伊藤忠太設計の「築地本願寺」は、好みがあるようですが、この「聖教殿」の様式美は、この造形物に見事にはまっています。廻りの喧噪(けんそう)から離れて、付近には誰もいませんが、他の寺院と離れて、林の中に、誰にも邪魔されずに建っているのも良いですね。塔の廻りには、象や馬、恐らくライオンなどが付いています。阿吽像も実に獰猛(どうもう)そうに見えます。良いものを見させて頂きました。昭和6年の作で、SRC造とのことでした。

■続いて、再び高速にて、南の長南市に向かいました。千葉のゴルフ銀座を通り抜ると、「笠森寺」がありました。たくさんの人が来ています。ここの目的は、「四方懸崖造りの観音堂」です。100円を払い、急な階段を登ると、岩山に木組みが縦横に渡っています。登り切ると、パンフレットを貰いましたが、江戸時代の浮世絵が面白いですね。1028年の建立、その後焼失して、16世紀末の再建とのことです。本当に苦労して建てたと思います。景観も見事でした。

■さらに、高速で北へ向かいました。幕張などを通って、しばらく走ると、「香取神宮」に着きました。何かイベントをやっていた様で、後片付けをしています。「楼門」などは新しいのですが、「拝殿」と「本殿」は重厚ですね。拝殿前の丸い輪が気になります。勝手に潜る訳にはいかなさそうです。祭神は経津主(フツヌシ)で、千木は外削ぎでした。裏面の茅葺きの屋根からは、ススキなどが延びています。先ほどの「輪」の潜り方の説明もありました。500円の初穂料を払い、形代(かたしろ/紙で作った人形)に息を吹きかけ、身体をぬぐい、罪や穢れを取り除いてから、「茅(ち)の輪」を潜るのだそうです。潜り方も、順序があり、3回潜る様に決まっていました。

■「香取神宮」は、関東地方を中心として、日本全国に約400社ある香取神社の総本社です。創建は、<紀元前>643年と伝えられています。「鹿島神宮」と共に蝦夷に対する大和朝廷の前線基地であり、重要視されていたそうです。平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、『延喜式神名帳』によると「伊勢神宮」・「鹿島神宮」・「香取神宮」の三社だけです。その二つが何故、関東に近接しているのか? 不思議ですね。

■暗くなってきたので、利根川対岸、約13km離れた「鹿島神宮」へ向かいました。鹿嶋神宮手前で、「鎌足神社」の看板がありました。鹿島神宮域内にあると聞いていましたが、異なるようです。駐車場に駐めて、かなり暗くなってきましたが、「鹿島神宮」に参拝しました。こちらの神宮は、楼門に対して、横向きになっています。本殿の千木は外削ぎです。かなり暗くなりましたが、奥の宮に行って参拝しました。途中、鹿牧場もありますね。「鹿島神宮」の木々はかなり年数を経ていますが、地面は砂地です。

■「鹿島神宮」は、日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社です。「鹿島神宮」の祭神は、「鹿島の神」という一般名称でも知られ、地震を起こす大鯰(おおなまず)を押さえつける「要石」を、鎮護する地震の守り神とされています。創建は神武天皇1年、<紀元前>660年と伝えられています。これも不思議ですね。私がもう一つ不思議に思っていたのが、大化の改新の中臣鎌足がここで生まれたとされていることです。中臣氏がもともと常陸の鹿島神宮の祭祀者だったという説があるのです。真偽は、かなり危ないと思いますが、気になることでした。

■続いて、「鎌足神社」に行ってみましたが、住宅街の中にあり、真っ暗で殆ど見えません。街の方に戻り、食事と温泉に行くことにしました。温泉は、鹿島セントラルホテル内にある「ゆの華」です。かなり大きな天然風呂でした。停泊は、来たときに通ってきた道の駅「いたこ」ですが、有料道路で150円を払って戻りました。利根川を横断する橋でした。さて、「鎌足神社」が欲求不満です。

「聖教殿」

「笠森寺・観音堂」

「観音堂」の足元

「観音堂」の浮世絵(パンフレット)

「香取神宮・拝殿」

「香取神宮・本殿」

「鹿島神宮・拝殿」

「鹿島神宮・奥の宮」
ページのトップへ


<次へ> 「旅の思い出」トップへ
「旅の思い出・その6」のトップへ
<前へ> 「旅の思い出・その5」へ行く