旅の思い出・その3 | <次の記事へ> |
030 3泊4日の九州の旅も終わり、再び本州へ(2009年11月22日の記録) |
「津久見」にて |
「臼杵石仏」付近の景観 |
「臼杵石仏」 |
「臼杵石仏」 |
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「湯布院岳」 |
■道の駅「弥生」は、人工温泉もありますが、水族館もあるところです。当初の予定は、日豊海岸を走る予定でしたが、「臼杵石仏」に寄ることにしました。途中の津久見付近の山の景色は異様な景観でした。石灰岩の採掘が行われているようです。 ■「臼杵の石仏」は、多数が点在しています。そこを廻廊の様に、巡ることができます。かつては荒れていたようですが、現在は、良く保存管理されているようです。付近の田園風景が素晴らしいですね。「原日本」がそこにあります。石仏は太古の阿蘇山の噴火によって堆積した溶結擬灰岩を掘り出した「摩崖仏」です。60余体あるそうです。明確な年代が出ていません。平安末期か鎌倉時代という説が有力らしいですね。 ■一路、内陸部を通って、「湯布院」へ向かいました。湯布院岳が妙に目立ちます。JR由布院駅近くまでは順調に行きますが、その後が凄い混雑です。これは大変と、早々に出ることにしました。街を出る道は空いていますが、逆方向は凄い車の列です。食事をしたいので、道の駅「湯布院」に行ったのですが、ここも凄い混雑です。この後、耶馬溪(やばけい)方面に行く予定ですが、これでは戻れないですね。一度反対方向に行ってみると、湯布院館という店があり、それほど混んでいないので、ここで食事をすることにしました。しかし、入ると次々に客が来ます。中の仕切りのおばさんがパニくっています。しかし、カウンターで常務というおじさんがゆったり対応しています。山菜蕎麦セットを頼んだのですが、かなり時間が掛かかりそうです。ところが、10分弱で出て来ました。誰かのと間違っているのではないでしょうか。 ■食事後、ナビを調べると高速が良さそうです。道の駅のそばにインターチェンジがあります。高速で耶馬溪に向かうことにしました。途中、「深耶馬溪」の混雑も凄い車の量です。ただ、終わりかけた紅葉が美しいですね。大岩戸?という山中の岩に飾り?がしてあります。「本耶麻渓」に入り、「青の洞門」に寄りました。全長342m、禅海和尚が、通行人が命を落とす断崖絶壁をみて、石工を雇って「ノミと槌」だけで30年かけて掘り抜いたそうです。菊池寛の「恩讐の彼方に」の原作だそうです。ここも結構な人・車です。耶馬溪は、他にも裏耶馬溪とかいった耶馬溪がつく地名がありますね。「ヤマト」との関係を思う人が多い所以です。 ■「羅観寺」はパスして、中津を過ぎてから、高速に入り、一気に本州に入ることにしました。停泊場所停泊は、4日前に停まった、道の駅「蛍街道西ノ市」を予定していましたが、より近くにある道の駅「きくがわ」に停泊することにしました。同じところに停泊することもないと思ったわけです。ここには、近くに温泉もあります。九州の3泊4日の旅は終わりました。 |
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湯布院の混雑 |
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「深耶馬溪」 |
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「本耶馬溪」の禅海和尚像 |
「青の洞門」 |
「本耶馬溪」の紅葉 |
再び、本州へ渡る |
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029 阿蘇から高千穂、日向など(2009年11月21日の記録) | |
※枠がある画像をクリックすると画像が開きます。 |
阿蘇山で |
「高千穂神社」本殿 |
「三毛入野命」 |
「国見ヶ丘」 |
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■道の駅「阿蘇」の朝も冷えました。昨夜は、電気敷毛布を足元付近に掛けて寝ました。なかなか快適でした。敷毛布なのですが、下に敷くと、その下が冷気のため結露をおこしてしまいます。これも経験です。かなりの車が滞在しています。3連休のせいでしょうね。今朝は、向かいのローソンでおにぎりを買って、早めの出発を心がけました。 ■阿蘇の連山を見ながら、高千穂へ向かいました。途中、自然の木材を組み合わせた異様な構築物がありました。自由に遊んで良いが、怪我は自己責任と書いてあります。実際に怪我をした場合は、そうもいかないでしょうね。更に進み、景色の良いところで写真を撮影しようとすると、山羊が繋がれています。なんとも不思議なところが多いと思いました。 ■まず、「高千穂神社」にお参りをしました。8時過ぎなので、宮司さんも出勤の雰囲気です。巨樹が生い茂っています。杉か檜と思いましたが、欅の巨樹もありました。垂仁天皇の時代、伊勢神宮と高千穂神社が創建された際の「鎮石(しずめいし)」というのがあります。苔むしていました。本殿の右側の壁には、高千穂神社の祭神(複数)で、神武天皇の兄である「三毛入野命(みけぬのみこと)」の木造が張り付いています。迫力がありますね。「高千穂神社」は、由来が複雑すぎて、簡単には書けないません。しかし、全体的には俗化し過ぎている嫌いはあります。 ■横目で、「高千穂峡」を見ながら、「国見ヶ丘」に向かいました。11月上旬で晴れていれば雲海が見られるとのことでしたが、今日は雲海はありません。しかし、なかなか奥深い景色です。「国見ヶ丘」は、神代の昔、神武天皇の御孫にあたる建磐竜命(たていわたつのみこと)が九州統制の折り、この丘に立ち、明け暮れに国見をされた場所だそうです。国見をする像が建っていました。 ■続いて、「高千穂峡」に向かいました。意外と空いていましたので、手こぎのボートに乗ってみることにしました。妙に楽しいのは何故でしょう。想像していた深厳な雰囲気はまったくありません。鯉もいて、餌も売っています。「真名井の滝」付近は、写真で見た景色です。たっぷり30分近く楽しみました。 ■「天岩戸神社」に向かいました。国見ヶ丘から見えた橋が日本一のアーチ橋と看板が出ています。本殿と神楽殿で参拝。現在の神楽殿が以前の本殿で、移築したそうです。天岩戸の遙拝(ようはい)ができるらしいので、戻って、社務所で天岩戸の遙拝をお願いしました。無料ですが、数名としばし待つことになりました。しばらく待つと、若い宮司さんが案内をしてくれました。天岩戸は写真撮影がダメとのことです。格子戸の鍵を開けて、中に入りました。展望場所があり、屋根が掛かっています。母屋が斜めになっていて、その方向に天岩戸があるとのことです。ほとんど、木に隠れて見えません。うっすらと感じがします。説明によると幅18m程度らしいのですが、近年の台風等により、壊れていると説明がありました。天照御神は、天岩戸を出てから、東宮に入ったとのことです。ここは本宮ですが、近くに東宮があるそうです。外に出てから、「天岩戸」方面を撮影してみましたが、映っているかな。 ■先にある「天安河原(あまのやすがわら)」に行ってみたくなりました。結構な距離がありましたが、大きな洞窟にたどり着きました。こちらが天岩戸の雰囲気ですね。辺り一面に石を積んでいる異様な雰囲気です。恐山を思い出します。本宮に戻り、近くの食堂に入り、地鶏蕎麦を頼みました。老女が2名、厨房に老女が1名の店です。いやな予感がしたのですが、注文をしてしまった。「注文を忘れる」、「間違う」、「順番まで狂わされ」、約30分待ちました。やっとありつけた地鶏蕎麦を3分で食べたのですが、結構旨かった。 ■急いで、日向に向かいました。途中、150円の高速(土曜日)で、一気に日向に着きました。景色が南国ですね。「馬ヶ背」に向かうと、海の景色が真っ青です。天気も良くなってきました。素晴らしい景観です。ここでも結構歩きましたが、迫力ある断崖絶壁の柱状節理に波が打ち寄せていました。最先端には、危険とのことで、行けない様に柵がしてあります。しかし、簡単に乗り越えられそうです。手すりも劣化して、あちこち欠けています。結構危ないところです。 ■別府は、以前にも行ってますので諦めて、道の駅「弥生」に向かうことにしました。今回の旅の「最南端」を過ぎたことになります。17時過ぎに道の駅「弥生」に着きました。ここは、温泉もあり、食堂も遅くまでやっています。食事は、団子汁を頼みました。他にめぼしいものが無いようでもあります。団子はやはり板状になったものでした。 |
「高千穂峡」 |
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「天岩戸神社」本殿 |
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「天岩戸神社」神楽殿(旧本殿) |
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「天岩戸」方向を撮影する |
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「天安河原」 |
「馬ヶ背」 |
「馬ヶ背」 |
「馬ヶ背」 |
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028 熊本、そして阿蘇へ(2009年11月20日の記録) |
大牟田の「矢部川大橋斜張橋」 |
「蓮華院誕生寺」の心経門 |
「蓮華院誕生寺」本堂 |
「蓮華院誕生寺」五重塔 |
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「蓮華院誕生寺奥の院」の心経門 |
■道の駅「黒髪の里山内」の朝も寒い朝でした。少し寝坊をして6時過ぎに起きたのですが、気温は5度でした。ゆっくりと食事をとって、嬉野に向かいました。塩田津というところに来ましたが、ここに嬉野市役所があります。町並は大きな瓦屋根の屋敷も多く、かつての繁栄を物語っています。しかし、市役所は異質で簡素な建物でした。有明海の干拓地に入ると、まるで北海道の雰囲気です。広い平地が続きます。大川、柳川、大牟田と来ましたが、大牟田の連続する矢部川大橋斜張橋が美しいですね。長さが517mもあるそうです。 ■玉名市に入り、「蓮華院誕生寺」に着きました。平成の五重塔が美しいですね。お寺の前に、関白藤原の道兼の菩提の五輪石塔があります。法然は親鸞の師ですが、その法然の師である皇円の生誕地です。皇円上人の祖が藤原の道兼だと書いてあります。門の横の丸い輪が不思議ですね。お金がありそうなお寺ですが、人の気配がありません。五重塔は美しい塔でした。本堂も立派です。 ■予定をしていなかったのですが、旅行案内を見ると奥の院があるそうです。登る事ができる五重塔があると書いてあります。7〜8km離れた奥の院に行くことにしました。山の上に向かうと、石塔が続いています。大きな駐車場に着くと、団体のバスが一台駐まっています。奥の院という感じがしません。こちらの方は、観光地のようです。さらに巨大な丸い石の輪(心経門というそうです)がありました。お金を掛けたお寺ですね。ほとんどがRC造の建物です。何と、五重塔もRC造でした。横に広くバランスが悪いですね。登るのはパスしました。高さは、51.5mとのことです。山門の阿吽像は巨大です。奥にも大きな菩薩像が木々の間から見えます。山門横の木の生え方も不思議。世界一の大梵鐘もありました。 昼になったので、お土産屋さんで食事をすることにしました。南関(なんかん)揚げを入れたうどんを頼んだのですが、結構美味しかったです。ご利益茶を頂いたのですが、紅茶の様に濃く美味しいお茶でした。 ■熊本に入りました。漱石の記念館などがありますね。実は、熊本県は初めてなのです。田原坂の案内もありましたが、まっすぐに「熊本城」に向かいました。「熊本城」の城壁が見えてくると、「熊本神社」がありましたので、その横の駐車場に車を駐めました。不開門(あかずのもん)から入ると、さすがに大きな城壁と門構えです。一度、城壁の下を潜るような通路があり、新しい木組みが見えます。「熊本城」が見えてきました。双天守の造りです。城に登って見ることにしました。 ■途中階に、文化財があり、階段登りの気を紛らわしてくれます。階段を上が切ると、こちらは小天守閣でした。一旦、途中まで降り、大天守閣に登りました。宣伝をしていた「昭君之間」はここにはないのですね。城を出て、熊本城本丸御殿の建物に行くと、新しく造った建物があります。良い材料を使っています。内部も見事です。噂の「昭君之間」は素晴らしいですね。部屋も障子も何もかも豪華です。 ■一路、阿蘇へ向かいました。ナビ゙は相変わらず変な道路を通そうとします。逆らいながら、信号の少なそうな道を進みました。すると細い道を行くことになったりします。どうもからかわれている様な気がします。それと、熊本の運転マナーは悪いですね。乱暴な人が多い。たまたまかな。やっと、道の駅「阿蘇」に着きました。 ■阿蘇山がぼんやりと見えます。鉄道の阿蘇駅の前が道の駅でしたが、一本入った中にあるので、雰囲気の良い道の駅です。近くに公衆浴場もあります。家族風呂もあり、その横にコインランドリーがありました。レストランで早めの食事をしました。道の駅のレストランは、早仕舞いが多いですね。団子汁定食を頼みましたが、なかなか美味しい食事でした。コインランドリーで洗濯をして、隣接の阿蘇坊中温泉夢の湯に入りました。茶色っぽい温泉です。気持ちが良い風呂でした。何となく、持参した梅酒をちょっぴり飲みました。20日振りのお酒です。「禁酒」が解けてしまいました。 |
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「蓮華院誕生寺奥の院」世界一梵鐘 |
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「蓮華院誕生寺奥の院」五重塔他 |
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「熊本城」城壁 |
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双天守の「熊本城」 |
「熊本城本丸御殿」 |
「昭君之間」 |
「阿蘇連山」 |
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027 博多から唐津を経由して、「武雄温泉」まで(2009年11月19日の記録) | |
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「住吉神社」 |
「ぐりんぐりん」 |
「ぐりんぐりん」内部 |
「貴賓館」 |
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■博多の「住吉神社」に向かいました。全国の住吉神社の総本社は大阪の「住吉大社」ですが、博多の「住吉神社」は住吉三神「底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)」を主祭神とし、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)を配祀しています。日本全国に約二千社ある住吉三神を祀る神社の中で最も古い神社であり、古書には「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されているそうです。敬意を表して、参拝に立ち寄りました。しかしかなり俗化された神社ですね。参拝しようと前の女性(意外と若い)が終わるのを待っていたのですが、全然終わりません。止むなく、横で参拝してきました。現在の本殿は、黒田長政が1623年に再建したものだそうです。 ■続いて、「アイランドシティ中央公園」に向かいました。途中、「箱崎宮」や「香椎宮」の横を通りました。ここは、以前に来ていますので、機会があれば掲載させて貰います。その時は、「志賀島」にも行きました。「アイランドシティ中央公園」は、巨大な埋め立て地なのですね。目的は、2005年竣工の伊東豊雄設計の「ぐりんぐりん」です。建築雑誌で施工中の写真を見て、興味を持っていました。内部では、蝶が孵化していますが、従業員以外、人の気配がありませんでした。 ■中州の「貴賓館」に向かいました。1910年竣工の福岡県土木部技師であった三條栄三郎の設計・監理です。品の良い建物ですね。ボランティアの方がいて、説明をして頂きました。私が照明器具を盛んに見ていたため、これは市の公会堂(と言われた記憶です)にあった物を転用したと説明してくれました。そして、近くにある「福岡レンガ文化館」にも行きました。しっかりと辰野金吾している建物です。1909年、日本生命の九州支社として建てられたそうです。 ■再び、博多方面に戻り、唐人町にある「大圓寺」に向かいました。目的は、五重塔を見に行ったのですが、RC造の納骨堂の上に建っていました。五重塔自体は木造のようです。駐車場にお墓が一つあり、瓦や鬼瓦を利用しています。創建は1060年とのことですが、なにやら新興宗教みたいな雰囲気でした。 ■晴天の中、一路、唐津へ向かいました。途中は、伊都国(魏志倭人伝にみえる倭国内の国の一つ)の海岸線です。唐津に入る前に、大入(だいにゅう)という港に寄り、「虹の松原」を通ってきましたが、予想以上に大きな松林でした。さらに進むと、波が荒いのですが、真っ青な空に風景が映えて、気持ちが晴れ晴れとしてきます。唐津城が見えてきました。とても美しくそびえたっていました。めったにお城には登らないのですが、今回の旅行の「最西端」を記念して、登城することにしました。土産物店では、「小城羊羹」を購入しました。 ■伊万里や佐賀の交通標識を横目に、「武雄温泉」に向かいました。楼門と武雄温泉新館は辰野金吾の設計で、国の重要文化財に指定されています。温泉がたくさんあり、共同風呂も複数あります。殿様湯というのは、入浴料が3,000円もするそうです。当然、一番大衆的な「元湯」を選択しました。天井が高く、寒いくらいです。「温(ぬる)い湯(42〜43度)」と「熱い湯(43〜45.5度)」がありますが、熱い湯はとても入られないですね。しかも、温い湯でも私には熱いくらいです。熱い湯に入っているのは、老人(失礼)ばかりです。浴室内がとても寒いので、何度も浴槽に入りましたが、素晴らしい湯だったと思います。この日は、近くの道の駅「黒髪の里 山内」に停泊です。 |
「福岡赤レンガ文化館」 |
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「福岡赤レンガ文化館」内部 |
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「福岡赤レンガ文化館」の鉄骨階段 |
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「大圓寺」 |
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「虹の松原」 |
「唐津城」 |
「武雄温泉」の楼門 |
「武雄温泉」新館 |
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026 九州へ、そして太宰府へ(2009年11月18日の記録) |
「功山寺」 |
「関門海峡」に架かる橋 |
「門司港駅」 |
「旧門司三井倶楽部」 |
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「大阪商船三井造船門司支店」 |
■道の駅「蛍街道西ノ市」の朝は、零度近くまで下がりました。下関にある長府毛利家の菩提寺、「功山寺」を訪れました。鎌倉時代の禅寺ですが、仏殿は国宝に指定されています。紅葉したモミジが見事でした。幕末、高杉晋作が維新回天の旗揚げをした歴史的な場所として知られています。隣には、「長府博物館」があります。 ■そして、いよいよ九州です。「功山寺」を出てから、下水の工事などで通行禁止があるのですが、廻り道の案内もなく、元来た道に戻ってしまいます。別な道を行くと、また通行禁止です。不親切な案内です。やっと抜けると、大きな橋が見えてきました。ナビに従い、進むと同じところをグルグル廻っています。関門トンネルが工事中で通行禁止でした。ここも廻り道の案内がないか、見えづらいのかどちらかです。結局、高速に入り、関門橋を渡り、九州に入ることができました。まったく不親切です。 ■気を取り直して、「門司港駅」に向かいました。「門司港駅」は、関門トンネルが開通するまで九州の鉄道の玄関口であり、対岸の下関駅との間に就航した関門連絡船との連絡中継駅として賑わったそうです。駅舎は国の重要文化財に指定されています。レトロな雰囲気でした。この一帯のエリアには、旧門司三井倶楽部、旧大阪商船、門司区役所、九州鉄道記念館、旧三井物産門司支店、門司郵船ビル 、山口銀行門司支店などがあり、船なども係留していて、観光スポットになっています。 ■続いて、「旧松本家住宅」に向かいました。石炭業で財をなした松本健次郎が明治41年から44年にかけて建てた迎賓館で、洋館と日本館があります。洋館の設計は、辰野金吾です。以前、テレビで見たのですが、辰野金吾のアールヌーヴォーが実に斬新でした。もしかすると私にとっての辰野金吾の最高傑作かなと思っていたのですが、中を見ることはできませんでした。現在は、「西日本工業倶楽部」となっていて、開放していないそうです。止むなく、塀のところから外観だけを撮影しました。本当に、残念です。 ■さらに、、モノレールが走っている小倉を抜け、「八幡市民会館」に着きました。村野藤吾の1958年の作品です。少し、おとなしく感じました。次は、甘木の「秋月」に向かったのですが、ここでもナビが凄い山道を案内します。今日は、どうも散々です。何とか「秋月」に着いたのですが、かなりの混みようです。軽く、流して「太宰府」に向かうことにしました。 ■太宰府の「九州国立博物館」に着きました。菊竹清訓(+久米設計)の2004年の作品です。まるで、江戸博物館の九州版ですね。常設展を見た後、「二日市温泉」に向かいました。ここは、銭湯が有名です。「御前屋」に行ったのですが、休みでした。その向かいの「博多屋」はかなりの混みようでしたので、その先にある「扇屋」という旅館の風呂に入ってみることにしました。停泊は、近くにある「天拝山歴史自然公園」の駐車場を利用することにしました。大きな公園で立派なトイレもあります。 ■ところが夜遅くになると、次々と車が騒がしいのです。どうもアベックのたまり場のようです。止むなく、ここを引き払い、手頃なところがなかったため、市営の駐車場に入れることにしました。そして、気がついてはいたのですが、ここは高架下でした。とてつもなくタイヤの音が響くのです。良い教訓を得ました。しかし、何事もなくぐっすり眠ることができたのは、訓練のたまものです。 |
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「旧門司税関」 |
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「旧国際友好記念図書館」 |
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「旧松本家住宅」 |
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「八幡市民会館」 |
「九州国立博物館」 |
「九州国立博物館」内部 |
「九州国立博物館」 |
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025 萩市から秋吉台、長門海岸、下関へ(2009年11月17日の記録) | |
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「松蔭神社の松下村塾」 |
「高杉晋作生家」 |
「秋吉台のカルスト台地」 |
「秋芳洞」 |
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■今日は、雨が降りとても寒い朝でした。ラジオをつけると12月並の気温とのことです。中国道は冬タイヤ規制になっています。私は既に、札幌から冬タイヤで来ています。海岸線が美しいですね。まもなく萩市に入りました。「武家屋敷」を見に行ったのですが、「松蔭神社」の看板を見て、少し寄ってみることにしました。吉田松陰も神様になってしまいました。「松下村塾」のレプリカがありますが、以前、世田谷の松蔭神社で見たものより大きいような気がします。よく手入れされた神社です。参拝客も多いですね。燈籠には伊藤博文、木戸孝正(木戸孝允/桂小五郎の養子)、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前が刻まれているといいますから、大きな存在だったと思います。享年、満29歳。続いて、「武家屋敷」に向かいました。ここも観光客が多いですね。木戸孝允の屋敷や高杉晋作の屋敷がありました。 ■次に向かったのが、「秋吉台」です。整備され、カーブが続く山道を登りました。排気ガスをまき散らす観光バスが前を行きます。臭くてたまらないので、一旦停車して待つことにしました。しかし、すこし行くとすぐ追いついてしまいます。止むなく、カーブで追い越しをしました。栄養分の少ない石灰岩系の山地のためか、植生は貧弱です。ところどころに石灰岩柱が露出しています。カルスト台地の名前が有名ですね。なるほど、不思議な風景です。全体を見渡せる高台に上がって、写真を撮ろうと思ったのですが、良いところに先ほどのバスが駐まっています。どこまでも邪魔をするバスです。 ■「秋芳洞(しゅうほうどう)エレベーター口」というのがありました。タクシーが一台停まっているだけです。エレベーターの往復料金が1,200円もします。窓口も、高くてすみませんという感じです。エレベーターで80m降りて、一周、40分程度の所要時間です。一気に、鍾乳洞に降りました。後で判ったのですが、鍾乳洞は約1kmあり、その300mと700mのところに、エレベーターが降りるとのことです。即ち、入り口は他にもあることが判りました。1,200円を気の毒そうに言った理由が判りました。何となく、ジャケットを着て入ったのですが、気温は一定して17度程度とのことで、汗をかいてしまいました。長淵、百枚皿、洞内富士、千畳敷、傘づくし、大黒柱、黄金柱、五月雨御殿など、見所はたくさんあったのですが、暗いので写真は相当数がぼけてしまいました。 ■日本海側に戻り、北長門海岸に出ました。海岸線が本当に美しいですね。半島に、妙見山があり、展望台があるとのことで、行ってみることにしましたが、展望台を見つけることができませんでした。途中、楊貴妃の墓の案内が出ていました。徐福の墓といい、何でもありますね。美しい海岸線は堪能しましたので、「土井ヶ浜遺跡」に向かうことにしました。 ■雨が強くなってきました。海岸線に沿った丘陵地に遺跡ミュージアムがあります。受付に行くと、500円の料金を気の毒そうに受け取ってくれました。ここも来る人が余りいないようです。どこから来たのかと聞かれましたので、「札幌」と答えると、しきりに感動してくれました。ミュージアムでは、3次元眼鏡を使う15分ほどの土井ヶ浜遺跡説明のミニシネマがありました。もちろん、客は一人です。外に出ると、土井ヶ浜遺跡を再現したドームがあり、埋葬状態をレプリカで見ることができます。 ■実は、気の毒がられるどころか、今回の旅行の重要ポイントの一つが「土井ヶ浜遺跡」だったのです。「土井ヶ浜遺跡」は弥生時代前期から中期といわれている墓地遺跡です。海岸線沿いの砂丘に、300体を越える弥生人の骨が見つかっているのですが、その埋葬方法は、すべて顔が西の方向を向くように東西の軸に埋葬されていたというのです。西とは中国の方向です。出土した人骨の形質が縄文人と異なることなどから、稲作文化とともに中国大陸側からやってきた渡来人の可能性をいわれているのです。槍が数十ヶ所も刺さった跡がある人骨も発見されています。 ■ここから下関の「功山寺」まで行こうと思っていたのですが、今日は早めの停泊にすることにしました。下関市豊田町にある「蛍街道西ノ市」という温泉付きの道の駅を選択しました。16時過ぎには、道の駅に着きました。雨が少し降っていますが、こんなに早いのは久しぶりです。夕食は、意味が判らないのですが、「義民蕎麦」を頼みました。蕎麦の中に牛蒡の天麩羅やとろろ芋に梅、そしてご飯など、750円にしては多すぎます。温泉は、加熱らしいが、大きな風呂です。道の駅全体が、木造を意識した造りで、お風呂も木造です。しかし、全体が寒いですね。全部が露天風呂みたいです。もちろん露天風呂もありました。いよいよ明日は、九州です。 |
「秋芳洞」 |
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北長門海岸 |
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「土井ヶ浜遺跡」 |
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槍が刺さった状態を復元 |
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024 足立美術館、石見銀山を経て山口県へ(2009年11月16日の記録) |
「足立美術館」 |
「足立美術館」 |
「足立美術館」 |
「出雲玉造跡」 |
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「須我神社」奥宮へ |
■道の駅「富田城址」は、尼子氏の「月山富田城」をゆかりとしています。尼子興久の墓などが側にありました。他に車中泊の車はいないようでした。「足立美術館」は、9時からですので、ゆっくりと朝食を取り、美術館に向かいました。昨夜、入浴した鷺(さぎ)ノ湯温泉街がすぐ横です。 ■横山大観を初めとする近代日本画と日本庭園で知られる「足立美術館」のことをご存じの方も多いと思います。実は、2007年にも来ているのですが、中には入りませんでした。その時は、庭園日本一とはどんなところだろうと思った程度でした。今日は、開園と同時くらいに行ったのですが、もうすでに、団体が入っていました。造られたた美しい庭園です。たくさんの庭師が働いています。高さ15mの滝まで造っています。遠く月山が借景となっています。大規模な庭園が「兼六園」、野生美が「那谷寺」、人工美が「足立美術館」といったところでしょうか?「足立美術館」は、秋が一番良いような気がします。しかし、自分としては、那谷寺が一番感動したような気がします。ただ、横山大観も含めて、所蔵している日本画のレベルは非常に高いと思います。北大路魯山人展などもやっていました。 ■続いて、2007年には、行き着けなかった「須我神社」を訪れました。やはり難しい位置にあります。訪れる人も少ないのか、宮司さんものんびりしています(失礼)。「日本初之宮」のことは、以前に掲載しています。奥の宮への坂道があります。250mくらいの山道を歩くらしいのですが、行ってみることにしました。予想通りに、かなりきつい坂道です。奥の宮がありましたが、さらに奥があります。その奥の宮の横に小さい神社があり、その後ろに切り株があります。切り株の後ろにまたミニ神社があります。奥の宮の奥宮(義綱神社)をお参りして、先ほどの手前の小さな神社をお参りすると、その切り株の後ろは見えないのですね。不思議な感覚です。「須我神社」は、かつて「八雲山」にあり、現在もその場所に奥の宮(磐座、夫婦岩)があるそうですが、機会があれば訪れて見たいと思います。 ■その後、近くに「出雲玉造跡」があるので、寄ってみました。出雲には、写真の様な石のモニュメントがあちらこちらにあります。何度訪れても、不思議がつきない出雲です。再び、宍道湖(しんじこ)方面に戻り、斐伊川を渡り、「石見銀山」に向かいました。途中、風車が目立ちます。「石見銀山」は、世界遺産になりましたが、まだこれからの観光地の様な気がします。 ■日没を眺めながら、山陰路を走り、道の駅「田万川(たまがわ)」に着いたのですが、近くの入浴施設が休み(月曜日)のため、さらに30km先の山口県の道の駅「阿武」に行くことにしました。プールもありましたが、さすがにパワーと時間が足りません。食事も風呂もラストに近く、結局、温泉も独り占めすることになりました。良い湯でした。 |
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「須我神社」奥宮で |
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「須我神社」奥宮で |
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出雲路を走る |
出雲路を走る |
「石見銀山」 |
山陰路を走る |
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023 出雲を巡る/その2(2009年11月15日の記録) | |
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「鰐淵寺」へ |
「鰐淵寺」 |
「鰐淵寺」から「出雲大社」へ |
「出雲大社神楽殿」 |
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■「平田本陣」が近いので、少しだけ寄って、「鰐淵(がくえん)寺」に向かいました。途中から、鰐淵寺の駐車場までの無料バスが出ています。日曜日のため駐車場の整理をしていたようです。2kmほどバスが走って着いたのが駐車場でしたが、そこからの徒歩が長かった。しばらく渓流と紅葉の中の坂道を登ることになりました。あちらこちらから水が染み出ています。所々に、寺に関わる立て札があります。弁慶が「鰐淵寺」の鐘を他寺と取り替えた話や、八百屋お七の相手の吉三がここで行き倒れたのですが、何とここにもお墓がありました。さらに進むと階段があり、その階段を登ると山門が見えてきました。 ■「鰐淵寺」は、594(推古天皇2)年、信濃の智春上人が当地の浮浪の滝に祈って推古天皇の眼疾が平癒したことから、同天皇の勅願寺として建立されたとのことですから、かなり古いですね。かつては、出雲大社を支配していた時期もあると本で読んだことがあります。尻を上げた狛犬が出雲の特長を出しています。 ■「鰐淵寺」から峠を越えて、「出雲大社」に向かいました。工事中で「通行不能」の看板が出ていますが、日曜日のため通じているようです。運が良かった。林を抜けると、「崇祖院」というところに出たので、駐車場を借りることにしました。千家国造本家の家の前です。すぐ横が「神楽殿」です。「神楽殿」では、結婚式が挙げられていました。 ■神楽殿横から「出雲大社」へ入りました。本殿は、素屋根が掛かっています。素屋根の透明な部分から、本殿の垂木が見えます。拝殿はそのままですので、「二拝四柏手一拝」をしました。手前には、仮本殿がありますが、「仮」とは思えないですね。2007年の時は、素屋根が掛かっていませんでしたが、その時の記録写真は、以前に書きました。折角なので、神楽殿前の蕎麦屋に入り、出雲そばを食べることにしました。月見そばを頼んだのですが、店員がどんぶりに指を入れて持ってきたのには閉口しました。出雲大社は、書き出すと長いので、また機会があればと思っています。 ■その後、「島根県立古代出雲歴史博物館」へ行き、企画展と常設展を見てきました。インターネットでダウンロードした割引券をしっかり持って行きました。2年前は、外観だけでしたが、槇文彦の2007年の作品です。ここには、「荒神谷遺跡」より出土した国宝を含む銅剣358本・銅矛全点、「加茂岩倉遺跡」より出土した国宝の銅鐸全点が公開されています。中央ロビーには2000年に出雲大社境内から出土した「3本組」の宇豆柱が展示されています。オオクニヌシの映画をやるということで、20分ほど期待して観ましたが、小学生向きかな。 ■そして、「神庭荒神谷(かんばこうじんだに)遺跡」に向かいました。2度目です。「加茂岩倉遺跡」は、2年前に行って長い山道を歩きましたので、今回はパスです。「荒神谷」では、たまたまガイドがいて、説明をしていました。聞いてみると、埋められていた横に土の穴があり、ここに柱を建てたらしいとのことです。山地の陰の部分にあることを含めると、隠した雰囲気があります。その際、仮家を建てて祀ったのでしょうか? ■夕暮れ時になりましたので、一路、高速で松江へ向かいました。「島根県立美術館」に行くためです。1998年竣工の、菊竹清訓の作品です。出雲には、菊竹清訓の作品が多いですね。来たのは2度目なのですが、今日の目的は日没を見るためです。夕日が館内を赤く染める写真を見て、その体感がしたくてきたのです。他にもたくさんの人が来ています。しかし、日没直前に、雲に隠れてしまいました。残念でしたが、雰囲気は味わえました。 ■今日の停泊場所は、東に少し戻り、道の駅「富田城址」です。近くの鷺ノ湯温泉の「竹葉」に電話して、入浴可能か聞くと、21時までは可能とのことです。食事をしてから、「竹葉」に行くと、「足立美術館」のすぐ隣でした。こぢんまりとした清楚な日本旅館です。お風呂も小ぶりなのですが、入浴中、誰も入ってきませんでした。500円で、優雅な気分を味わうことができました。 |
「出雲大社拝殿」 |
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工事中の「出雲大社」 |
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「出雲大社仮本殿」 |
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「島根県立古代出雲歴史博物館」 |
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「神庭荒神谷遺跡」 |
「島根県立美術館」2007年撮影 |
「島根県立美術館」内部 |
夕日に染まる「島根県立美術館」 島根県立美術館のホームページより |
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022 出雲を巡る/その1(2009年11月15日の記録) | |
※枠がある画像をクリックすると画像が開きます。 |
「境水道大橋」 |
「境水道大橋」を見上げる |
「美保神社」 |
「青石畳通り」 |
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■弓ヶ浜駐車場を出たのは、朝の5時でした。昨夜の星空も美しかったのですが、夜明けの星空も素晴らしいですね。まもなく、夜明けとともに星の光が薄れてきました。朝食も食べずに、朝早く出たのは、「境(さかい)水道大橋」の夜明けの写真を撮るためです。移動中の車内から撮るため、照度も低く、なかなかピントがあいませんでした。山頂には灯台が見える「境水道大橋」を結局、3往復してしまいました。境港市と島根県美保関町を結ぶ、長さ709メートル・高さ40メートルの大橋です。 ■境港(さかいみなと)には「水木しげるロード」があります。2007年の時は、訪れましたが、今回は、パスして島根半島の東「美保神社」に向かいました。さらに東端の「美保関灯台」は、2007年の旅行の際に訪れています。「美保神社」は、「美保関港」に面していますが、その横の「青石畳通り」を行くと、「佛谷寺」があります。こぢんまりとしたお寺でした。八百屋お七の相手の吉像の墓もありました。13・14世紀、隠岐島に流刑となった後鳥羽上皇、後醍醐上皇が風待ちのため立ち寄った行在所(あんざいしょ)としても有名です。「青石畳通り」を戻ると、所々の家々に由来などの説明書きがあります。面白いですね。現在の玄関は、湾の方を向いていますが、旅館なども本来の表は「青石畳通り」側のようです。明治から続くという「美保館」もありました。国の登録有形文化財に指定された数奇屋造りの伝統旅館です。 ■車に戻り、島根半島の日本海側に出てみました。かなり狭い道を行くと、行き止まりに着いてしまいました。車から降りて岸壁に登ると、これ以上は行けないようです。仕方なく、半島を戻り、松江側に向かい、「境港大橋」の下を過ぎると、日本海側に行く道があり、その先に高松伸のメティオプラザがありました。これが壱岐に行くためのフェリー乗り場ですね。1996年竣工です。ポストモダンでしょうか?かつては、こんなのが日本各地で建設されました。 ■島根半島の日本海側を進み、途中から宍道湖側に入り、「佐太(さだ)神社」へ向かいました。「佐太神社」を訪れるのは3度目になります。私の好きな神社です。狛犬が大きいですね。お祭りの準備をしています。ここには、八岐大蛇退治がテーマの「佐太神楽」があります。以前、図書館からDVDを借りて見た記憶があります。少しローカルな神楽でした。「佐太神社」は出雲国二宮と言われ、『出雲国風土記』に登場する佐太大神が主祭神と考えられています。三殿並立の大社造りといわれますが、要するに本殿が3つ並んでいます。現在の社殿は、1807年に造営されたものです。 ■その後、宍道湖北側を走り、「一畑薬師(一畑寺)」に向かいました。「目のお薬師様」として有名です。駐車場が小さく、しばし待つことになりました。階段を上がると、お経の声が聞こえてきます。十六羅漢像が並んでいました。本堂にお参りをしてから、八万四千仏像堂に行くと、小さい仏像がたくさん並んでいます。壮観でした。すると、お坊さんがバキュームで落ち葉を飛ばしています。何と、先ほど、お経に聞こえたのは、このバキュームの音だったのです。自分の思い込みの単純さに驚いてしまいました。 |
「佛國寺」 |
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島根半島日本海側の東端 |
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「メティオプラザ」 |
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「佐太神社」 |
「一畑薬師」 |
「一畑薬師」の十六羅漢像 |
「一畑薬師」 |
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021 鳥取から島根へ(2009年11月14日の記録) |
「横尾の棚田」の朝 |
「鳥取砂丘」 |
「鳥取県立博物館」 |
「仁風閣」 |
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「仁風閣」内部 |
■昨夜は、激しい雨でした。しかし、熟睡しています。車中泊もベテランになりました。6時に起きたのですが、道が混まないうちに町を抜けることにしました。これも一つのコツです。約60Km走って、「横尾の棚田」に着きました。8時過ぎです。「棚田」を見ながら朝食を食べようと思ったのです。備え付けの電子レンジでご飯を「チン」として、後は缶詰、果物などを食べます。味噌汁はインスタントです。お茶もパックで入れて飲みます。いつもの朝食です。のどかな棚田を見ながら、コーヒーも落としました。これもいつものパターンです。幸せ感が充ちてきます。人の気配はまったくありません。ただ、道ばたに廃車やタイヤなどが捨てられていました。残念なことです。 ■ここから「鳥取砂丘」までは、20kmしかありませんでした。市営駐車場は400円かかりますが、大きな土産物店に泊めると無料です。しかもトイレを借りて、何も買いませんでした。すみません。正確には、何も買いたい物がなかったというところです。確かに、砂丘は大規模ですね。柔らかく細かい砂です。ちなみに土産物店には、「靴洗い」も備え付けられていました。「鳥取砂丘」は、40年振りです。何故か、ラクダがいます。撮影対応らしいですね。リフトも空中を動いています。 ■鳥取市内に入り、、「仁風閣」に向かいました。フランスルネッサンス様式の西洋館で、片山東熊が監修し、鳥取藩主家だった池田侯爵が大正天皇(皇太子)の行啓に際し、1907年に建てたとのことです。池田侯爵は、徳川慶喜の子息だそうです。隣には、「鳥取県立博物館」や「鳥取城址」があります。「仁風閣」は、入場料が150円ですが、今日と明日が無料とのことです。すごくラッキーな気分になります。造作も調度品も保存状態が素晴らしいですね。昔の板ガラスも残っています。廻り階段の「ささら」は刳(く)りだした木材を繋いでいます。これは凄いですね。結婚式の衣装を着て、撮影もしています。パンフ作成用か何かのようです。 ■市内を出て、「白兎海岸」に来ました。オオクニヌシノミコトの昔話が有名ですが、色々な別話があるようですね。オオクニヌシと白兎の石像が立っていました。オオクニヌシは何度も生き返ったという「復活・再生神話」があります。書き出すと長くなるので止めておきます。 ■「三徳山三佛寺」へ向かいました。紅葉は、まだこれからという景色です。道路に鳥居があるのですが、駐車場が良く判らず、みんなに習って道路に止めることにしました。受付で、先行した女性二人のうちの一人が「投入堂(なげいれどう)」に登りたがっています。一人では登れないので、一緒に登らないかと聞かれましたが、足の調子がイマイチなので、断りました。半端な登山ではないはずです。受付のお兄さんは、はちまきをしています。本堂は、全面解体して、素屋根を掛けていました。仮本堂はプレファブでした。少し寂しい。 ■寺の横にある天狗堂で食事を取ることにしましたが、奥の広間に行く様に言われました。しかし、誰もいません。広い部屋で一人、山菜うどんを食べたのですが、これは素晴らしく美味しかったです。山菜がすべて天麩羅になっていて、トチモチの天麩羅も入っています。名物の三徳豆腐はいらないのかと言われるましたが、その気にはなりませんでした。食べている間に、NHKの「極める」のDVDを流して貰いました。これを見ると「投入堂」のことがよく判ります。車で、国宝「投入堂揺拝所」まで行き、望遠レンズを出して撮影をしました。すると、おじさんが寄ってきて、遠くから来たねと言われました。札幌ナンバーは珍しいでしょうね。 ■倉吉市を抜け、「大山」の横を通りました。「大山」は雲がかかっていましが、雲間から光が差して、美しい映像です。予定していた「麦木晩田遺跡」と「上淀廃寺跡」はパスすることにして、高速道を利用して、一気に米子に入りました。村野藤吾の1958年の「米子公会堂」に来ましたが、少し古い感じがします。 ■その後、皆生温泉でゆったりと温泉と食事をして、「弓ヶ浜」で停泊することにしました。「弓ヶ浜」では、サーファーが一杯、波乗りをしていました。星空が美しかったですね。 |
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「仁風閣」の階段 |
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階段の「ささら」に注目 |
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「白兎海岸」 |
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「三徳山三佛寺」 |
国宝「投入堂」 |
「米子公会堂」 |
「弓ヶ浜」 サーファーが |
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