旅の思い出・その4 <次の記事へ>

040 京都から奈良へ向かう(2009年12月2日の記録)


「妙喜庵」

「京都府庁舎」

「同志社大学」

「平等院鳳凰堂」

「萬福寺」総門
■道の駅「ガレルア亀岡」にて気持ち良く目が覚めました。起きたときは、霧がかかっていましたが、良く晴れてきました。駐車場は、「終日利用可」と「21時まで利用可」の区域分けがされていましたが、関係なかったようです。大山崎に向かいました。「妙喜庵」は大山崎駅の真ん前でした。「サントリー大山崎美術館」も近いですね。市営駐車場に入れるて、「妙喜庵」に行ってみましたが、予想通り、予約以外は入られない様です。1ヶ月前の予約が必要とのことです。「妙喜庵」には、千利休作といわれている日本最古の茶室建築物である「待庵」があります。レプリカが近くの「歴史資料館」にあるとのことで行ってみました。しかし、12月1日から4日までは休みでした。縁が無かったようです。

■京都市内に向かいました。さすがに車の流れが悪いですね。「東本願寺」の前を通って、「京都府庁舎」の前に来ました。1904年竣工の松室重光(京都府技師)の設計です。続いて、「同志社大学」に来ましたが、車を駐めるところがありません。京都市内は、車での観光は無理だということがよく判りました。国の重要文化財に指定されている建物が多数あります。「京都御所」、「相国寺」などがすぐ横にありました。

■どうしても行きたいと思っていた「平等院」に向かいました。3度目だと思います。駐車料金の700円は高いですね。「鳳凰堂」は、撮影しようとしても、どうしても逆光になります。紅葉が丁度見頃ではあったのですが。。。「鳳翔館」を撮影しようと思ってカメラを向けたところ、お姉さんに止められました。型に<はまって>いますね。入るのを止めました。栗生明の2001年の作品です。

■気分を害したので、そこそこに「萬福寺」に向かいました。黄檗宗の総本山です。目的の「総門」までは、結構歩きます。ここでは、巨大な中国風「総門」を見るだけにしました。続いて、なかなか進まない京都の道を「海住山寺(かいじゅうせんじ)」に向かいました。とてつもない山道を車で登ります。途中で止まると、下がってしまいそうな道です。歩いて降りてくる女性が二人います。「海住山寺」に着くと、拝観料が100円と出ていますが、誰もいません。本堂の方に行くと、おばさんが窓から声を掛けてきました。「中を見るなら300円、外だけなら100円を賽銭箱に入れてお参りして」と言われました。目的は、「五重塔」ですから、100円を賽銭箱に入れました。簡単で良いのですが、余りにも味がないですね。大きななすびの腰掛(願いの叶う、茄子の腰掛)があります。棟飾りも変わっています。何故か寺院に狛犬もありますが、愛嬌がありますね。目的の「五重塔」がありました。1階に裳腰が付いている「五重塔」です。1214年、鎌倉時代の高さ17.1mという小ぶりな五重塔です。

■また、急な山道を車で降りると、さきほどの女性二人を追い越すことになりました。途中、通りすがりに、「恭仁(くに)宮跡」がありましたので、寄りました。聖武天皇の悪政の名残というと、怒られそうですね。宮殿を造りましたが、743年末、都の造営は中止されて、紫香楽宮に移り、744年に難波京に遷都、さらに745年、都は平城京に戻された訳ですから、大変な負担だったと思います。

■「浄瑠璃寺(通称、九体寺(くたいじ))」に向かいました。意外と近くでした。着くと、駐車場に縄が張ってあります。「浄瑠璃寺」は、16時までらしいのです。15分ほど過ぎていました。店を閉めているおじさんに聞くと、お寺には入れるだろうと言ってくれました。道路に車を駐めて、細い道を百数十メートル行くと小さな山門が見えてきました。美しい庭です。本堂の格子戸がまた美しい。奥には「三重塔」も見えます。本堂に行って、お参りをすると、格子の隙間から金色に光る阿弥陀如来が見えます。隙間から見るのがまた美しく見えます。感嘆していると、おばさんが入っても良いと言ってくれました。横から300円を払って参拝させて貰いました。ゆっくりで良いと言ってくれましたが、賽銭を入れて合掌。その後、池の周りを三重塔に向かいながら歩きました。本堂を見返すと、雨戸を閉めているところでした。その情景が、なんとも言えない美しいお寺だと思いました。山門を出たところの畑の薄緑がまた素晴らしい、紅葉に良く映えています。

■テレビで見たのですが、池の反対側から本堂を見たとき、本尊の阿弥陀如来像は、前の格子の高さから、胸から上が見えません。しかし夜、蝋燭(ろうそく)でライトアップして見たときに、池に反射して、顔がくっきりと写るそうです。機会があれば、体感したいですね。

■「岩船(がんせん)寺」に向かいました。これもまた近いのですが、次の山という感じです。しかしここも、16時まででした。手前の駐車場は、100円ですが、誰もいないので、空き缶に100円を入れました。門の上の紅葉を僧職が箒で落としています。もう閉まりましたかと聞きましたが、入れてくれそうもありません。「朝早くか、もう少し昼間に来るように」言われました。門から「三重塔」が丁度見えるので撮影させて貰いました。「綺麗ですね」と言うと、返事もなく、「最近改修したそうですね」と続けると「またどうぞ」と言われました。そう簡単には来られないな。。。

■帰り道に漬け物や梅干しが掛かっているので見ると、「きゅうり」の古漬けと「ひの菜」の漬け物がそれぞれ100円で吊されていますので、思わず「ひの菜」の漬け物を買ってしまいました。駐車場に戻るとおばあさんがいたので、「漬け物を貰いました」と言うと、「少し時期が早いけれどね」と言われました。「駐車場のお金は入れましたよ」と言うと、「札幌からかね」と聞かれました。「お寺は閉まっていました」というと、お金を返してくれようとします。断ったのですが、毅然と言われるので有り難く受け取ることにしました。漬け物をサービスして貰ったようなものです。

■帰り道、道に迷うと、茶畑があり、満月が出ています。美しいなと思い狭い道を進むと、クリーンセンターに出てしまいました。こんなところにゴミ処理場があるなんてと思ったのですが、よく見ると仕事で以前、来たことがあります。クリーンセンターから出てきた人に道を教えて貰い、細い道を通り奈良に入りました。道の駅「針・テラス」に停泊です。ここは、温泉はもちろん、なんでもありの超巨大道の駅です。

「海住山寺」なすびの腰掛

「海住山寺」棟飾り

「海住山寺」狛犬?

「海住山寺」五重塔

「恭仁宮跡」

「浄瑠璃寺」本堂

「浄瑠璃寺」

「浄瑠璃寺」三重塔

「岩船寺」
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039 兵庫県から大阪に入る(2009年12月1日の記録)
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「浄土寺」

「五色塚古墳」/前方部より後円部を

「五色塚古墳」から明石海峡大橋を

真ん中が「チャータードビル」
■ついに12月に入りました。旅行31日目です。道の駅「みき」にて起床。よく寝ることができました。大きな道の駅のため、トイレも大きく、数が多いですね。しかもお湯が出ます。これは珍しい。10kmほど車で走ると、「浄土寺」に着きました。見学は、届けが必要との看板がありますが、参拝は自由のようです。「浄土寺(じょうどじ)」は兵庫県小野市にある高野山真言宗の寺院です。本尊は薬師如来と阿弥陀如来、開山は俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)で、建久年間(1190年〜1198年)の創建です。大仏様(だいぶつよう)建築の浄土堂と仏師快慶の大作「阿弥陀三尊像」は特に著名とのことです。重源は、東大寺大仏・大仏殿の鎌倉期復興に尽力した人ですね。確かに東大寺を思わせる寺造りです。遠望すると市内に朝靄がかかっており、山の頂だけ浮き上がって見えます。寺の中心には、八幡宮がありました。不思議ですね。八幡宮ですが、千木は内削ぎ、ということは、神功皇后でしょうか?

■元来た道を通り、「神戸」に向かいました。垂水区という住宅街の真ん中に目的の「五色塚古墳(ごしきづかこふん)」があります。「五色塚古墳」は、兵庫県下最大の前方後円墳で、別名「千壺(せんつぼ)古墳」といい、築造年代は4世紀末から5世紀初頭と推定されている全長194mの古墳です。駐車場もしっかり確保されています。見学には、事務所への届け出が必要とのことで、事務所に寄って「北海道」と記入すると不思議そうな顔をされました。非常に手入れが良い前方後円墳の復元ですが、改造成して、40年も経つとは信じられませんね。葺石に余り草が生えていないので、聞くと、近々、航空写真を撮影し直すために、草刈りをしたそうです。人力作業とのことです。後円部に登り、前方部を見ると「淡路島」が見えます。「明石海峡大橋」も見えます。復元された「前方後円墳」と青い空が見事な景観をつくっています。帰りに事務所に寄ると、空から撮影した写真もありました。貴重な経験をさせて頂きました。

■神戸市内に入り、海岸通りの「チャータードビル」、「ムスリムモスク」を見学しました。その後、「兵庫県庁」見に行きました。「兵庫県庁」は、1902年に建てられた回廊式のフランス・ルネッサンス様式の建築です。近くの歩道橋の幾何学的デザインが面白いと思いました。復活した三宮駅前を通り、山の手方面に行きました。

■山の手通りには、異人館が建ち並んでいます。「風見鶏の館」、「萌黄(もえぎ)の館」、「うろこの家」などを一通り見てきました。「北野天満宮」があったのが気になりました。折角ですから、この辺りのレストランで昼食も取りました。

■一路、「西宮」に向かいました。村野藤吾の「西宮トラピスチヌ修道院」を見たかったのですが、上にある「鷲林寺(しゅうりんじ)」から塀越しに眺めるだけしかできませんでした。当然といえば、当然なのでしょう。続いて、「尼崎」に向かい、村野藤吾の「尼崎市庁舎」まできました。1962年の作品です。40年以上も経っているとは思えないほど、素晴らしい直線的なデザインですね。廻りが池に囲まれています。

■続いて、茨木市にある安藤忠雄の「光の教会」に向かいました。千里ニュータウンにほぼ近いのですね。千里の「万博跡」は鬱蒼(うっそう)としています。40年前が嘘のようでした。「光の教会」は住宅街の中にありました。施工は大変だったでしょうね。「今日は、行事があるので予約をしてから来て下さい」という張り紙が出ていました。来る人も多いのでしょうね。

■「光の教会」から、ナビの推奨に従って道の駅「ガレリア亀岡」へ向かいました。30kmほど距離があるのですが、相変わらず推奨の割には、山道、細い道、失敗だったかもしれません。道の駅「ガレリア亀岡」は、巨大な道の駅でした。図書館まであります。大空間も演出しています。しかし食事は、15時までと信じられないですね。近くには、コンビニやラーメン店はあるのですが、食事処風がありません。仕方がないので、ラーメンチェーン店に入ったのですが、お客より従業員が多い感じです。注文を聞いてから、紙に書いて、別な人に渡します。その人が中国語で発注します。しかし、実際に作っているおじさんは、すでに作業にかかっています。そのような訳で、すぐに注文した品が出てきました。道の駅「ガレリア亀岡」の大浴場は、施設の割に小さい中浴場でした。

「ムスリムモスク」

「兵庫県県庁」

「風見鶏の館」

「萌黄の館」

「うろこの家」

「西宮トラピスチヌ修道院」

「尼崎市役所」

「光の教会」
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038「備中国分寺」から「吉備津神社」「吉備津彦神社」「後楽園」「姫路城」など(2009年11月30日の記録)


「備中国分寺」

「備中国分寺」五重塔

「造山古墳」

「造山古墳」の上を歩く

「作山古墳」
■「備中国分寺」の駐車場の朝は、他に車も無く、静かなところでした。朝の気温が2度、結構な寒さです。22時には寝ましたが、6時過ぎまで寝てしまいました。駐車場から散策しようと、車を出て歩き始めましたが、結構な距離があります。車に戻り、車で行くことにしました。迷路の様な狭い道が続きます。何とか別な駐車場風な場所を見つけて、国分寺跡に行きました。「五重塔」が風景にあっていますね。南北朝時代に1度焼失し、1821年ごろから位置を変えて再建、高さ34.32mだそうです。江戸時代後期の様式を色濃く残す岡山県内唯一の五重塔です。南門の跡などがありましたが、かつての寺域は相当広かったと思われます。

■国分寺跡の郷土資料館は、休みのようでした。続いて、「造山古墳」に向かったのですが、なかなかたどりつけません。近づいたと思うと、道が離れていきます。案内もありません。観光は考えていないのでしょうか。仕方が無いので、道路が広くなった所に車を駐めることにしました。しばらく歩いて「造山古墳」に行くと、階段があり、歩いて登られる様です。どうもその横が駐車できたようです。道が狭いため、諦めた先にあったようです。

■前方後円墳である「造山古墳」の前方部から石段を登ると、墳丘の段が残っています。前方部のせり上がりを感じられますが葺石は見えません。石段を登ると神社が見えてきました。神社で参拝すると横に石槨があり、屋根が掛かっています。蓋も無く、荒れた状態です。後円部が見渡せるので歩いて行くと、雑草を刈り取っていました。そのおじさんの一人が寄って来たので、「遠くから来ました」と言ったのですが、素っ気ないですね。造山古墳(つくりやまこふん)」は、古墳時代中期の巨大前方後円墳です。墳丘の長さ約350m、後円部復元径約190m、後円部高さ約29m、前方部幅215m、高さ19mの三段築成の墳丘をもっています。墳丘の長さでは、大仙陵(仁徳天皇陵)古墳(約486m)、誉田御廟山(応神天皇陵)古墳(約420m)、上石津ミサンザイ古墳(約365m)につぐ4番目の大きさです。誰でも立ち入ることができる古墳としては日本最大であるとのことです。

■その後、やはり近くにある総社市の「作山(つくりやま)古墳」に向かいました。こちらも同じ呼び名ですが、地元では造山古墳は「ぞうざん」、作山古墳は「さくざん」と区別して呼んでいるそうです。こちらも前方後円墳のようです。

■備中国一宮の「吉備津神社」へ向かいました。「桃太郎伝説」や「鳴釜の神事」が有名ですね。本殿に社が二つ平入りで並ぶ造りは特徴的です。裏側にも長い屋根が続く道がありますが、「吉備津彦陵」の方に続いているのでしょうか。かつての吉備国の栄華が忍ばれます。

■「吉備津神社」を出て、車で「吉備津彦陵」の方に向かいました。狭い山道が続きますが、こちらからも遠回りして、「吉備津彦神社」に行けるようです。途中、「古代吉備文化財センター」があり、その向かいの奥に黒光教の本部がありました。広い道に出ましたので、備前国一宮である「吉備津彦神社」に向かいました。名前がややこしいですね。構えはこちらの方が大きいようです。丁度、結婚式がありました。白無垢姿が見えます。「吉備津彦神社」は、拝殿と本殿の間に、祭文殿(さいもんでん)と渡殿(わたりでん)があり、祭殿が4つも繋がる特異な造りです。

■「吉備津彦神社」を出て、ナビをみると「後楽園」が近いので向かうことにしました。紅葉も終わり頃で、芝生が枯れかけていますが、非常に手入れされた庭園です。岡山城も見えました。ただ、騒がしい団体に囲まれたので、逃げるように先を急ぎました。公園内は、建物がいくつもあり、複合した景観が美しいと思います。

■この後、、ナビを調べると、「倉敷」までは22kmも戻らなければならないようです。どうも、順序を間違えた模様。さらに、インターネットで調べると、「直島」も「地中美術館」が月曜日休みとのことです。今回は、「倉敷」と「直島」は諦め、「姫路」に向かうことにしました。国道2号線は、とても混んでいます。何とか「姫路城」まで来ましたが、以前に登っているので、今回は外観のみにしました。「姫路城」は、夕日に美しく映えていました。

■停泊は、道の駅「みき」です。途中、バックミラーに映る夕日も感動的でした。道の駅「みき」は、大きな道の駅です。近くに「湯庵(ゆうあん)」という温泉もありました。

「吉備津神社」

「吉備津彦神社」

「吉備津彦神社」配置図

「後楽園」

「岡山城」/後楽園より

「後楽園」

「姫路城」
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037 高松などを経て、本州の備中松山城(2009年11月29日の記録)
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高松市の「峰山公園」

「石清尾古墳群」/前方後円墳

さぬき市の「石灯籠」

「志度寺」山門
■道の駅「みの」の朝は、巡礼の人たちが多く、車も混んでいました。昨夜は、プールに入ったり、ビールを飲んだりしてぐっすり眠ったためか、昨日の体調の悪さが嘘の様です。香川県の坂出市を経由して高松市内を通り、「峰山公園」に向かいました。山の遙か上にあり、高松市内が展望できるところです。

■「石清尾山(いわせおやま)古墳群」という、4〜5世紀に築造された相当数の古墳があります。大きな切石の積み塚が見えてきました。古墳の立て看板がいくつもあり、ハイキングロードになっています。積み石、即ち古墳の上を注意しながら歩きました。どちらかというと、荒れ放題といった感じです。「石船古墳」という案内がありました。よく見ると、前方後円墳のようです。後円部に「石槨」が複数残っています。放置された感がちょっと悲しいですね。さらに先に行くと、「双方中円墳」らしい積み塚がありました。その上を注意しながら歩いたのですが、こちらの石槨部は明確ではありません。言われなければ、「双方中円墳」とは判らないと思います。古墳を覆っている「葺石」は、この辺の地山自体の石を切り出したものと思われます。全体が「峰山公園」となっているようです。ハイキングというより、トレーニング中のおじさんと数名会いました。後で調べると、栗林公園の裏山となり、夜景の名所とのことでした。

■さぬき市にある「志度寺(しどじ)」を目指しました。途中、平賀源内の旧家がありました。不思議な石灯籠が通りにありました。後で調べると、1846年にもとや醤油初代当主小倉嘉平が灯台代わりに建てたものらしいですね。「志度寺」の手前の「常楽寺」には、平賀源内の墓もありました。「志度寺」は、四国八十八ヶ所霊場の第86番札所です。福山市の明王院五重塔を模して、1975年に建立された、高さ33mの五重塔があります。紅葉に映えていました。各建物の棟飾りが特徴的でした。

■続いて、日曜日の高速を利用して、一気に本州に向かいました。四国も3泊4日で駆け抜けたことになります。途中、与島で昼食を取りましたが、対岸に「瀬戸内美術館」が見えています。当初、直島に行く予定でしたが、一気に高梁(たかはし)市に向かうことにしました。高梁の田園風景は素晴らしいですね。紅葉が良く映えています。石壁で築堤した上に建っている立派な家が多いのも印象に残りました。「備中松山城」も見えてきました。日本一高い位置に立つ城ですね。その麓の寺院街を進むと、車がやっと通ることができる道ばかりです。少し、苦労して「常林寺」を探し当てることができましたが、人の気配がありません。「永平寺」の天井絵を模した本堂があるとのことですが、すべて閉めきっていました。何か拒否されているように感じて、中には入りませんでした。

■その近くの「寿覚院」に行ってみましたが、こちらも車で道を上がるのが大変です。「寿覚院」に着くと、本堂の扉が開いています。奥に老女がいるので挨拶をすると、丁寧な挨拶が返ってきます。気を良くして、お参りをして本堂に上がりました。念願の「火龍の欄間」は、すぐ目に入りました。予想以上に色が残っています。後で調べると、今回はパスした「山田方谷(記念館)」との縁もあるようです。

■帰り道は、またまた車が廻るのが大変でした。それから「備中松山城」に向かいました。途中で、通りがかりのおばさんに「札幌の車だ」と指さされてしまいましたが、「備中松山城」への山の入口の駐車場から、シャトルバスへの利用を求められました。土日は、制限をしているようです。でも乗っている客は一人です。ところが、大変なのはこれからでした。シャトルバスが着いたのは、城まで700mも山道を残したところでした。約20分で登り切れると聞いて、張り切って登り始めたのですが、息が切れる登山です。相当、大変でした。やっとのことで登り切ると、大きな石垣の上に、木造のままのお城がありました。小堀遠州も城主として治めた城です。その後、城主の交代もあり、山田方谷が執政として無血開城を決めたとき、城受け渡しに来たのが赤穂藩で、大石内蔵助が代官として、1年間住んだとのことです。しかし、帰り道も大変でした。

■高梁市内を走ると、すぐに「高梁基督教会」が見つかりました。松山城ですれ違った、若い団体も後から来ました。恐らく建築系の学生のようです。すぐ前の川のせせらぎが紅葉とともに美しい印象です。「高梁基督教会」は、紺屋川筋の一角にある木造2階建ての教会(擬洋風)です。1889年に建てられたものです。

■今日の停泊場所は、総社市の国分寺跡の駐車場に停泊を決めました。その手前に「サンロード吉備路」という国民宿舎があり、温泉と食事をそこですますことにしました。テレビでは、「坂の上の雲」をやっていました。

「志度寺」五重塔

「与島」

高梁市内

「常林寺」

「寿覚院」火龍の欄間

「備中松山城」石垣

「備中松山城」

「高梁基督教会」
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036 足摺岬から四国を縦断して(2009年11月28日の記録)


「足摺岬」の夜明

「金剛福寺」

「金剛福寺」にて

「大岐の浜」

四万十市の「とんぼ公園」
■足摺岬に着いたのは、朝の5時半でした。日の出を見ようと思いましたが、残念ながら曇っています。薄暗い中を岬の先端まで行ってみました。何ともいえない、製紙工場の様な臭いがこもっています。「ジョン万次郎」の銅像もあります。岬の先端に行くと、曇ってはいますが、群青の空間に、回転する灯台の光が規則正しく鮮やかに浮かび上がります。波の音も激しく反響しています。自殺の名所とのことですが、雄大な自然を感じますね。少し、北に向かい「天狗の鼻」という所にも行ってみました。ここからも灯台が見えます。すると、灯台の下の方に船がいます。日の出ツアーでもあるのでしょうか?何度も、岩場を出たり入ったりしています。波が荒いので、結構危険に感じます。

■車に戻る途中、。藪の方から、巡礼姿の男の人が一人歩いてきました。大きなリュックを背負っています。テントで野宿でしょうか?五重塔が見えたので、「金剛福寺」に寄ってみました。よく手入れされたお寺です。四国八十八ヶ所霊場第38番札所です。五重塔に見えたのは、多宝塔でした。帰りがけに門のところを見ると、先ほどの巡礼がリュックだけを置いたままにしています。不思議な景色を感じました。

■朝食を済ませ、四万十方面に向かいました。途中の道は、木々の間を抜ける細い道です。またナビに騙されているのでしょうか?海岸線に出ると、途中にあった「大岐(おおき)の浜」の白砂は美しい景色でした。四万十市は合併によって、大きくなったようです。行けども行けども四万十市といった感じです。「とんぼ公園」に寄り、休憩をしました。

■続いて、高知へ向かいましたが、どうも体調不良です。肩が凝り、体の節々が痛いので、11:00ころ車を駐めて、20〜30分ほど寝ることにしました。体力回復には、これが一番です。寝ている途中、後ろで話し声がうるさいので、起きてみると、わざわざ人の車のすぐ後ろで、犬を売っているおじさんがいます。すっかり目が覚めてしまいました。いつもの自分の場所なんでしょうね。

■高知市内に入りました。目的は、「高知県知事公館」なのですが、見つけられません。高知県庁付近をウロウロしましたが、それほど強い興味もなかったので、諦めて「竹林寺」に向かうことにしました。ここには、1986年建立の総檜造りの五重塔があります。「竹林寺」は、丁度、紅葉が見頃になっていました。美しい五重塔ですね。高さは31.2mとのことです。第31番札所でもあります。

■高知市内を出るときに、「高知県立美術館」が目に入りましたので、少し寄ってみました。1993年竣工とのことですが、少し壁が汚れているのが気になりました。さらに先へ進む途中、名物のうどんを食べたのですが、余りの量の多さに飽きてしまいました。

■そこから高速で、一気に高松方面に向かいました。紅葉が見事ですが、トンネルばかりですね。高くついた高速だったとおもいます。そして、「本山寺(もとやまじ)」に着きました。第70番札所です。1910年建立の五重塔、高さは38mあります。初層の梵字入り「蟇股(かえるまた」が気になります。写真では、判りにくいのですが、各層にある回縁が特徴的ですね。

■続いて、「観音寺(かんおんじ)」も近くなので、寄りました。「寛永通宝」の銭形砂絵が有名ですね。同時に「琴弾八幡宮」もあり、第69番札所と第68番札所が二つある、珍しい一寺二霊場です。さすがに巡礼の人が多いですね。鐘堂は、天井まで彫刻が掘ってあります。凄いですね。観音寺の一番上の方まで、登って見ましたが、「寛永通宝」は不明でした。車で、観音寺の裏の琴弾(ことひき)公園にも行ってみましたが、判りません。途中、迷路のようなところに入ると、「銭形」の看板がありました。登る車路があり、行くと展望台がありました。ここでした。不思議な形をした巨石が置かれてあり、その上に登ると銭形砂絵の「寛永通宝」を見ることができました。海岸線も美しく映えています。「銭形を見たものはお金に不自由しない」そうですから、来たかいがあるというものです。

■今日の停泊場所は、道の駅「みの」にしました。プールもありますが、15mの短いプールでした。みんなプールを歩いていますね。人が少なくなったころを見計らって、少し泳ぎました。温泉も広く、くつろげます。レストルームもあり、ゆっくりとした気分を味わいました。マッサージ機などをして、28日振りのビールを飲んでしまいました。「寛永通宝」の御利益のせいでしょうか?28日振りの、ビールはかなり効きました。

「竹林寺」五重塔

「高知県立美術館」

「本山寺」五重塔

「本山寺」五重塔の初層

「観音寺」鐘堂

「琴弾公園」銭形砂絵を見る台?

「銭形砂絵」
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035 大洲から宇和島を通って、足摺岬まで(2009年11月27日の記録)
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「大洲神社」祓殿

「大洲神社」本殿

「臥龍山荘」

「臥龍山荘」
■道の駅「清流の里ひじかわ」から、再び小藪温泉を訪ねた後に、大洲へ向かいました。ナビは、川添いにゆったりとした道を案内します。よく見ると、昨夜、暗い中を走った険しい道が川の反対側です。なんということでしょう。

■大洲に着いて、「臥龍山荘」と書いた無料駐車場がありましたので、ここに車を駐めました。歩いて行くと、「大洲神社」の石段が見えます。道路を掃いていたおばさんに聞くと、実に親切に教えてくれます。石段を登って、神社から見下ろした景色が素晴らしいそうです。迂回路もあり、そちらが楽に登られると教えて貰いましたが、石段に挑戦することにしました。辺りの紅葉が実に見事です。

■「大洲神社」は、1331(元徳3)年、宇都宮豊房が「大洲城」を築城した際に、城内総鎮守の神として下野国二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)より勧請し、太郎宮と称したが、大正3年に久米神社、恵比須神社を合祀して「大洲神社」と改称したそうです。「大洲神社」は、天照の前に大國主を上げています。事代主も祭っていて、恵比寿さまの大きな石像もあります。拝殿の奥に本殿があるのは普通ですが、本殿が2重にある配置です。後で調べると、「祓殿」と「本殿」のようです。「本殿」から坂を下りていくと築地塀があり、そこが「臥龍山荘」でした。ここまで車でも来られたようです。

■おじさんがカメラと三脚を手に、塀の外から紅葉を撮影しています。受付に行くと、「大洲城」との共通券が800円で売っていました。庭は撮影しても良いが、室内はダメと言われましたが、どうも思わせぶりな言い方をします。多少、映るのは仕方がないと言っているように聞こえました。室内から庭を撮るのは良いですねと念を押してしまいました。「臥龍山荘」には、建物がいくつもあります。実に多彩、茶室もあり、懸崖造りの建物もあります。庭を掃除しているおじさんに聞くと、紅葉は今日が一番良いとのことです。週末、雨が降るだろうから、その後は紅葉が落ちてしまうだろうと言われました。先ほどの三脚を持ったおじさんが塀の外から撮影しています。看板があり、「外から撮影しても有料ですよ」と書いてありますが。。。他に来客もなく、しばし紅葉の中に埋もれていました。

■続いて、「大洲城」へ向かいました。「大洲城(おおずじょう)」は、天守の高さが石垣の上から19.15mあり、本来なら建築基準法では木造が認められないのですが、大洲市が2年近い折衝をして、保存建築物として建築基準法の適用除外が認められ、往年の複合連結式による天守群の復元に至ったそうです。寄付が主体というのも凄いですね。大洲城復元の関係者が「2005年度日本建築学会文化賞」、「第7回国土技術開発賞最優秀賞」、「第1回ものづくり日本大賞」を受賞しています。

■市役所の駐車場が有料ですが、空いていました。坂を上り「大洲城」へ登ると、途中、花が咲いている木があり、通りかかったおじさんに聞くとサザンカだと教えて貰いました。お城は、古い部分もありますが、、本当に作り直したお城です。ビデオ映像では、地元の檜(ひのき)を使ったと説明しています。2階からは、相当急な階段となります。最上階まで登って見ましたが、見事な造りでした。充分、価値があります。結局、帰るまで誰も来ませんでしたが。。。

■宇和島に向かいました。宇和島城は遠目に見えます。宇和島では、コインランドリーなどを含めて、ゆっくりしていましたが、思い切って、この後「足摺岬」まで行ってみることにしました。足摺温泉郷には、テルメという施設があり、日帰り温泉可能とのことです。暗い夜道を走りました。信じられないような細い道もあります。途中、「鳥」かと思うものが落ちてきてボンネットにドスンと当たりました。結局なんでもなかったようです。一体、何だったんだろう?

■18時15分ころにテルメに着きました。実に立派な施設です。しかし、食事は予約でなければダメだとのことです。〜信じられない! 温泉は、22時まで開いているとのことで、カウンターで教えて貰ったレストランにて食事をしました。テルメの従業員が時々行く、レストランのようです。レストランの人に、足摺岬の駐車場で停泊しようと思っていると聞くと、あそこは自殺の名所だから、夜は余り地元の人は行かないとのことです。新年の「朝日の出」には結構行くそうです。テルメは、経営不振で市が撤退して現状になったと教えてくれました。テルメの駐車場に止めれば良いとも教えてくれました。でもこれは、ガセ情報でした。翌朝早くに、足摺岬の駐車場に行ったのですが、立派なトイレもあり、たくさんの車が駐まっていました。レストランでは、朝日を見ようと思っていると話すと、足摺岬の天気は、高知とは違い、宮崎が近いとのことも教えて貰いました。

「臥龍山荘」

「大洲城」

「大洲城」のサザンカ

「大洲城」内部

「大洲城」天守閣にて

足摺岬へ向かう「吉田港」

足摺岬へ向かう「吉田港」

足摺岬へ向かう/沈む夕日
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034 瀬戸内海を渡り、「耕三寺」「大山祇神社」そして、今治、松山へ(2009年11月26日の記録)


山陽から四国への行程

「耕三寺」

「耕三寺」五重塔など

「耕三寺」

「耕三寺」考陽門

「耕三寺」

「耕三寺」

「耕三寺」未来心の丘

「耕三寺」潮聲閣
■道の駅「沼隈」は、小さな道の駅でしたが、車中泊は割と快適でした。海岸の造船工場地帯を通って、「西瀬戸大橋」へ向かいました。朝の通勤割引を使って、生口(いぐち)島へ渡りました。「西の日光」と称せられる「耗三寺」です。大正・昭和期に大阪で活躍した実業家の金本福松が、個人で建立したものです。想像を遙かに超えるものがありました。「陽明門」を模した「考陽門」、「平等院鳳凰堂」を模した「本堂」など、五重塔、多宝塔などなど、膨大な数の建物が所狭しと配置されています。「千仏洞地獄峡」という地下350mの地下霊場トンネルもあります。山の頂には、「未来心の丘」という大理石で造ったエーゲ海を思わせる丘まであります。ここからは瀬戸内海が一望できます。母のために造ったという「潮聲閣」は、どれほどのお金をかけたか想像を絶する資材を使っています。余りにも派手すぎて、食傷気味になりました。

■続いて、大三島に渡り「大山祇(おおやまずみ)神社」まで来ました。山の神、海の神、戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社です。海上自衛隊の制服を着た人もお参りをしていました。全国に一万社余りある山祇神社、三島神社の総本社とされますが、三嶋大社の方は別な見解を持っているようです。静かに落ちついた佇(たたず)まいです。樹齢数千年?といわれる樹木が並んでいます。天照大御神の兄を祭った神社とのことです。祖霊社まで上がってみました。帰りがけに、近くのお土産屋さんで、ミカンを8個も使ったミカンジュースを飲んできました。150円というのが何か申し訳ないような気がしました。近くの「大将」という食堂に入ったのですが、評判の店だったようです。850円のスペシャル丼を食べてきました。

■大きな3連続の橋を渡り、今治に着きました。丹下健三の「今治市庁舎」・「公会堂」・「市民会館」があります。もう一つ目的の「愛媛信用金庫今治支店」は見つけることができませんでした。次に松山に向かい、「石手(いして)寺」に来ました。絵画や像が多く、かなり癖のある寺です。烏天狗?の石像もあります。「三重塔」は、鎌倉時代のもので、高さが24.1mあります。

■この後、道後温泉、松山城を横目に、「萬翠荘」に向かいました。「愚蛇仏庵」「坂の上ミュージアム」などを訪れた記録は、<建築>に書きましたので省略します。
http://members3.jcom.home.ne.jp/officewhite/architecture.html#arc_gudabutu
今日の停泊場所は、道の駅「清流の里ひじかわ」です。

「耕三寺」潮聲閣の天井

「大三島」へ渡る

「大山祇神社」

「今治市民会館」

「石手寺」

「石手寺」三重塔
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033 広島から、尾道、福山へ(2009年11月25日の記録)
※枠がある画像をクリックすると画像が開きます。


「上田宗箇上屋敷」

「平和記念公園」

「平和記念公園」

「原爆死没者追悼平和祈念館」
■道の駅「スパ羅漢」を朝の6時半に出発しました。広島市内の朝のラッシュを避けるためです。紅葉が満ちた景観を広島市内目指して走りました。8時過ぎには、目的の「上田宗箇上屋敷」に着きました。時間が早いので、コンビニでオニギリを買って朝食です。ころあいを見て、門に入ると、庭を掃除しているおじさんがいます。管理の方を呼び出して頂きました。どうして此処を知ったかと聞かれましたが、こちらも良く覚えていません。北海道から来たと説明をしましたが、年間に春だけの公開とのことです。残念ながら、諦めることにしました。とはいえ、少しだけ見学ができた次第です。

■広島市内を通り、「平和記念公園」に行きました。被爆した「旧燃料会館」がすぐ目に入りました。現在はレストランになっています。続いて、「原爆ドーム」に向かいました。ここに来るのは2回目ですが、ゆっくり時間をかけてドームを廻りました。意外に、外人が目につきますね。そこから軸線に沿って、「平和記念資料館」に向かいました。「灯火」があり、「モニュメント(慰霊碑)」が一直線上にあります。初めて、慰霊碑を通して「原爆ドーム」を目にすることができました。イサム・ノグチと丹下健三の逸話を思い出します。

■「平和記念資料館」のピロティから噴水が見通せます。改めて、丹下健三は天才だと実感しました。直線をじっくりとかみしめて、歩かせて貰いました。「平和記念資料館」の柱が変形なことを初めて気がつきました。

■「原爆ドーム」の方に戻ると、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」がありました。これも2002年の丹下作品です。円形の建物ですが、地下にどんどん潜って行きます。中にはモニュメントや被災時のスクリーン表示があります。被災した人の映像なども映っています。地下に潜ったという意味もあるのでしょうが、地下に潜らざるを得なかったのが現実だったような気がします。それほど、初期の作品が偉大だったのではないでしょうか?

■広島市内を通り、村野藤吾の「世界平和記念聖堂」に向かいました。隣にあった、「イエスズ会修院」も見事ですが、「世界平和記念聖堂」は村野藤吾の最高作品の一つには間違いないと思います。設計コンペの審査員の一人であった村野藤吾が、1位該当無し、2位丹下健三の結果を外して、自ら設計したといういわく付きの1954年竣工の建物です。丹下案が外された最大の理由が「音響」だったことらしいのですが、真意は判りません。正面に、建物概要の銘板があり、村野を讃えることが書いてあります。外観も村野らしいのですが、内部も、素晴らしい空間ですね。特に、ステンドグラスに感動しました。

■海岸線を走り、尾道市へ向かいました。途中にあった、「瀬野八」というJRの高架は特徴的ですね。広島を出てから、渋滞が多いため高速に入ることにしました。途中、瀬戸内海の島々が見えます。山上に「尾道城」も見えました。尾道城は、1964年竣工の展望台らしいですね。

■尾道の「天寧寺」に着いたのですが、駐車場がありません。なんとか見つけて、駐めることができました。尾道は、さすがに坂道が続きます。「天寧寺」の本堂にはすぐ着いたのですが、三重塔にはなかなか行きつけません。元は、五重塔を三重にしたという説明書きまでやっと辿(たど)りつきました。三重塔を横目に見ながら、石段を登り続けると、尾道の寺社巡りの散策路があります。文学碑やら小じゃれたお店もあります。結構、いろいろな人が歩いています。スケッチをしている人もいます。振り返ると、瀬戸内海と鉄橋が美しいですね。どうも、道を間違ったようですが、三重塔にやっと出ることができました。

■駐車場に戻り、車で「西郷寺」に向かいました。やはり、駐車場が無いので、近くの図書館に駐めさせて貰いました。ここの本堂は、「鳴き龍天井」だそうですが、閉まっているので、外観だけにしました。車も気になります。尾道観光は大変だと思いました。

■続いて、「西國寺」に行くと、ここは一番の山の上ですが、駐車場があります。構えの大きなお寺です。美しい三重塔がありました。ここから見る瀬戸内海も美しいですね。「西國寺」は、奈良時代の創建です。その後、「浄土寺」に向かいました。多宝塔が美しいですね。かなり古い建物(失礼)がありましたので、撮影をして来ました。

■福山の「明王院」に向かいました。ナビにまたもや騙されながらもたどり着けました。厳かな佇(たたず)まいのお寺です。石段を上がると、中国地方最古の五重塔が美しいバランスで建っています。1348年建立、高さが29.14mです。隣には、「草戸稲荷」がありましたが、懸崖造り風に豪壮な造りの建物でした。今日は、近くの「神勝寺温泉」に入り、道の駅「沼隈」にて停泊をすることにしました。

「イエスズ会修院」

「世界平和記念聖堂」

「世界平和記念聖堂」内部

「世界平和記念聖堂」内部

「天寧寺」

「西郷寺」

「西國寺」

「浄土寺」

「福山明王院」
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032 由宇から「錦帯橋」「厳島神社」、そして広島近く(2009年11月24日の記録)


「由宇」の朝

「由宇」の稲荷神社

「銭壺山」

「霧峰神社」

「錦帯橋」
■「由宇」の朝も良く冷え、気温が零度近くまで下がりました。近くに「稲荷神社」があるので、参拝をしましたところ、何と神社の山側の奥にカラオケボックスがありました。閉鎖していましたが、すこしガッカリです。付近の景色は日本の原風景です。海岸通りにも行ってみました。こちらは、整備された南国風のビーチがありました。

■背後の「銭壺山(ぜにつぼやま)」に車で登ってみました。6キロ以上の結構な山道です。標高540mの山頂近くにキャンプ場や宿泊施設があります。山頂は小公園になっていて、看板がありました。慶応元年(1865年)の「四境戦争(長州征伐のことを地元ではこう呼ぶのですね)」の時に、岩国藩の由宇組民兵が駐屯したそうです。山頂より北西に少し下りた辺りに「権坊藪(ごんぼうやぶ)」という、江戸時代末期頃まで修行僧が住んでいたところがあるらしいのですが、現在は木々がうっそうとしています。

■少し山道を降りると、「大将軍山」(標高429m)への尾根道があります。車には、かなり険しい山道ですが、行ってみました。カーブを一度で廻りきれないところが2カ所ありましたが、山頂まで行くことができました。山頂は、少し広くなっていて、NHKのアンテナもありました。その少し上に「霧峰神社」があります。石段の参道もあります。軍事的な擁壁もあり、大型の鍋などもあります。ここにも立てこもったのでしょう。折角ですので、参拝して記帳をしてきました。記念にお札も頂いてきました。すべてに連番が付いていました。「霧峰神社」は海上鎮護の神社として、大内義隆が奉祀し、江戸時代には四国の「金比羅山」と肩を並べるほどの参拝客を集めたらしいですね。尾根伝いではない、本来の道で、由宇町内に戻り、「錦帯橋」に向かいました。

■「錦帯橋」は、姿が良いですね。橋を歩いて渡ると、正面の山上に「岩国城」が見えました。昼になったので、「錦帯橋」を戻り、近くのお土産屋兼食堂に入りました。暖かいものが食べたいので、「カレーうどん」を頼んだのですが、出てきた「カレーうどん」は、うどんに本物の「カレー」が載っていました。いや〜、美味しかった。これが本ものの「カレーうどん」だと思いました。

■「厳島神社」に向かいました。「宮島」に車を置いてフェリーに乗りました。駐車場のおじさんが、満潮だから、今出る船はJRなので、鳥居の前を横切るよと教えてくれました。フェリーは寒いので、客室に入っている人が多いのですが、北国育ちの私にはそれほど感じませんでしたので、デッキから外の景色を眺めていました。3階建ての船です。 10分くらいで「厳島神社」に着きました。フェリーターミナルから「厳島神社」までは結構歩きます。満潮のため、階段が数段浸かっていいます。歩いていくと、途中から沖の鳥居の横を通りながら、神社に入るのですが、神社なのに、拝観料?を300円徴収しています。まあ良いでしょう。

■予想はしていましたが、、美しいですね。平日でも、人が多く、外人も多いですね。神社の中に入った頃から、雨が降ってきました。傘を持ってきていない人が多いのですが、傘を持ってきて正解でした。見所が満載です。先端まで歩くことができます。その後、「千畳閣」、「五重塔」などを見て戻ることにしました。「五重塔」は、バランス良く、綺麗な塔です。石段に落ちた紅葉が美しいですね。帰り道は、どうしてもお土産屋の前を通らせるようになっています。「大しゃもじ」などもありました。

■雨が強くなってきたので、広島行きは今日は諦めることにしました。調べると30キロほど内陸に、道の駅「スパ羅漢」があるので向かいました。広島近辺は、道の駅が少ないですね。スパ羅漢は景観の良いところです。食事は、やまべ定食を頂きました。結構なご馳走でした。温泉は、予想以上でした。露天風呂付きの広い温泉に最後まで一人でゆったり満喫させて頂きました。梅酒が美味しかったですね。駐車場には、らしき車はもう一台だけの自然の中の車中泊でした。

「厳島神社」

「厳島神社」

「厳島神社」

「厳島神社」五重塔

「厳島神社」

「厳島神社」大しゃもじ

道の駅「スパ羅漢」
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031 宇部の村野藤吾から山口の「瑠璃光寺」「八坂神社」(2009年11月23日の記録)
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道の駅「きくがわ」の朝

「宇部市民会館(渡辺翁記念会館)」

「宇部文化会館」

「宇部興産ビル」
■道の駅「きくがわ」の朝は、気温3度まで下がりました。7時近くまで、朝寝坊をしました。辺りは田園風景です。朝霧が出て、絵のような風景です。思わず写真を撮ってしまいました。今日の旅は、宇部の村野藤吾巡りです。最初は、「宇部市民会館」です。現在は、渡辺翁記念会館になっています。村野の出世作ともいえる作品です。この作品を契機として、宇部に1939年から1953年にかけて、村野の作品が次々と誕生します。「文化会館」は、市民会館と繋がってその隣にありました。近くで見ると同じように見える外壁タイルですが、遠くから見るとかなり反射が違います。

■「宇部興産ビル」を捜したのですが、見つかりません。インターネットで調べると、全日空ホテルがそうでした。大きな建物です。村野藤吾の遺作とのことです。一見、村野風には見えなかったのですが、窓廻りの工夫がそうですね。エントランスの漏斗状の柱は、ライトのジョンソン・ワックスビルを思い出させてくれます。「宇部銀行本店ビル」は、結局見つけられませんでした。

■続いて、山口の「瑠璃光寺」に向かいました。大内氏の重臣の陶(すえ)弘房の菩提寺です。曹洞宗の寺院ですが、大内氏や毛利家も祭っています。全体が香山公園となっていますね。五重塔は、スタイルが良いと思います。紅葉に良く映えて、美しい五重塔です。2層目の回縁に特徴があり、そばで見上げると、青い空に映えて神々しく輝いているように見えました。高さは、31.2mです。本堂横には、一畑薬師の分院もありました。本尊が薬師如来なのですね。

■香山公園には、毛利家の墓所もあります。その毛利家の墓所の前のうぐいす張りの石畳が面白いですね。何度も石畳の上を踏み込んで歩いたのですが、何の音もしません。ところが、少し離れたところで手を叩くと反響音が返ってきます。何度もやってみました。

■近くの八坂神社に行ってみました。ここは、「蟇股(かえるまた)」が目的です。境内横にある、木造の○○写真館の建物が妙に気になりました。本殿の「蟇股」を見たのですが、境内には他に、古く半壊したような本殿?があります。いわれが良く判りませんでしたが、もともとの本殿なのでしょうか?「蟇股」は、こちらもやはり立派でした。
※蟇股(かえるまた):社仏閣で、高さの異なる二つの平行した横架材の間につき、上の荷重を下の横架材に、伝達するための部材

■高速を使い、一気に由宇に向かいました。この時点では、まだ車中泊の貫徹を決めていなかったのですが、由宇温泉ホテルで宿泊可能を聞くと、日曜日は食事と入浴は可能だが、宿泊できないと言われました。ちょっとがっかり、柳井市の旅館が良いとのことで、柳井市に向かいました。白壁の町並で有名とのことですが、丁度、お祭りの最中でした。気に入った、旅館も見あたらず、結局、由宇温泉ホテルに戻り、食事と入浴をして、由宇にて停泊をすることにしました。静かな静かな夜でした。車中泊を貫徹しようなかと思い始めたころです。

「宇部興産ビル」のエントランス

「瑠璃光寺」五重塔

「瑠璃光寺」五重塔を仰ぎ見る

「毛利家墓所」のうぐいす張り石畳

「八坂神社」本殿/蟇股に注意

「八坂神社」

「柳井市」の白壁
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