建築・その7 | <次の記事へ> |
070 木材利用ポイント制度が始まります(2013年3月20日) |
■ほとんどマスコミも注目していないのか、話題になっていませんが2013年4月1日から「木材利用ポイント制度」が始まります。「家電エコポイント制度」は、2011年3月31日に終了、「住宅エコポイント制度」はエコ住宅の新築(一戸建て)のみ2013年4月30日(共同住宅は同年10月31日など)まで申請を受け付けていますが、話題性は薄れてしまったようです。「木材利用ポイント制度」は、これらのエコポイント制度を参考に林野庁が打ち出している制度です。2012年度の補正予算で事業費410億円が認められました。 ■今回の「木材エコポイント制度」は、国産の地域材を活用した木造住宅(内装木質化も含む)や木製品等について、ポイントを付与し、地域の農林水産物との交換等を支援するものです。林野庁のホームページを見てみますと、以下のようになっています。 <対象となる事業> (1)次の@〜Cの条件を満たす、木造住宅の新築・増築又は購入 @ 2013(平成25)年4月1日から2013(平成26)年3月31日までに工事に着手(工事請負契約を締結)したもの A 主要構造部(柱・梁・桁・土台)に使用する材・構造用合板に、過半に相当する基準以上に 地域材を利用しているもの B 一定の工法によるもの C 使用する地域材の産地、樹種を表示するもの (2)次の@〜Bの条件を満たす、住宅の床、内壁及び外壁の木質化工事の実施 @ 2013(平成25)年3月1日から2013(平成26)年3月31日までに工事に着手(工事請負契約を締結)したもの A 地域材製品を使用し、一定面積以上の工事を行うもの B 使用する地域材の産地、樹種を表示するもの (3)木材製品、木質ペレットストーブ等も対象となる予定ですが、詳細は検討中とのことです。 ■ニュース等をみると、最大30万円のポイントを発行するとなっていますが、林野庁のホームページには未だに詳細が掲載されていません。政権交代による予算立案が遅れた影響が出ているようです。制度そのものは、住宅や家電のエコポイント制度に準じて実施すると思いますので、似たような仕組みになるものと思われます。未確認情報ですが、一部の外材も認められるといった報道もあります。まあ、該当する場合は利用しない手はありませんね。 ※2013年4月1日追記 林野庁のホームページに、「木材利用ポイント事業の詳細について」が2013年3月29日に掲載されました。木材製品や木質ペレットストーブ等の購入に対する詳細は未定のようですが、「木材利用ポイント事務局ホームページ」もできています。ただし、こちらは中味がまだのようですね。各地で、説明会も開催されるようです。 |
タウシュベツ橋梁展望台へ向かう 2012年6月19日撮影 ※本文とは関係ありません |
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069 建築物の耐震化の促進に関する法律が改正されます(2013年3月17日) |
■1995(平成7)年1月に発生した阪神・淡路大震災では、約25万棟の住家が全半壊し、6,434人の尊い命が奪われましたが、その8割以上が住宅や家具等の倒壊による窒息死・圧死等でした。さらに住宅等の倒壊に起因すると思われる火災の犠牲者を合わせると、95%以上が住宅等の倒壊により亡くなったことが推測されています。(※1)また、犠牲者の約8割は地震発生後15分以内に死亡していることも推定(※2)されていて、被害を最小限度に抑えるためには、如何に住宅等の倒壊を防止することが最重要な課題だともいえます。 1981(昭和56)年に導入された新耐震基準は、建築基準法上の最低限遵守すべき基準として、中規模の地震に対してはほとんど損傷を生じず、極めて稀にしか発生しない大規模の地震に対しては人命に危害を及ぼすような倒壊等の被害を生じさせないことを目標としています。阪神・淡路大震災においても、新耐震基準に適合する建物の被害が少なかったことから、新耐震基準の妥当性が評価されたと国土交通省は発表しています。(※3)。 国土交通省が発表したデータは、1995(平成7)年に発表された「阪神淡路大震災建築震災調査委員会中間報告」を元にしているようですが、同中間報告書を調べてみると、神戸市中央区における新築年度が特定された総計923棟の建物の被害状況を、帯筋の規定が改正された1971(昭和46)年と、新耐震基準が施行された1995(平成7)年と、それ以降の3区分の比較をしています。明らかに新耐震基準が施行された後の被害が少ないことが判ります(※3)。また、同報告書では、構造種別についても考察していますが、ネットで検索すると見ることができますので、興味のある方は参考にされると良いでしょう。また、被害の程度を表す「大破」「中破」「小破」といった分類は、財団法人日本建築防災協会が定めた被災度区分判定によるものです。判定方法の種類については、「災害救助法の住家の被害認定基準とさまざまな被害認定」を参考にして下さい。 阪神・淡路大震災では、日本国家に与えた被害総額は、約10兆円を越しているといわれていますが、そのうち住宅の倒壊等に起因するがれき処理、被災者自立支援金、仮設住宅や復興のための公営住宅の建設等のために、災害後5年間に約1.5兆円の国費が投入されました。これらの支出は、住宅が倒壊しなければ発生しなかったコストともいえますが、同じ投入されるのであれば、住宅の倒壊を防ぐために国費を投入すべきものだったと考えることもできます。それが可能であれば、多くの尊い命も守られたことになるのです。増え続ける医療費の低減には、病気にならない予防が重要だとの考え方が良くいわれますが、震災への対応も同様な事が言えるのではないでしょうか。 福島原発の影響を含めた東日本大震災の被害総額は、15兆円を越すともいわれています。あるいは、25兆円を越す経済的損失を受けたと予想する説もあります。確かに、津波による多大な被害もありました。しかし、未だ終息しないどころか、行く末の見えない原発問題を考えてみると、そもそもどこかが間違っていたと考え直すべきレベルの問題だと私は考えています。2013年3月13日の国会で、「低線量セシウムは人体に無害なのだから、避難地域への即時帰宅を認めるべきだ」と国会で質問(発言)した馬鹿な維新の政治家もいましたが、本当に恥ずかしい政治家はどこにでもいるものです。原発事故は、未だ収束していないばかりか、いつ収束するのかも判らないのが現実なのです。 さらに、南海トラフの巨大地震や首都直下型地震による被害も想定されるなか、建築物の耐震化は、災害直後の死傷者と建築物の被害を減少させることはもちろん、社会全体のコストを最小限に抑える根源的な政策と見なされています。住宅や多数の人が利用する建築物の耐震化率は、2008年現在で約79%程度ですが、2015(平成27)年までに耐震化率を90%以上にする目標が設定されています。 |
地震後2週間までの犠牲者の死亡原因 (※1) ※神戸市内で亡くなった3,875人のうち詳細な分析が行われた3,651人について記載 「間違いだらけの地震対策」(目黒公郎著)より
犠牲者の死亡推定時刻 (※2) ※阪神・淡路大震災の発生時刻:1995(平成7)年1月17日午前5時46分52秒 ※神戸市内で亡くなった3,875人のうち詳細な分析が行われた3,651人について記載 「間違いだらけの地震対策」(目黒公郎著)より (兵庫県の監察医と臨床医が扱ったデータを合計) |
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神戸市中央区における新築年度別の被害状況 (※3) 阪神淡路大震災建築震災調査委員会中間報告より |
■「建築物の耐震化の促進に関する法律」による現行制度では、耐震診断結果に基づく耐震改修を促進するため、倒壊等の危険性が高い場合は、建築基準法による改修命令等により、耐震改修を指示、従わない場合はその旨の公表することになっています。この法律による規制をより強化し、耐震診断を義務化・耐震診断結果を公表するなどの改正案が具体的になってきました。2013(平成25)年3月8日には閣議決定されています。対象となる建築物は、以下の通りです。すべての建物が対象となるわけではありません。 ○病院、店舗、旅館等の不特定多数の者が利用する建築物 及び学校、老人ホーム等の避難弱者が利用する建築物 のうち大規模なもの等(平成27年末まで) ※2013年10月4日閣議決定内容(2013年10月23日追記) (建築物の耐震改修の促進に関する法律の一部を改正する法律案について) ○対象となる要緊急安全確認大規模建築物の要件 1)病院・店舗・旅館等で階数3及び床面積5,000u以上 2)幼稚園・保育所で階数2及び床面積1,500u以上 3)小学校・中学校等で階数2及び床面積3,000u以上 <法律の施行は、2013年11月25日からです> ○地方公共団体が指定する緊急輸送道路等 の避難路沿道建築物(地方公共団体が指定する期限まで) ○都道府県が指定する庁舎、避難所等の防災拠点建築物 (地方公共団体が指定する期限まで) また、マンションを含む住宅や小規模建築物等についても、耐震診断及び必要に応じた耐震改修の努力義務を創設することになっています。 |
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■建築物の耐震化の円滑な促進のための措置としては、以下が設定されています。 ○耐震改修計画の認定基準の緩和や容積率・建ぺい率の特例制度の創設 ○耐震性が確保されている旨の認定を受けた建築物について、その旨の表示ができる制度の創設 ○マンションなどの区分所有建築物については、決議要件を3/4から1/2に緩和 ■また、関連する支援措置を拡充して、住宅・建築物の耐震化を強力に推進するとの考え方が出されています。具体的な拡充措置として、以下の3つの予算が予定されています。 ○住宅の改修・建て替え等に対する緊急支援(平成24年度補正予算案) 通常の支援(国11.5%等、地方11.5%等)に加え、30万円/戸を支援 (国15万円/戸、地方15万円/戸) ○耐震診断の義務づけ対象建築物に対する重点的・緊急的支援(平成25年度予算案) <耐震診断> 通常:国1/3 → 緊急支援:1/2 <耐震改修> 通常:国11.5%、1/3 → 緊急支援:1/3、2/5 ○耐震改修促進税制(住宅)を拡充(平成25年度税制改正案) ■一部を除いて、法案が具体化するのはこれからです。これまで東海地震、東南海・南海地震と個別に対策が進められてきた南海トラフ地震ですが、これらの巨大地震が連続して発生すると、経済被害額は合計で約94兆円、死亡予想者数は約27,000人との試算も出されています。また、冬期の18時ころ、風速15m/sの前提で、東京湾北部にマグニチュード7.3の直下型地震が起きた場合、その経済的損失は約112兆円、建物全壊棟数約85万棟、死者数約11,000人との予想も出ています。途方もない人的・物的損失は、想像をすることもできません。最近は、社会的インフラの老朽化も問題となっています。私たちがこれから向かうべき方向は、原発問題とともに定まっているといえます。 ■以上の記事を掲載した翌日(2013年3月18日)、南海トラフでマグニチュード9.1の地震が起きた場合、、冬期、夕方、風速8m/sの前提で、最悪220兆3千億円の経済被害が発生する可能性があるとの国内有識者会議の検討を受けた、内閣府の発表がありました。国内総生産(GDP)の42%、東日本大震災の10倍を超える被害予想です。巨大地震の発生は1千年に一度以下の頻度だそうですが、耐震化や防火対策を進めれば被害は118兆円に半減できるとの試算も出ています。これはもう、際限がないですね。いたずらに、危機を煽って無益な公共事業への免罪符となることだけは、避けて貰いたいですね。(2013年3月18日追記) |
東日本大震災による地震被害 郡山市内にて 2010年6月3日撮影 |
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068「日本美の再発見」「忘れられた日本」/ブルーノ・タウト(2013年1月27日) |
日本美の再発見(増補改訳版)/ブルーノ・タウト/篠田英雄訳/岩波書店/岩波新書(赤版)39/19390628第1刷/19620220第19刷改訳版/20110215第55刷/700+税/182頁 忘れられた日本/ブルーノ・タウト/篠田英雄訳/中央公論社/中公文庫/20070625初版/229頁/\743+税 2013年の年明けのマグロの競りは、1億5千5百万円(キロ70万円)で大間のマグロに凱歌が上がったが、途方もない価格である。ものの価値に付いた値段ではない、イメージに付いた価格である。金融資本主義もここに極まりといった感がある。だからといって、競り落とした人を非難する気持ちは、あの顔のイメージと共にどこにも沸いてこない。政権交代とともに、円安と株高に振れているが、景気が良くなった訳でもないだろう。何かに期待する、あるいは期待したいイメージが、金融市場に現れているだけだろう。見方を変えると、金融資本に群がる人々が、未だ実態がない景気に期待しているともいえる。インフレターゲットを2%に設定したようだが、物価が上がるだけにならなければ良いのだが。事実、円安に振れることにより、ガソリンや灯油などの価格がジワジワと上昇している。現状を打開したい要望はよく判るが、マスコミの評価も大きく分かれているようだ。一部のマスコミ情報を鵜呑みにする危険に注意しなければならない。 最近は、まるで自動翻訳のような直訳をした翻訳本が多い。「日本語が亡びるとき/水村美苗」にも書いたが、「日本語力」が落ちているのである。結局、何を言っているのかが判らなくなるような文章が続き、宙を彷徨っているような気分にさせられることが多いのだが、篠田英雄の訳文の口調は、まるでブルーノ・タウトが語っているかのごとく感じさせられた。名訳といえるだろう。時々出てくる、当時の日本建築や美術品の多くを「いかもの」と酷評している。「いかもの」は、原語では「キッチュ/Kitsch」のことだが、「擬洋風」を初めタウトが気に入らないものがことごとくそう評されるのだ。まるでタウト自身が「いかもの」と本当に言っているような気がしてならない。ちなみに「いんちき」も出てくるが、これは「ティンネフ/Tinneff」だ。 「日本美の再発見」と「忘れられた日本」では重複掲載もあるが、ブルーノ・タウトは「忘れられた日本」でこう語っている。「日本語には『いかもの』とか『いんちき』などという言葉があり、それを聞くと日本人は直ちにその意味を理会(原文のまま)して笑うのである。そのほかにも『味』、『幽玄』、『渋い』或は『佗(わ)び』などという言葉もあり、その内容は独自の日本的な色合を帯びて、今でも如実に生きている」。西洋文化の上っ面だけを真似た「擬洋風」は、「いかもの」に過ぎないと断じ |
ている。「日本美の再発見」や「忘れられた日本」などのタイトルの意味はそこにある。自動翻訳をしたような翻訳本も「いかもの」の類いだといえよう。 いずれも、タウトが過ごした短い日本における体感を記したものだが、実に深く精細な批評が詰まっている。タウトの慧眼に驚く。本の主題である建築論も面白いが、外国人の日本探訪記として読んでも、実に面白い。ブルーノ・タウトは、意外と小心な人だったようだ。日本のある街で、ちょっと愛想が悪い人に会うと、その街全体の印象が悪くなる。ところが、良いサービスを受けると、途端に機嫌が直るのである。 日本人は外国の文物の模倣に明け暮れ、旧来のすぐれた伝統を断絶し、それと共に「質」の観念もまた消失してしまった。それがため、欧米人の興味と判断を受けて、外国の観光団を日光に案内するという。タウトは、伊東忠太の言葉を引用している。「五十年前にヨーロッパ人が日本へ来て、日光廟(東照宮)こそ日本で最も価値のある建築物であるといえば、日本人もまたそうだというし、今またブルーノ・タウトがやってきて、伊勢神宮と桂離宮こそ最も貴重な建築だといえば、日本人もまたそうだと思うのである」。 タウトとモダニストとの掛け違いは、「つくられた桂離宮神話」にも書いたが、タウトは必ずしも「桂離宮」の簡素美を讃えている訳ではなかった。タウトは、桂離宮とともに伊勢神宮(外宮)を、日本建築が生んだ世界的標準の作品としている。一方、北斎や広重に与えられた世界的名声は、決して最高の「質」を有する大家に与えられたものではないと見ている。また、日本を訪れる外国人は、観光宣伝に乗せられて日光に赴き、17世紀の政治権力者が、彼らの威力を誇示するための、権柄ずくで拵えられた芸術を見せられるという。 日光では、夥(おびただ)しい彫刻や豪奢な漆塗が溢れているが、こういう代物なら世界の至るところにあるし、それらと比べればまったく物の数ではないと醜評している。タウトが桂離宮や伊勢神宮を評価するのは、全世界に同じようなものが存在しないからなのだ。日本は、中国や朝鮮の影響を強く受けたが、深く自己を省思するとともに、新しい文化を創造したと評価しているのである。「いんちき」や「いかもの」ではないとする所以がここにある。いつのころからか、日本人は「ものまね」ばかりををするようになってしまった。現在、丸の内などを中心として建設されている、ファサードだけを近代建築風に残して、その後ろに容積率を高めた高層ビルを外包したビル群が盛んに建てられているが、タウトがこれを見たならば、それらを「いかもの」と評するのは、私には間違いがないと思われる。 |
「日本美の再発見」 (増補改訳版) ブルーノ・タウト 篠田英雄訳 岩波書店 岩波新書 |
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タウトは、「伊勢神宮こそ、全世界で最も偉大な独創的建築である」とまで言っている。「パルテノンは大理石をもって、伊勢神宮は木材をもって最高の美的醇化を獲得した」のである。しかも、パルテノンは、今日ではもはや生命のない古代の記念物に過ぎないが、伊勢神宮は20年ごとの遷宮により、現在までも生き続けているとその違いを述べている。正殿の階段に付した勾欄(こうらん)や階段の柱に中国式の影響を指摘する向きもあるが、「かかる些細な点はまったく問題でない」と最大限の評価を与えている。 タウトは、日本の家屋における「床の間」にも洞察を加える。床の間は、宗教とは無関係な、文化的要求の集注する場所と見なしているが、どこの家でも床の間の背後に何があるかを問題にしていない事実に気が付かされた。床の間の裏側が書斎や廊下であるにせよ、あるいは便所のごときものであるにせよ、一向差し支えないのが日本の家屋なのである。壁一重隔てたこの対立にタウトは驚くとともに、日本の文化の特色を見ている。 私は読んでいないが、エミール・レーデルは「日本−ヨーロッパ1929」で、「日本文化は静的な、換言すればそれ自体固定して動かぬ文化であり、ヨーロッパ文化は動的な、即ち自らも動き他をも動かす文化である」と書いているが、それに対してタウトはこう評している。「日本からヨーロッパに齎(もたら)されたものは決して文明ではなかった、また欧米から日本に渡来したものは決して文化ではなかった」。ヨーロッパは、文化的に日本からの影響を多く受けたが、日本ではどのような文化であろうとも、「生ける調和」がなければ受け入れなかった。しかも、「欧米こそがみずからの非文化を認め、文化の特性は一切の生活現象を融合して一個の調和ある全体とするところにあるということを、率直に承認すべきである」とまで書いている。日本人の芸術および生活において簡素を求める傾向こそが、「現代的(モダン)」と呼ぶに他ならないのである。 ブルーノ・タウトは、1880年にドイツの東プロイセンに生まれている。1910年代から1930年代前半まで、表現主義の |
建築家として世界的名声を受け、1924年から1931年の8年間で1万2千軒の住宅建設に関わったというから凄い。1930年には、ベルリンにある現在のベルリン工科大学の教授に就任している。1932年には、ソ連でも事務所を開き活動を始めるが、幾多の計画が中止されてしまう。ソ連が「プロレタリア古典主義」に転換してしまったのだ。一方、ドイツではナチスドイツの台頭により、ソ連で活動していたタウトは、「ボルシェヴィキ主義者」と見なされ、行き場を失ってしまう。止むなくタウトは、スイスやトルコなどを経由して、シベリア鉄道に乗り、ウラジオストックから、1933(昭和8)年5月に日本を訪れ、そのまま亡命生活に入る。 しかし、日本では、タウトは仕事に恵まれなかった。1936(昭和10)年の11月には、トルコのイスタンブルに教授として赴任するが、間もなく1938年に気管支喘息により死亡する。日本にいた短い期間のタウトの建築家としての作品は、熱海の日向別邸のインテリア以外、これといったものを残していない。むしろ、群馬県の高崎にいた2年間に発表した工芸品や著作が主な活動となっている。。一方、トルコにおけるタウトの短い晩年では、「ジャパン・ハウス」を初めとして、精力的に作品を残している。それらの作品には、日本からの影響が多く見られるという。機会があれば、体感したいものである。 結局、ナチス政権と手を結んだ軍国主義が幅を効かせ始める、1936(昭和10)年という時代の日本にも愛想が尽きたのだろう。国にも帰れず、彷徨せざるを得なかった建築家であり芸術家であるブルーノ・タウトが残してくれた著作群は、「忘れられた日本」「日本美の再発見」を初めとして、未だに多くが読み続けられている。そして、読む度に新しい感覚を目覚めさせてくれるのも事実だ。「ブルーノ・タウト」が「桂離宮」を評価した事実は余りにも有名だが、前述したように、そこにはモダニストたちとの掛け違いがあったことは、「つくられた桂離宮/井上章一」が喝破している。タウトが桂離宮をどう評価したのかは、この二冊などを読むと良い。「忘れられた日本美」を再発見することができる。ブルーノ・タウトがトルコにおいて実現しようとしたように。 |
「忘れられた日本」 ブルーノ・タウト 篠田英雄訳 中央公論社 中公文庫 |
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067「都市の低炭素化の促進に関する法律」が閣議決定(2012年11月28日) |
「都市の低炭素化の促進に関する法律」が、2012(平成24)年9月5日に公布されていましたが、施行日が同12月4日と閣議決定されました。地球温暖化に対応する未来に向けた取組です。京都議定書からエゴ丸出しのアメリカが抜けたり、温暖化を否定する一部の人達が反対を唱えたり、炭酸ガスの排出権取引に絡むハイエナのような利権を指摘する考えもありますが、日本は正直に動き出しているといえます。 鳩山元総理の1990年比率25%削減が話題になりましたが、図(※1 経済産業省のホームページからダウンロードした「住宅・建築物の低炭素化に向けた現状と今後の方向性」の一部を転用)のように、1990年に12億6100万トンだった日本の温室効果ガス排出量を2020年には25%ダウン、2050年には1990年比80%ダウンする中長期目標が定められています。東日本大震災の多大な影響による原発問題がありますが、縦割り行政の美点なのでしょうか、問題点として上げているだけで、中長期目標を達成しようとする流れは、今のところ変わらないようです。 「都市の低炭素化の促進に関する法律」に基づく施工令には、太陽電池発電施設などの熱供給施設を都市公園の占用許可の特例とすることなどが含まれていますが、建築関係に大きく係わるポイントは、以下の内容です。 |
日本の温室効果ガス排出量 ※1 経済産業省:「住宅・建築物の低炭素化に向けた現状と今後の方向性」より、一部転用 |
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1)低炭素建築物新設計画の認定対象となるのは、空気調和設備、機械換気設備、照明設備、給湯設備、昇降機 2)認定対象となった設備に関する床面積は、延べ面積の1/20を限度として、低炭素建築物の容積率に参入しない 容積率不参入だけでは、大都市部以外には余りメリットを感じませんが、条件付きで、所得税や登録免許税の軽減措置が盛り込まれています。 国土交通省では、「都市の低炭素化の促進に関する法律」(図 ※2/国土交通省のホームページより)を制定を受けて、「民間等の低炭素建築物」の認定制度が動き始めています。この認定制度により、2020(平成32)年までに、新築住宅・建築物の省エネルギー基準への適合を段階的に義務化するとも謳っています。 |
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閣議決定に先立ち、「低炭素建築物の認定制度講習(住宅と建築物に分けて)」が11月から全国で始まりました。私は、講習があるだろうとは予想していたのですが、具体的な日程を知り得ないまま、ある雑誌の記事で講習会があることを知りました。それで主催をする日本サステナブル建築協会のホームページに行ってみると、なんと私が住む札幌では、応募はその2日前に締め切られていました。全国各地では、1月までに巡回していますが、出張してまで受けようとは思いませんので、協会の本部に電話をしてみました。すると、多分、キャンセルがあるので直接、行ってみると良いとの案内を頂きました。幸い、開催の数日前でしたので、なるほど、そんな方法があるのですね。そのような訳で、講習の始まりの20分間は、後ろに立たされましたが、無事に両方の講習(住宅と建築物)を受けることが出来た次第です。ちなみに、テキストは12月中に協会のホームページに掲載されるそうです。 新たに策定された設定基準は、見直しがされた省エネルギー基準と一次エネルギー消費量に基づいて評価するシステムになっています。一次エネルギー消費量には、太陽光発電による削減効果も組み込まれています。 今回、見直しがされた省エネルギー基準では、住宅・建築物(住宅以外を指している)ともに外皮性能と一次エネルギー消費量を指標として、建物全体の省エネルギーを評価することになっています。そこでは、従来の熱損失係数(Q値)に基づく基準が、外皮平均熱貫流率(U値)に変わります。しかし、平成11年省エネルギー基準(次世代省エネルギー基準)の普及率が約5〜6割程度であり、中小工務店による戸建て住宅での普及率が4割にも満たないことから、低炭素建物の認定基準は次世代省エネルギー基準程度に性能を抑えています。一方、一次エネルギー消費量(家電を除く)については、次世代エネルギー基準の10%程度の削減を前提としています。ただ、講習を聞いた限りでは、北海道などの寒冷地では、さらに厳しい基準が要求される感覚を受けました。 |
都市の低炭素化の促進に関する法律の概要 ※2 国土交通省のホームページより <クリックして拡大> |
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新しく出て来たU値ですが、熱損失係数(Q値)が床面積当たりの指標であったのに対して、外皮平均熱貫流率(U値)は外皮面積当たりの指標となっています。U値についての詳細は、またの機会と致します。また、全国の地域区分が従来は6地域であったのに対して、8地域に細分化されています。大雑把に言って、北海道と関東が二分された内容になっています。建売住宅向けの省エネルギー基準である「住宅事業建築主の判断の基準」に対応しているとのことです。 独立行政法人建築研究所のホームページに行くと、低酸素建築物の認定基準の告示に沿った計算方法(プログラム等)を含めた技術情報が掲載されています。また、同ページには、基準の解説や参考情報等も掲載されています。 <2012年12月4日以降、プログラムの掲載方法等が変わったため、リンク先を変更しました/2012年12月9日追記及び変更> |
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住宅用は、プログラムをダウンロードするのではなく、Web上で直接、数値を入力すると結果がPDFデータとして得られるタイプです。建築物用は、一次エネルギー消費量算定用のExcelファイルをダウンロードして、データを入力して、CSVファイルにデータを出力して、Webにアップロードをすると、算出結果のPDFデータが得られるという方法です。ちなみに、CSVファイルとは、表計算ソフトやデータベースソフトでデータを保存するときに、指定をすると得られるカンマ付きテキストデータのことですが、歴史があり汎用性が高いものです。 今回の講習を聞いた限りでは、簡単にすべてを理解することは、現時点では至難の業と感じました。特に、設備関連の勉強が必要です。パブリックコメントが終わったばかりであり、その概要を周知している段階のようです。政府が変わろうとも、官庁は粛々と動いて行くということでしょうね。もし、自民党が政権を取った暁には、さてどうするでしょうか? 来年の2〜3月頃には、低炭素建物認定基準を含めた運用方法に関する講習会が改めて開かれるようですので、今度は注意をしていなければなりません。 |
低炭素社会に向けた住まいと住まい方の推進に関する工程表 (環境省・経済産業省・国土交通省の資料より) |
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066「神殿か獄舎か」/長谷川堯(2012年10月30日) |
神殿か獄舎か(復刻版)/長谷川堯(たかし)/鹿島出版会 /SD選書247/20071225第1刷/\2,400+税 モダニズムを震撼させたという、1972年に出版された古い本である。ところが、2008年に復刻改訂版が出た。著者は、早稲田の第一文学部出身だが建築評論家としての著作が多い。1979年の「建築有情」でサントリー学芸賞、1986年には『建築学会賞(業績部門)』を受賞している。復刻改訂版を読んでから、関東方面に行ったついでに、後藤慶二の「豊多摩監獄」などを訪ねてみた。ならば、神殿も訪ねてみようと思い、改修が終わって間もない丹下健三の「東京カテドラル教会」なども訪ねた。残念ながら豊多摩監獄は、表門しか残されていない。 いかに気丈な入獄者でも、背後で閉まる獄舎の扉の、舎房全体に響き渡る「ガシャーン」という金属音には、底知れぬ恐怖感を覚えるという。それは、獄舎自体が自分の身体と一体化するという、日常的な経験の領域では決して起こり得ない心理的効果を及ぼすからではないかと長谷川は言う。 INAX REPORT168で、中谷礼仁は「つまり監獄づくりはそれがいかに外部から設計されようとも、その内部で自ら閉じ込められているという想像的な身体なしには、単なる外面の装飾屋を超えて、建築家による空間づくりは不可能だと長谷川は述べているのだ」と書いている。 さらに長谷川は、本来獄舎的なものであるべき人間の集団的居住区を、極度に、非獄舎的に設計しようとした結果、恐ろしく刑務所的な住居空間を実現してきたという喜劇的な歴史を持つのが、日本住宅公団だと言う。日本住宅公団は、この本が最初に出版された9年後に解散、業務は住宅・都市整備公団に承継された後、都市基盤整備公団を経て、2004年に都市再生機構へ移管されている。 明治建築は、「富国強兵、殖産工業的『文明』」の建築であった。明治においては、例外的に優れたデザイナーであったコンドルを別として、彼が育てた多くの弟子や孫弟子たちは、自己の設計する建築を自己の作品として練り上げる余裕を持っていなかった。一方、建築的エポックとしての大正建築は、それらを解き放ち、「自由」にし、建築家をして設計をする作品に自己の投影をさせることから始まったという。 明治初年の工部大学校造家学科に始まり、後に東京帝国大学工科大学建築科へと、日本の建築の歴史は始まるが、 |
その主流を歩んだ辰野金吾に代表される明治建築から大正へと時代が変わったとき、エポックとしての大正建築の昂揚は、その主流からではなく、その外辺から起こっていた。たとえば、東京帝大工科大学助教授の位置から京都高等工芸学校へ飛ばされた武田五一とか、私立大学で初の建築学科の創設と育成に努めた早稲田大学の佐藤功一などが、きたるべき大正建築の中心人物だった。 大正4年、東大建築科の卒業の論文の一部を改題して、野田俊彦(似た名前があるが)の「建築非芸術論」が『建築雑誌』に発表される。それに対して、極めて皮肉なことであるが、明治42年に東大建築科を卒業した後藤慶二の「豊多摩監獄」という、明治50年の歳月を経て初めて日本の洋風建築に「芸術」と呼びうる作品が誕生する。この作品は後藤慶二が、司法省に入ってから6年目の処女作であり、彼が設計から現場の監督までの一切を、ほとんどへ手づくりといってよいほどの肌理(きめ)の細さで仕上げた建築だった。 この作品は、長谷川の言葉を借りると、全体が将棋の駒状に五角形をした敷地の南面にこの刑務所の正門があり、そこに入って行くと、左側に正方形の敷地に仕切られた特別囚用の監房。右側には病監がある。正門に入ると両側にこの二つの監房の塀が立ち、それが前方のパースペクティブの消失点へむかって細くなって行った先に、あのよく知られた正面玄関が立ち上っている。それはゴシック建築の正面を思わせるようであり、「恐ろしい監獄」のイメージとはおよそ対照的に、どこかとてつもなくやさしい女性的なファサードである。明治建築の肩の凝るような様式主義的な厳しさがきれいに洗い落され、ちょうどそれは古代ギリシャのレリーフにある、二人のニンフに腕を掴まれて海面から浮び上って来た「アフロディテ」の生誕のように、大正の「人格」の起ち上ろうとする瞬間のデザインでもあった。 後藤は、建築を作ろうとするとき、無数の相矛盾する法則があるが、それを解決するための第一の方法は「妥協」であり、第二の方法は「ただ一つの法則を残して他は皆捨ててしまうこと」だという。そして、第三の方法が「これを超越しようとするならば、自己の内に法則を見出さなければならない」という。明治建築がその後の発展形態とともに、「外部的法則」を遵守し、強化しようとしていたのに対して、長谷川の言葉を借りれば、自己拡張を空間化し、これに外被としての建築形態を与えて行く設計過程が具体化するときに、日本における<表現派建築>は、はじめて始動するのだという。まさに、「裏返しのカテドラル」が「豊多摩監獄」であったわけだ。 |
「神殿か獄舎か」 (復刻改訂版) 長谷川堯 鹿島出版会/SD選書 「神殿か獄舎か」 (初版本/1972年) 長谷川堯 相模書房 後藤慶二の工事中の豊多摩監獄中央正面のスケッチが表紙絵 |
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中村鎭(まもる)による「後藤慶二氏遺稿」がある。「叢書・近代日本のデザイン23」に収められていたものだが、入手困難と思っていた。ところが、「神殿か獄舎か」が復刊されて1年半後の2009年の5月に、「後藤慶二氏遺稿」も復刊された。1万円を超える定価に二の足を踏んだが、図書館が購入してくれた。ありがたいものである。それを最近になって読むことができたが、後藤慶二のスケッチなどともに、「第三の方法」の原文に触れることができた。いくつか興味深い論考もあったが、またの機会に譲りたい。 後藤慶二は、豊多摩監獄(1915/大正4年)を発表した後、いくつかの住宅作品を残し、彼のもう一つの代表作「東京区裁判所」の完成を見ずに、大正8年に36歳の若さで、病で他界する。後藤は、人も知る秀れた構造学者でもあり、特に鉄骨造や鉄筋コンクリート造などの欧米で開発された新しい構造技術の積極的な掌握力において、彼と競い得る人も少ない構造技術者でもあった。早稲田の建築科で構造学を担当していた内藤多仲が大正5年から6年にかけてアメリカへ留学した時に、後任の講師として後藤が早稲田へ呼ばれた。そしてそこで若き村野藤吾や今井兼次が、深い薫陶を受けている。 そして彼の遺志を、受け継ぐかのようにして、約一年余りの後、「分離派」の有名な「我々は起つ」で始まる勇ましい建築運動が開始された。当時の東大建築科は、野田の「建築非芸術論」が発表された時の、佐野利器助教授、内田祥三講師から、佐野教授、内田助教授の体制になっていた。建築教育には、「構造派」、つまり後藤のいう「法則を外部に取って他から律せられる」ことに学問的な有効性を確信していた人たちの考えが全面的に前に押し出されていた頃でもあった。その重圧を、社会的な世論を喚起することによってはねのけようとしたのが、大正9年の東大建築科の卒業生、石本喜久治、山田守、堀口捨己、滝沢真弓、矢田茂、森田慶一の6人であった。 大正9年早春、彼らは卒業の前に大学構内の学生集会所で習作展を開き、卒業後7月、グループとしての作品展示を、日本橋の白木屋において開いた。これが世にいう、分離派展覧会の第一回であった。同年、この展覧会への出品作品をもとにして、岩波書店から『分離派建築会作品集』が出版された。この作品集には、このグループの全員の文章と作品が掲載されている。それらの文章のトップを受持っているのは、石本喜久治の「建築還元論」であるが、そこには 『建築は一つの芸術である このことを認めて下さい』と記されていた。 |
しかし、日本の表現派建築は、蒲原重雄の「小菅刑務所」の設計(大正12年起工)とその完成(昭和5年)によって一応の終りをつげることになる。つまりこの小菅刑務所を最後にして、大正10年代を通じて現れてきた日本の表現派建築のそのほとんどが、同じ時期のドイツ、オランダの建築意匠にきわめて近い相貌をもちながら、結局ほんとうの意味での表現派建築を生み出すことに失敗してしまうのである。日本の表現派建築の多くは、建築家の想像力が<空間>として現実化する直前に、物質の重さに最終的に裏切られて惨敗しているケースが多いと長谷川はいう。 もっともメンデルゾーンでさえ有名なアインシュタイン塔で同じ苦杯をなめているほどであるから無理もないともいえるが、いずれにせよ日本には遂に一人のハンス・ベルツィッヒも、ブルーノ・タウトも出現せずに建築界は別のエポックに入って行った。ちなみにブルーノ・タウトは1880年生まれ、後藤慶二は1883年生まれだった。ブルーノ・タウトが日本に滞在したのは、昭和8年から昭和10年にかけてだった。わずか3年に満たない期間しか日本には滞在しなかったが、ブルーノ・タウトは明治建築の多くを酷評することになる。それについてはまた機会を改めたい。
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「後藤慶二氏遺稿集」 (復刻版) 中村鎭(まもる) ゆまに書房 ガラス・パビリオン (グラスハウス) ブルーノ・タウト 1914年 |
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旧豊多摩監獄 獄舎内部 |
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表面的には不遇であったが、大正期の構造派の建築家にとって一つの決定的な幸運は、関東大震災の勃発であった。この巨大なエネルギーにより、構造的配慮に欠けた木造や組積造建築などがもろくも崩れ落ち、またアメリカ系の耐震性の弱い鉄骨鉄筋コンクリート構造のビルが崩壊したり極度の損害をうけた。その中でいわば耐震構造の見本のごとき姿で残ったのが、他ならぬ構造派の建築家が設計に関係していたいくつかのビルであった。それと同時にこれによって大正期において盛んであった、紙の上での建築家のイメージ・スケッチによる想像力の発露が、全くの<絵空事>として排される風潮を生んだ。長谷川は、明治建築の陽的オス的思考に対して、大正建築にはメス性の開示があるという。 関東大震災は、アメリカの建設会社の施工による「丸ビル」が、内藤多仲の耐震構造による「日本興業銀行」に完敗させられたことによって、日本における構造体は建築の従属的な要素ではなく特別のもの、つまり主役である、という建築思想が、文字通り(雌伏)の状態から立ち上がり、やがてついにオスの本性を露出した時に、建築は「大正」から「昭和」へと移行していった。大正は、昭和初期のモダニズムの隆起によって終焉を迎える。 昭和5年、ル・コルビジェのところから前川圀男が帰ってくると、国際主義を前提とするモダニズム建築は活発になるが、合理主義的構造派側からの激しい抵抗が起こる。それは、インターナショナリズムとナショナリズムの争いでもあった。表現主義の世界的な代表者ともいえるブルーノ・タウトが日本に滞在したのもこのころだが、彼にはほとんど仕事が与えられなかった。わずかに、桂離宮と伊勢神宮への評価と工芸製品と著述に記録をとどめているだけだ。構造派は、科学主義の姿をとりながら建築界を制圧していった。それは、「大正」の建築思想に変わって再び「明治」のそれに似た、建築を上から、外から見る視線の復活でもあった。国家の支配者あるいは管理者の側から被管理者へ。法に則して与えるものとしての建築を作る立場でもあった。そして、戦後を迎える。 ヒロシマの悲劇の一つの建築的決着として、丹下健三が「神殿づくり」として建築界に召し出される。丹下健三は、あの「広島平和センター」における、厳粛な神殿空間を支える軸線的構成の効果を最初に披露し、香川、代々木、千里と既に設定された軸線上をなめらかに展開し、美しい神殿の残像を追い求める貪欲な人達を常に魅了し続けた。この華やかな丹下の活動の周辺には、「神と民の住まい」の具象としての「伊勢・出雲の神殿建築」についての歴史解釈を展開する川添登がいた。さらに、その宮柱を太く掘り、立てるための土壌としての |
<縄文的なもの><弥生的なもの>が掘り下げられ、さらに<メタポリズム>と呼ばれる一連の建築・都市の思惟が生まれていった。「神殿をうちたてれば、あとはなんとかなる」といわぬばかりにと長谷川はいう。廃墟としての焼け跡の上にそびえる神殿、それは魅力溢れる幻想であったが、丹下を継ぐ磯崎新たちにもそれは引き継がれていった。 さらには、日本における県庁舎の建設は、その思想が地方自治体のための建築の神殿化でもあった。たとえば林昌二の「茨城県会議事堂」などにおいては、傍聴者はやっかいなもの、という政治を担当する者の本能的な神殿視座が驚くほどリアリスティックに解決されていると長谷川はいう。その思想は、農協建築にも学校建築にも、その他の<文化的>施設、図書館、美術館、博物館等の場合も同じであった。 丹下健三は、ル・コルビュジェへの憧憬とともに、ピロティの上にルーバーのせいで鳥かごのように見える「広島平和記念資料館」を載せた。それは、伊勢のイメージをどこかで意識しているという。この原爆の死者のための葬祭殿としての「広島平和記念資料館/原爆資料館」は、多数の肉親や同胞の死の悲しみを共有することによってつなぎとめようとするネガティブな神殿建築に他ならない。長谷川は、それが日本という<国家>における戦争と敗戦という重大な事態に対する批判の棚上げの建築的表象であるように思えてならないという。このようなヴォリュームを強調するための近代建築が異常な固執をみせた手法であるピロティだが、むしろそこでは建築は中空に浮遊するよりも、地面に根を下ろし、逆に地下(アンダーグランド)へとむかう気配さえ濃厚だという。 この濃厚だとする長谷川の見解が、ピロティからの逆説的なイメージなのか、そうであるべきだというのかが、前後の文章からは私には判らなかった。しかし、丹下健三が亡くなる少し前の2002年の作品である「広島原爆死没者追悼平和祈念館」では、丹下健三がどれだけ関与したかは判らないが、渦を巻いている建物が地下にどんどん潜っていくように建てられている。「原爆ドーム」と「広島平和記念資料館」とのほぼ中間にある「広島原爆死没者追悼平和祈念館」だが、その中では、モニュメントや被災時のスクリーン表示があり、被災した人の映像なども映っていた。 あとがき(解題・長谷川堯の私的素描)で、弟分の盃を交わしたという藤森照信が書いている。「戦後の主流をなすレーモンド、前川国男、坂倉準三、丹下健三の流れは、長谷川の登場に対し、沈黙で迎えた。賛成はもちろんしないが、批判もしない」「長谷川の登場で一番助かったのは村野藤吾だった」と。 |
「広島平和記念資料館」 丹下健三 1955年 2009年11月25日撮影 「東京カテドラル 聖マリア大聖堂」 丹下健三 1964年 2008年11月22日撮影 「広島原爆死没者 追悼平和祈念館」 丹下健三 2002年 2009年11月25日撮影 |
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建築有情/長谷川堯/中央公論社/中公新書471 /19770625初版/19900320第10版/\560 この本を私は「神殿か獄舎か」以前に読んでいたのだが、「神殿か獄舎か」が出版された5年後の1977年に出版された本である。後から考えると、読む順序が違ったかなと思った次第であるが、それもまた縁であろう。1958年に、札幌市内の中之島公園に移築された豊平館(ほうへいかん)の話題、特に「天井飾り」が出ていて興味が引かれた記憶がある。ちなみに豊平館は、2012年4月1日から約4年間の耐震工事などに入っていて現在は休館中である。 近代建築運動の指導者のひとりであったル・コルビュジェが1926(昭和元)年に発表した『近代建築の五原則』がある。@ピロティA 屋上庭園 B自由なプラン C横長の窓 D自由なファサード がそうだ。このような『五原則』をあげた後、最後にコルビュジェは、この五つの原則は「根本的に新しい美学を意味する」ことを強調し、だから「過去の時代の建築は、もはや私たちには問題ではない」と断言している。 日本の若い建築家や学生の、論理ではなく、感情を最も刺激した『原則』は、2番目の「屋上庭園」の提言だったのではないだろうかと長谷川は言う。そして、「少なくとも私には、他の4つの論理性にくらべて、2番目の提言は春風のような柔らかさで頭の中を吹き抜けた」とまで言っている。ところが、実際のコルビュジェの作品を見ても、植物があふれる空中の庭といった雰囲気ではなく、どちらかといえはコンクリートの構成物が並べられた無機的な世界だった。同じようなことを、藤森照信がある講演会でも言っていた。 |
「伊勢神宮はパルテノンに匹敵するすぐれた建築である」といったのは、ブルーノ・タウトだが、もしかりにパルテノンのあるアクロポリスの丘に伊勢の神殿が建っていても、それは建築的魅力の半分も発揮できずに終わるだろう。伊勢の建築は湿っぽい空気になじんだあの杉木立の中に沈んで、地中海にくらべてはるかに淡い北の光のもとで、にぷく輝くような白木の肌を私たちに見せてこそ、本当の味があると長谷川は言う。 近代に入って建築家は陰影という言葉の本当の意味を理解しなくなってしまった、という意見があるという。私も谷崎順一郎の「陰翳礼賛」でこのことに触れたが、そうした元凶を生んだのは、近代建築運動の指導者としてあまりにも有名なル・コルビュジェあたりではないだろうかという。最近読んだ本だが、「気になるガウディ/磯崎新/新潮社」で、「よくいわれることだが、コルビュジェの建築は1930年代に入って変化した。それまでの機能主義、合理主義いっぺんとうの無機質なスタイルから、有機的、彫刻的なフォルムへ。そして、時折いわれることだが、その変化の理由のひとつに、バルセロナでのガウディ体験があるという。」とポストモダンの代表者の一人であった磯崎新は書いている。 1930年というと、日本では昭和5年にあたる。インターナショナリズムとナショナリズムの争っていたころでもある。大正建築は、既にその勢いを失っていた。後藤慶二は、1919年に既に、36歳の若さで亡くなっていた。村野藤吾は、1929年に渡辺節建築事務所を退所し、村野建築事務所を開設している。2009年に小諸市内にある村野藤吾の「小山敬三美術館」を訪れたとき、写真で見るル・コルビジェの「ロンシャンの教会」との類似性に驚いた記憶がある。 |
「建築有情」 長谷川堯 中央公論社 中公新書 「気になるガウディ」 磯崎新 新潮社 |
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建築旅愁/長谷川堯/中央公論社/中公新書562 /19791210初版/\460 ベルギーのブリュッセル駅から始まって、パリの街を逍遙するまで、著者が日本を含む西洋建築のルーツを辿った記録である。書き上がるのに2年近くをかけている。「左右対称の迷路」「列柱遊歩」「ヌーヴォーかぶれ」「野蛮さの陰で」「部分の叛乱」といった章立てで、空間とディテールが描かれている。「建築有情」と同様に、山田建烈の挿絵も良い。私には、「建築有情」よりもさらに前に読んだ本である。 明治維新直後に、同じ極東の島国から同じパリを訪れながら、裁判所や宮殿や銀行や学校や兵舎から都市パリの市街を眺めた岩倉具視を団長とする維新政府の使節団と、監獄や劇場やキャバレーや寺院建築の空間からパリの街の真髄に迫ろうとした東本願寺の欧州施設随行員として欧米を巡った成島柳北(なるしまりゅうほく:幕末期の徳川奥儒者で明治期以降はジャーナリスト)との視点の違いを、「取り締まる者」と打ち倒された「取り締まられる者」として描いている。 |
長谷川のこの記述に一番引かれた 「合理主義の建築には、いかにもそれらしい外形や平面上のアウトラインが示されているにもかかわらず、訪れる者がギクリとするような細部にはあまりお目にかからないではないか。ガラス・ブロックの壁ひとつ考えてみてもいい。私が見たパリの大学都市の有名なコルビュジェのスイス学生会館の階段室にもガラス・ブロックの壁面がある。それとコルのある意味での師匠にあたるともいえるベレーのフランクリン街のアパートの階段室のそれと比較してみると、同じガラスという素材が使われながら、その材料の文字通り輝きが違うことを誰でもはっきりと認めるだろう。近代の合理主義者たちは、そしてその後継者たる世界中の現代の建築家たちは、建築のアウトラインを追いかけることにあまりにも熱中しすぎて、建築のディテールを、野原の可憐な草花を踏みにじるように、いたみつけ、だめにしてしまったのではないだろうか。」 |
「建築旅愁」 長谷川堯 中央公論社 中公新書 |
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065 天空率と高さ制限について(2012年8月26日) |
■高さ制限とは 都市計画区域又は準都市計画区域内においては、建築物の高さ制限が定められています。以下の高さ制限がありますが、それらをまとめたものが表(※1)です。 |
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1)第一種低層住宅専用地域及び第二種低層専用住宅地域においては、200uを越えない範囲で敷地面積の最低限度を定めることができる。 2)第一種低層住宅専用地域及び第二種低層専用住宅地域においては、1.5mまたは1mの外壁の後退距離を定めることができる 3)特定街区内の建築物は、道路斜線制限、隣地斜線制限、北側斜線制限はすべて適用されない。 4)制限が緩和されるのは、容積率と高さ制限(建ぺい率は緩和されない) 高さ制限の一覧 (※1) |
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○高さの限度(絶対高さ制限) 第一種と第二種の低層住宅専用地域内においては、10mあるいは12mの絶対高さの制限が都市計画で定められます。理屈抜きに、この高さを超えることができないのです。 高さ制限ではありませんが、この二つの低層住宅地域においては、外壁の後退距離も1m又は1.5mと定められています。敷地境界から外壁表面までの距離ですので、軒の出は関係ありません。一定規模以下の物置等は除外されます。 ○道路高さ制限 用途地域(無指定も含む)毎に、前面道路の幅員に応じた高さ制限があります。 ○隣地高さ制限 用途地域(無指定も含む)毎に、隣地側に高さ制限があります。 ○北側高さ制限 用途地域毎に、真北方向にある隣地境界線または真北方向にある道路の反対側の境界線側に高さ制限があります。 |
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○日影規制 用途地域(無指定も含む)毎に、冬至の日に建築物が一定の範囲に落とす日影時間を制限します。詳細は、日影規制を参照して下さい。 ○高度地区 用途地域毎に、市街地の環境維持又は土地利用の増進を図るために、都市計画で、建築物の高さの最高限度又は最低限度を定めます。 ■建物の高さとは 地盤面(道路高さ制限では、前面道路の路面の中心高さ)からの高さをいいます。階段室等の塔屋の水平投影面積の合計が建築面積の1/8以下で、その部分の高さが 高さの限度(絶対高さ制限)と日影規制では 5m以下 道路高さ制限と隣地高さ制限では 12m以下 の場合は、高さに算入しません。また、 北側高さ制限では、塔屋もすべて高さに算入されます。 ■道路高さ制限について 用途地域毎に、図(※2)のように、前面道路の反対側の境界線までの水平距離に、決められた斜線勾配を乗じた高さ以下にしなければなりません。ただし、水平距離が適用距離を超えれば、道路斜線制限は適用さ |
道路高さ制限 (※2) |
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れません。高さの基準は、前面道路の路面の中心高さからとなります。また建物が道路境界から後退している場合は、建物の最小の後退距離分だけ、さらに道路境界が外側にあるものとみなされます。 敷地が複数の用途地域にまたがる場合や、前面道路が複数ある場合、等々の諸条件や緩和規定が多数あります。詳細は、ここでは省略します。 ■隣地高さ制限について 用途地域毎に、図(※3)のように、隣地境界線までの水平距離に、決められた立上げ高さを加算して、斜線勾配を乗じた高さ以下にしなければなりません。立上げ高さを超えた部分の建物が、隣地境界から後退している場合は、その最小の水平距離だけ隣地境界線が外側にあるものとみなされます。 敷地が複数の用途地域にまたがる場合や、敷地が隣地と高低差がある場合、等々の諸条件や緩和規定もあります。詳細は、ここでは省略します。 また、第1種、第2種低層住居専用地域には、隣地高さ制限はありません。絶対高さ制限で、建物の高さが10mor12mに制限されているからです。 ■北側高さ制限について |
隣地高さ制限 (※3) |
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北側高さ制限は、第1種・第2種低層住宅専用地域と第1種・第2種中高層住宅専用地域にのみ適用されます。また、日影規制を受ける第1種・第2種中高層住宅専用地域は除外されます。 隣地境界線までの真北方向の水平距離に、決められた立上げ高さを加算して、斜線勾配を乗じた高さ以下にしなければなりません。真北方向に道路がある場合は、その延長が前面道路の反対側までの距離に斜線勾配を乗じます。(図※4) 敷地が複数の用途地域にまたがる場合や、敷地が隣地と高低差がある場合、等々の諸条件や緩和規定もあります。詳細は、ここでは省略します。 |
北側高さ制限 (※4) |
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■高度地区 居住環境の保存や街並み景観の形成を図る目的で、条例で定められます。以下の様な高度地区の種類があります。 ○北側斜線高度地区(札幌市の場合) 第1種・第2種低層住居専用地域内に指定されますが、この地区では、前述の北側高さ制限の他に、北側の隣地境界線または前面道路の反対の境界線までの真北方向の水平距離に5mを加えた高さ以下にしなければなります。東京都では、北側斜線型高度地区として、第1種から第3種までの高度地区が指定されます。 ○24m・27m・33m北側斜線高度地区(札幌市の場合) 第1種・第2種低層住居専用地域に南接する他の用途地域に指定されます。この地区では、北側斜線高度地区の高さが条件となると共に、絶対高さが決められた数値で指定されます。東京都では、絶対高さ北側斜線型高度地区といわれます。 ○24m・27m・33m・45m・60m高度地区(札幌市の場合) 最高高さが決められる地区です。この高さを超えて建物を建てることはできません。東京都では、最高限度高度地区として指定されます。。 ○最低限度高度地区(東京都の場合) 札幌市には指定がありません。土地の有効かつ高度利用を図る目的で指定されます。 |
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■天空率について 2003年に改正された建築基準法から始まった新しい基準です。高さ制限に適合する建築物に比較して、計画建築物の方が周辺に及ぼす影響が小さければ、高さ制限は適用しないというものです。この場合の高さ制限とは、道路・隣地・北側の高さ制限を指しています。日影規制や高度地区による制限には、該当しませんので、緩和されません。 天空率 RS=(As−Ab)/As As:想定半球(地上のある位置を中心とした水平面状に想定 する半球)の水平投影面積 Ab:建築物とその敷地の地盤をAsと同一の想定半球に投影 した投影面の水平投影面積 この天空率によって、これまで斜線制限で利用できなかった容積率を有効に利用できるようになったり、斜線制限により建物が斜めにカットされていたのが回避されるケースが出てきました。 天空率算定の際の、適合建築物は塔屋等の水平投影面積の合計が建築面積の1/8以内で、高さが12m以下の場合は、建築物の高さに算定されませんが、計画建物では、塔屋等も含めて天空率に算定します。また、道路・隣地・北側の高さ制限のいずれかのみを算定することも可能です。 |
天空率の概念 (※5) |
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天空率の諸条件や、条例等による違いもありますが、詳細は、ここでは省略します。 |
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064 日影規制について(2012年8月5日) |
■日影規制とは 建築物が建つと近隣に日影が必ず生じます。その日影時間を制限することにより、住宅地における日照時間の悪化を防ぐために、日影規制が決められました。地方公共団体の条例により、定められることになっています。良く話題になるのが「日照権」ですが、日照権には法的な規制はありませんが、裁判による判例があり、さまざまなケースで係争されています。 商業・工業:工業専用地域には、日影規制がかけられていませんが、日影が対象となる地域(住居系地域など)に落ちる場合は、建物高さが10mを超えるとその対象区域内にあるものとみなして規制されます。10m未満の場合は規制がかけられません。 規制の対象となる時間は、以下の時間帯です。 北海道以外:冬至の真太陽時による午前8時から午後4時まで 北海道 :冬至の真太陽時による午前9時から午後3時まで 真太陽時:計画地点における太陽が真南にあるときを12時とします 冬至 :太陽の南中高度が1年中でもっとも低くなる日 (昼の時間が一番短い日) 真北と磁北:磁石の北が磁北、北極点の方向が真北です。 この二つのずれを偏角といいます 規制の対象となる時間帯で、規制の対象となる建築物が、近隣の敷地の平均地盤面から決められた高さの面に、生じさせる日影を計算します。その時、敷地境界線から水平距離で、5m超10m以内と10m超の範囲でそれぞれ、定められた時間を超えないように、規制となる建物を配置しなければなりません。以上をまとめた表(※1)が建築基準法で定められています。近隣の敷地に生ずる日影ではなく、決められた高さの水平面等というところが注意を要します。イメージが図(※2)です。 |
日影による制限 (※1) ※( )内は北海道の場合 |
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5mラインが設定されたのは、通常の住宅地では南側に庭がありますが、平均的に5m程度、敷地境界から庭を挟んで建物が建っていることが多い理由です。また、10mラインは、ビルとビルの日影が重なり合う離れを想定した距離だそうです。それと、平均地盤面から設定面を上げているのは、1階の窓の平均的な高さの中心が1.5m、2階の窓の平均的な高さの中心が4.5mといった理由です。 ■等時間日影図 日影が規制対象となる時間帯に、建築物から生ずる日影を描いた図面を「日影図」といいます。実際の日影ではなく、表(※1)で決められた高さの日影を描いています。簡単なイメージが図(※3)です。 日影図の9時と12時の日影が重なる部分は、3時間の日影があることになります。4時間の日影は、9時と13時が重なっています。この日影図をもとに、同じ時間だけ日影になる点を結んだものを「等時間日影図」といいます。表(※1)の規制された日影時間の等時間日影図を描いたときに、敷地境界線から5mラインと10mラインに影響しているときは、その建築物は建てられないことになります。建物の高さを低くしたり、大きさを変えるなどの必要があるわけです。簡単なイメージ図(※4)ですが、この場合は日影規制をクリアしていることになります。イメージ図(※5)の場合は、クリアしていないケースです。 |
建築物と日影のイメージ図 (※2) |
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かつては、計算をしながら図面を手で描きましたが、現在はコンピュータで簡単に描けるようになりました。 ■日影規制のいろいろなケース ◇日影規制の対象となる高さの算定方法 平均地盤面からの建築物の高さが基準となりますが、階段室等の塔屋は、その水平投影面積が建築物の建築面積の1/8以内の場合で、その高さが5mまでは、建築物の高さに算入しません。5mを超えると算入されます。 ◇同一敷地内に2つ以上の建築物がある場合 1つの建築物とみなします。また、2つ以上ある建物の1つでも規制対象建築物に該当すれば、該当しない建築物も制限の対象となります。 ◇対象区域外にある建築物でも制限を受ける場合 前述しましたが、日影が対象となる地域(住居系地域など)に落ちる場合は、建物高さが10mを超えるとその対象区域内にあるものとみなして規制されます。10m未満の場合は規制がかけられません。 |
建築物から生ずる日影の時間別推移のイメージ (※3) |
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◇日影が日影時間の制限の異なる複数の区域にまたがる場合 それぞれの区域について、検討しなければなりません。制限を受ける複数の地域が3つあれば、3つの検討が必要になるのです。 ◇建築物が日影時間の制限の異なる区域の内外にまたがる場合 これは、建築物自体がまたがっているケースです。表現が難しいのですが、まず、区域毎に建築物の高さを測ります。建築物の高さが多数あっても、それぞれの区域の規制対象建築物の高さに該当していなければ、規制対象になりません。例えば、第一種低層地域では高さが6mで2階、第一種中高層地域では高さが9mの建築物があったとします。いずれの地域でも規制対象建築物に該当しませんので、建築物全体が規制対象外となります。一方、一部でも規制対象となる高さの建築物の場合は、その規制対象となった地域のみ制限を受けることになります。 ◇敷地が道路や川、公園、広場などに接する場合 敷地が公園や広場に接する場合は、緩和規定はありません。将来の用途が変更されても良い対応がされています。一方、道路や川などの水面、線路敷等に接する場合は、 幅員が10m未満の時 幅員の1/2だけ外側に敷地境界があると見なされます 幅員が10mを超えるとき 道路などの敷地から反対側の境界線から敷地側に5m寄った線を敷地境界線と見なされます。 |
等時間日影図のサンプル (※4) ※日影規制をクリアしている例 |
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◇隣接する土地や連接(隣地のさらに向こうにある土地)する土地の平均地盤面が、建築物のある土地よりも高い場合 隣接、連接する土地それぞれで、検討をします。そのとき、高低差が1m以上ある場合は、その高低差から1m引いたものの1/2だけ敷地の地盤面が高いところにあるものと見なして、日影の測定面を設定することができます。高低差が1m未満の場合は、緩和されません。 ■日影規制の問題 一般には、「日照権」と考えた方が理解しやすい日影規制ですが、目的は一緒といえども、まったく異なる手法に基づいています。受ける権利を法律で明文化するのは非常に難しいでしょう。そのために規制するともいえます。 また、複合日影が問題となっています。異なる敷地に複数の建築物が建てられた場合、個々の建築物の日影ではクリアしていても、それらの建築群が作り出す複合日影により、大きな影響が発生することもあります。敷地細分化を促進する危険もあるのです。 高層マンションによる日影の影響の広域化も問題になっています。日影規制のラインをもっと多くするべきとの意見もあります。「権利」を「規制」で確保しようとした矛盾がここにあるのです。 |
等時間日影図のサンプル (※5) ※日影規制をクリアしていない例 |
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063 用途地域について(2020年5月1日) |
■都市計画区域とは 日本全土の土地は、国土利用計画法により、土地利用基本計画が定められ、次の5つに分けられています。 都市地域 農業地域 森林地域 自然公園地域 自然環境保全地域 都市地域は、都市計画法により、都市計画区域と準都市計画区域が定められています。建築基準法の第三章にあたる建築物の敷地、構造、建築設備及び用途の制限は、都市計画区域と準都市計画区域にのみ適用されます。それ以外の建築基準法の条項は、すべての地域に適用になります。ちなみに、日本における最大の地域は、森林地域で約66%を占めています。<木材について/参照> 都市計画区域は、日本全国の面積377、972kuに対して、102、328ku(約27.1%)の面積に約96%の人が住んでいます。また、準都市計画区域は、全国で45個所が定められていますが、6,917ku(約1.8%)の面積があり、約0.2%の人しか住んでいません。<2017年3月現在の国土交通省の発表資料より> |
日本全土における都市計画区域の概念図 |
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■市街化区域とは 都市計画区域は、都市計画法により、市街化区域と市街化調整区域、非線引き区域に分けられます。全都市計画区域の約14%の面積が市街化区域、約37%の面積が市街化調整区域です。全国土面積の約3.8%の市街化区域に全国民の約67%が住んでいます。 市街化区域:既に市街地を形成している区域及び概ね10年 以内に優先的かつ計画的に市街化を図るべき区域 市街化調整区域:市街化を抑制すべき区域 非線引き区域:都市計画区域において、市街化区域・市街化調整 区域いずれも指定されていない区域 |
都市計画区域の内訳(面積と人口) 2010.3.31現在(全国のみ2009.3.31) |
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用途地域の種類と用途規制 (※1) |
都市計画区域内における 用途地域の内訳(面積) 2017.3.31現在 |
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■用途区域とは 市街化区域は、都市計画法で13種の用途地域(※1)が定められています。用途地域が定められていない市街化区域は白地地域と呼ばれています。用途地域は、準都市計画区域の一部にも設定されていますが、市街化調整区域には用途地域は設定されていません。 用途地域は、表(※2)のように、建築基準法で用途規制がかけられているため、建設できる用途が地域ごとに制限されています。この表では、工場、自動車修理工場、倉庫などは設定条件により範囲が広いため省略しています。また、用途地域ごとに建ぺい率や容積率、絶対高さ、道路斜線制限、隣地斜線制限、北側斜線制限、日影規制などが定められています。 ※2018(平成30)年の法改正により、新たに「田園住居地域」が追加されました。 ■さまざまなケース ○建築物が2つ以上の用途地域にまたがる場合は、敷地の過半が属する 用途地域の制限を受けます。敷地内の建物の位置は関係ありません。 ○建築物が3つの用途地域にまたがり、過半の地域がない場合は、2つの用途地域で可能な用途が建築できます。 ○用途地域規制は、既存建築物の用途変更にも適用されます。 ○建築基準法および都市計画法による用途制限がなくても、風俗営業適正化法や各自治体のその他の条例により用途に関する規制が掛かることもあります。 ○延べ床面積が一定の面積(例えば、北海道は1000u)を超える店舗は、大規模小売店舗立地法の規制を別途受けます。その際、特定行政庁の認定を受ければ、二種住居・準住居・工業地域・市街化区域の用途無指定地域でも建築することができます。 許可:公正性を図るため、そのほとんどが特定行政庁の判断 だけではなく、第三者機関である「建築審査会」の同意 や公聴会を義務づけている 認定:ある一定の範囲内で制限を緩和すること ○用途規制を受ける建築物でも、要件を満たせば、特定行政庁の許可を受けて建築できる場合があります。 ○都市計画区域のうち、用途地域が指定されていない区域を白地地域といいますが、高層・高密度の建築も可能であることから、周辺住宅地との紛争や、将来に用途指定をする際の形態規制上の不均衡の恐れがあるとされていました。そのため2000年から、白地地域の建築形態が都道府県知事等により、土地利用の状況等をもとに、規制がかけられるようになっています。 ○用途地域の指定が変わって、既存不適格となった場合は、一定の範囲内で増改築ができることになっていますが、増築面積を2割以下(50uが上限)にするなど、厳しい条件が付けられます。 |
用途地域による建築制限の代表例 (※2) |
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■特別用途地域 用途地域内の一定の地域において、その地区の特性にふさわしい土地利用の増進や環境の保護など、特別の目的の実現を図るために指定された地域を特別用途地域といいます。特別用途地域は、用途地域の指定がされていない地域に指定されることはありません。 1998年の都市計画法の改正により、地方公共団体が指定できるようになりました。全国の都市で、特別工業地区・文教地区・小売店舗地区・事務所地区・厚生地区・観光地区・娯楽・レクリエーション地区・中高層階住居専用地区・特別業務地区・研究開発地区などが指定されています。 |
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062 鉄について(2012年6月10日) |
いよいよ金属シリーズも本命の鉄になりましたが、鉄については書き出すとボリュームが壮大になりますので、ここは簡単にまとめさせて貰います。 人類の歴史を語ると、青銅器文明がまず生まれて、鉄器文明が遅れて発達したとの認識が一般ですが、以前、読んだ冶金学の歴史の本では、鉄器が先に生まれた可能性が高いと書いてありました。銅よりも鉄の方があまねく分布していることと、鉄は錆びやすいため消失が早いとの理由だったように記憶しています。事実、鉄はこの地球の地殻を構成する成分としては、4番目に多い物質です。1地番目と2番目は酸素とケイ素ですから、金属としては、アルミニウムに続く2番目です。地球全体の質量比となると、約35%を占めて、金属中トップにあります。鉄は、無尽蔵に近くある訳ですが、実際の可採埋蔵量は推定で2,320億トン程度といわれています。鉄を最初に利用したのは、隕石として地上に落ちてきた「隕鉄」を加工したのが最初ではないかといわれています。早くにみる考えでは、約5000年前の頃と推定されています。 鉄の精錬技術を最初に確立したのは、紀元前2000年頃のアナトリア地方といわれています。かつては、エジプトと覇権を争ったヒッタイト王国が製鉄技術を確立したとされていましたが、その後の研究により、それ以前の文明の製鉄技術の存在が認められるようになりました。ヒッタイトは、製鉄技術を独占していたのですが、紀元前1200年頃に、ヒッタイトが滅亡すると、国家秘密だった製鉄技術は、オリエントやヨーロッパに広まるようになりました。以上は、定説ですが、世界の鉄器文化の発祥は中国と予想している人も多くいます。個人的な感覚ですが、中国説にどうもシンパシーを感じてしまいます。 「ステンレスについて」で触れたウーツ鋼と呼ばれる良質な鉄鉱石を原料とした鉄は、紀元前600年頃のものです。中国では、紀元前1000年頃に農具や武器の鉄器の生産が始まったとされていますが、紀元前1400年頃とみなされる殷(商)代の、周囲が銅製で、刃の部分が隕鉄を利用したと想定される鉄製の鉞(まさかり)も発見されています。日本には、紀元前3世紀頃に伝わったとされています。日本への伝播は、青銅と鉄がほぼ同時期に伝わったことが特徴的です。朝鮮半島での開始時期が日本よりも遅い(これも異説があります)ことは、中国南部から海洋を伝わって日本に伝来した可能性もあります。「たたら」と呼ばれる、砂鉄から和鋼を製造する遺跡が国内でも多数見つかっています。宮崎駿の「もののけ姫」にも出てきましたね。 日本における古代製鉄の原料は、従来砂鉄のみとする見方が多かったのですが、奈良時代とみられる遺跡から、鉄鉱石を原料とした製錬跡が見つかっています。砂鉄を原料とする製法は南方から、鉄鉱石を原料とする製法は、少し遅れて高句麗を経由して北陸方面に伝わった可能性があります。また、4世紀から5世紀頃の北魏時代の中国で、コークスを使った製鉄の記録が残っています。発見されたことと、工業的に利用されたこととは異なるという考えもあるでしょうが、冒頭に触れたように、鉄の歴史は、アジアでの歴史が解明されていくことによって、変わっていくのではないかと私は考えています。 |
鉄を生みだした帝国 大村幸弘 NHK出版 アナトリア発掘記 大村幸弘 HHK出版 |
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■銑鉄(せんてつ)と錬鉄(れんてつ) 高炉などで、鉄鉱石から取り出した鉄を「銑鉄」といいます。銑鉄は、溶けやすく炭素含有量が高く、硬いのですが、衝撃に脆い性質があります。当初、石炭は製鉄の燃料としては、硫黄分が発生するため、不向きとされていましたが、石炭を蒸し焼きにして得られるコークスを使う高炉が工業的に最初(?)につくられたのは、18世紀のイギリスです。中国では、その千年以上前から、製法自体は開発されていました。コークスでは、硫黄分がほとんど発生しなかったのです。銑鉄は、製鋼や鋳物の原料となりました。銑鉄は、鍋や釜などの鋳物の原料になりますが、脆いため、そのままでは刃物などには使えません。 18世紀の後半、高炉の側面から鉄の棒を差し込んで内部をかき回すことによって、「錬鉄」が得られるようになりました。反射炉によるバドル法の発見でした。錬鉄は、より純鉄に近い、炭素量の少ない鉄です。1889年完成のパリのエッフェル塔は錬鉄製です。約3500年前のギリシアでは、侵炭法(しんたんほう)という、鉄をたたいて刃物の形にしてから、木炭の中で熱し、さらにハンマーでたたいて切れ味の鋭い硬い刃物を得ていました。これは、木炭の中に含まれる炭素が、錬鉄に染み込んでいき、鍛造することによって鋼に変わっていたのです。 19世紀に入ると、転炉が発明され、製鋼の圧延工程までを含む製鋼一貫製造の技術が可能となりました。以降、平炉など各種の製鋼法が開発されています。日本でも、砂鉄を利用した反射炉による鋳造を行っていましたが、1858年、森岡藩(南部藩)の大島高任(たかとう)が西洋式高炉での銑鉄生産に成功しています。官営の八幡製鉄所が操業を開始したのは、1901年のことです。 今、鉄というと、ほとんどが「鋼」、つまり鉄に炭素が0.1〜1.5%程度添加されたものを指しています。実際、現在日本で生産されている鉄は、殆どが鋼です。しかし、つい160年頃前の1850年代までは、鉄というと銑鉄と錬鉄を指していました。鋼は、わずかな生産だったからです。鋼が優れているとはわかっていても、コストがかかるため一部の高級品にしか利用されていなかったのです。 |
伊豆韮山の反射炉 現在も使われているそうです 2009年12月12日撮影 |
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■粗鋼生産 現在の粗鋼生産量は、世界全体で約14億トン(2010年度)です。中国がダントツの世界一位で約6.3億トン(44%)、欧州連合で約1.7億トン、日本は1990年代に世界一位になりましたが、現在は約1.1億トンと健闘しています。国別では、世界二位になります。ただ、この業界の世界的な再編の動きは、技術革新とともに凄まじい変化を見せています。(※1) 粗鋼の原料は、鉄鉱石ですが、日本では砂鉄がわずかに産出するだけで、鉄鉱石は100%を輸入に頼っています。約60%をオーストラリアから輸入しています。他には、ブラジルなどからも輸入をしています。世界全体の鉄の産出量では、ブラジル、オーストラリアが20%前後を争っていて、中国とインドがそれに続きます。中国の鉄鉱石全体の生産量は、世界一位なのですが、鉄含有量が30〜40%と品位が低いため、順位が下がります。 |
世界の粗鋼生産量 単位:百万トン (※1) |
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オーストラリアの鉄鉱石は、約60%の鉄が含まれています。この鉄鉱石を使って、1トンの鉄を作るには、1.6トンの鉄鉱石、0.4トンのコークス、0.2トンの石灰が必要といわれています。粗鋼は、約半分が建築・土木向けに利用されています。 ■鉄の特性 純鉄は、白色で光沢があります。物質が薄く延びる性質(展延性)が強く、強磁性ですが、鉄が純鉄として利用されることはほとんどありません。99.9999%という超高純度鉄は、塩酸や王水(濃塩酸と濃硝酸とを3:1の体積比で混合)などの酸にも耐食性があります。一方、酸化鉄を利用した顔料もあります。ベンガラです。ベンガラは第二酸化鉄を主要成分としていますが、磁器の絵付けや歴史的建造物の塗装などに利用されています。 <温度変化による鉄の変態> 鉄の温度を上げていくと、鉄が融解する1535℃までの間に、2回も結晶構造が変化します。通常、鉄は体心立方格子構造をしていますが、911℃で変化して、面心立方格子構造になります。さらに、1392℃になると体心立方格子構造に戻ります。(右の格子構造の模式図は、大阪の第一鋼業(株)さんのホームページから引用させて頂きました) 911℃までの鉄をα(アルファ)鉄またはフェライトといいます。さらに、1392℃になるまでの鉄をγ(ガンマ)鉄またはオーステナイトといいます。そして、1392℃以上、1535℃までの鉄をδ(デルタ)鉄と呼びます。それ以上の温度では、鉄は液体の純鉄になります。フェライトとオーテスナイトは「ステンレスについて」でも出てきましたね。 |
体心立方格子構造 面心立方格子構造 結晶構造の模式図 |
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<鉄と炭素の関係> 鉄は、α鉄やγ鉄などの状態により、固溶できる炭素量が異なり、鉄は炭素含有量により、大きく性質が変わります。銑鉄は、炭素含有量が1.7〜4.5%程度ありますが、脆く、展性・延性・弾性がありません。錬鉄は、0.02〜0.1%程度の炭素含有量ですが、展性が大きく、硬度は低い性質があります。鋼鉄は、0.1〜1.7%程度の炭素含有量で作られますが、表(※2)に分類されます。 <鉄の熱処理> 熱処理は、焼き鈍し(焼鉄)、焼きならし(焼準)、焼き入れ、焼き戻しの4つに分類されます。これらの熱処理によって、鉄鋼の結晶構造が変化し、強さ、粘り、しなやかさがある鉄鋼が生まれます。 オーテスナイト鉄は、2%までの炭素を固溶でき、比較的低温で変態するために、熱処理をするのに都合の良い状態とされています。オーテスナイトを急冷(焼き入れ)するとマルテンサイトという非常に硬い鋼材が生まれます。マルテンサイトを再加熱して空冷(焼き戻し)をすると粘り強さが生まれます。 加熱炉から取り出した後、空冷(焼きならし)をすると、鉄鋼は微細で均一な鉄鋼になり、炉中で徐々に冷やす(焼きなまし)と軟らかい鉄鋼が生まれます。このように熱処理を組み合わせたり、段階的に繰り返すなどをして、多様な鉄鋼が作り出されています。 |
炭素含有量による鉄の種類と用途 (※2) |
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■鉄の合金 「ステンレスについて」でも触れましたが、インドのダマスカス鋼(ウーツ鋼)をイギリスのマイケル・ファラデーらが作り出そうとして失敗しました。しかし、その研究の過程から、白金を添加する白金鋼などの発見に繋がりました。結果、79種類もの合金鋼がヨーロッパなどで生み出されました。 鉄にクロムを入れると錆びにくくなりますが、クロムを11%以上入れるとステンレス鋼になります。ステンレス鋼は、鉄の合金です。また、ニッケルを加えると、粘りや強度が出て錆びにくくなります。モリブデンはタングステンやパナジウムと同様に、添加すると高温でも軟らかくなりにくくなります。コバルトは、鋼が真っ赤になるほど高温になっても、軟らかくならない働きがあります。主な合金元素とその特徴を表(※3)にまとめました。 |
鉄と主な合金元素とその特徴 (※3) |
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<アモルファス鉄合金> 鉄は、原子が規則正しく並んだ結晶粒が重なりあった多結晶体です。一方、高分子(プラスチック、ゴム、絹、木綿、繊維など)やガラスは、非結晶な状態にあります。ところが、融点を超え液化した鉄を急速に冷却すると、鉄の原子が結晶するいとまもなく、個々の原子がバラバラのままで、凝固することがあります。これが非晶質鉄合金(アモルファス鉄合金)です。塑性変形がなく、引っ張り強度の強い、磁化しやすい鉄合金です。磁器ヘッドやモーターの鉄芯などに利用されます。 <高張力鋼> ケイ素とマンガンを1%程度添加した鋼材を高張力鋼といいます。さらに、0.1%以下の炭素と少量のニオブ、チタン、バナジウムなどを加えるとより高い抗張力を持つ鋼材(ハイテン)になります。現在では、超ハイテンと呼ばれる鋼材が高層ビルや自動車のボディに使われています。 <高速度鋼> 1894年、アメリカのミッドバールが炉に入れたまま忘れてしまったのが、結果として、溶融点直下の焼き入れという技術を生み出した、失敗から生まれた高速度鋼(HSS:ハイスピードチチール)です。切削能力が格段に向上しました。炭素1.1%、マンガン0.18%、ケイ素0.25%、タングステン7.7%、クロム1.8%の成分です。さらに、テーラーは、焼き入れをした高速度鋼を600℃に焼き戻しをすると、さらに切削力が向上することを発見しました。 <高マンガン鋼> マンガン13%、炭素1.3%のオーステナイト系の合金鋼を高マンガン鋼といいます。焼き入れをしても硬くならず、軟らかくて粘り強い性質があり、耐摩耗性に優れた、非磁性の合金です。電気部品や超伝導部品に利用されています。 <磁石鋼> 硬い鋼が磁石に適していることは、早くから知られていましたが、炭素0.8%、タングステン7%、クロム1.2%のタングステン鋼が磁石として普及していました。1917年、日本の本田光太郎は、炭素0.7〜1.0%、コバルト30〜40%、タングステン6〜8%、クロム1.0〜2.0%のKS磁石鋼を作りました。KS磁石鋼は、自分の重さの35倍もの鉄塊を吸引するほど強力な磁力を持っていました。その後、三島徳一はMK磁石鋼、本田はKS磁石鋼より4倍も強力なNKS鋼を作り出しました。これをアメリカのGEは、NKS鋼に銅を加えるなどをしてアルニコ鋼を発明しました。 <耐候性鋼(コールテン鋼)> 銅やクロム、ニッケルなどを添加した合金です。表面に一定の錆を促しますが、その錆層が保護層となり錆の進行を止めるという特徴があります。通常は、無塗装で使用されます。表面は錆びていますので、使用には注意を要します。また海岸地帯では、錆が進行します。 |
札幌市厚別競技場のモニュメント 製作後23年を経ている 高さ16m コールテン鋼製 国松明日香設計 2012年6月4日撮影 モニュメントを下から見上げる |
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■錆について 鉄の原料である鉄鉱石は、赤錆びた色をしています。それは鉄が酸化した状態、酸化鉄として存在しているからです。その酸化鉄から、高炉などで酸素を取り除いた(還元)ものが鉄なのです。ところが、鉄は還元されても、奪われた酸素を再び取り込もうとします。その過程で発生するものが錆びなのです。 錆による腐食は、水と酸素によって生成されますが、塩分や二酸化硫黄(亜硫酸ガス)によって促進されます。鉄は強いアルカリの環境では、表面に水和酸化物という不動態皮膜ができて、錆が発生することが押さえられます。鉄筋コンクリートは、強いアルカリ(PH値12.5)であるコンクリートに保護された状態といえます。しかし、建物の貫通部などで、鋼管が鉄筋に接触していたため腐食したという例があります。注意を要しますね。各種の金属と酸による腐食の関係は表(※4)の通りです。 法隆寺の創建当時の鉄釘を引き抜いたところ、まだ使用に耐えるものが多数あったそうです。鉄の純度が良いとか、昔の鍛冶工の腕が良かったといったことがいわれましたが、使われた樹齢千数百年のヒノキが緻密で、釘が水と空気に触れなかったためだと思われます。鉄が錆びるためには、水と酸素のどちらかが必要なのです。海水を汲んできて、窒素をぶくぶく通して海水の中の酸素を追い出し、その中に鉄釘を入れて空気に触れないようにしておくと、釘は錆びません。 |
各種の金属と酸による腐食の関係 (※4) |
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○:溶けない ×:溶ける ※:希硫酸・塩酸自体には溶けないが、 酸に酸素が溶けていると腐食する |
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「アルミニウムの特性」や「銅の電食について」でも触れましたが、鉄が他の金属と接触しているとき、鉄の腐食を促進する金属と、逆に腐食が促進される金属を表(※5)にまとめました。 錆を防ぐために、様々な合金が開発されましたが、亜鉛メッキなどの表面処理によっても、錆を防ぐ努力がなされています。また、海中の鉄は、表面に原子サイズの無数の+極と−極ができて、時間と共に移動します。同時 |
鉄が他の金属と接触しているときの腐食の関係 (※5) |
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に、+から−に電流が流れ、−極の部分が腐食していくことになります。それを防ぐために、外部から防食のための電流を供給し、電位の高低差をなくすることによって腐食電流を消滅させる方法があります。これを電気防食といいます。電気防食法は、土中や海底のパイプラインや海洋構造物に使われます。空気は、電流を流しませんので、大気中の構造物には利用されません。 博物館などの金属出土品は、特殊なことがない限り、温度20℃、湿度55%に保っています。錆を安定させる環境にしているのです。湿度が下がりすぎると、出土品を覆っていた錆が剥がれてくるためです。 |
銀座mikimoto 伊藤豊雄 2005年 構造設計:佐々木睦朗+大成建設 2枚の鋼板の間にコンクリートを充填 2008年11月24日撮影 |
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■鉄の表面処理について 金属の表面処理は、様々な方法があります。大きく金属被膜、無機被膜、有機被膜、化成処理に分けられます。 <金属被膜> 溶融メッキ、電気メッキ、無電解メッキ、ドライコーティング、溶射、浸透処理などがあります。 <無機被膜> セラミック被膜、ガラスライニング、ほうろうなどがあります。 <有機被膜> 塗装、ラミネート、樹脂ライニングなどがあります。 <化成処理> 化学化成処理、アノード酸化などがあります。 |
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■鉄鋼材のいろいろ 鉄鋼材は、線材、棒材、鋼板、形鋼、軌条(レール)、鋼矢板、鋼管などに分けることができます。線材からは、ワイヤーや釘、ネジ、ベアリングなどが生まれます。棒材は、丸鋼や異形棒鋼(鉄筋)などがあります。現在、工業生産されている金属の大半は鉄鋼です。鉄分を含まない金属を非鉄金属と称されるのもその所以でしょう。 <鋼板> 鋼板は、厚さによって呼び方が変わります。 薄板 厚さ3mm未満 中板 厚さ3mm以上6mm未満 厚板 厚さ6mm以上 極厚板 厚さ150mm以上 住宅の屋根などに使われる亜鉛メッキ鋼板(トタン板)やカラー鋼板の厚さは、0.4mm程度の厚さの薄板が使われます。最近は、ガルバニウム鋼板と呼ばれる、亜鉛メッキではなく、アルミニウム55%、亜鉛43.4%、ケイ素1.6%(いずれも重量比)の合金をメッキした鋼板にカラー塗装をしたものが主流になっています。強固な不動態皮膜を形成することから、耐食性に優れています。もちろんステンレス鋼板よりは劣ります。ガルファン鋼板という製品もありますが、こちらはアルミニウム比率が5%のものですから、耐食性に劣るのではないでしょうか。価格も安いようです。 <形鋼(かたこう)> 主に構造用として、建築や土木に使われる一定の断面形状で、材軸方向に長い鋼材を形鋼といいます。C型の軽量鉄鋼(Cチャンネル)や溝型 |
形鋼のJIS規格品の名称と性質・用途 (※6) |
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鋼(チャンネル)、L型の山形鋼(アングル)、H形鋼、I型鋼、角形鋼管、円形の鋼管、鋼矢板も形鋼に含まれます。H形鋼をウエブ中心で切断して作られるT型鋼(カットティー、CT型鋼)もあります。 熱間圧延加工により製造される厚さが6mm以上の鉄骨を重量鉄骨、厚さが6mm未満の鉄骨を軽量鉄骨といいますが、軽量鉄骨の多くは冷間圧延加工で製造されます。 <形鋼のJIS規格品> 建築物の構造部材として使用できる鋼材は、JIS規格品、JIS規格同等品及び国土交通大臣認定品です。SS材やSM材などといった名称で分類されますが、その性質と用途をまとめたものが表(※6)です。 <鉄筋> 鉄筋は、丸鋼と表面に凸凹の突起がついた異形鉄筋の2種類がありますが、丸鋼が建設現場で使われることは、現在ではほとんどありません。異形鉄筋の表面突起がコンクリートとの付着を強めるため、引き抜き力に対する抵抗力が強いからです。コイル状に巻いた線材のものを異形コイル鉄筋ともいいます。また、突起の形状は鉄鋼メーカーによって異なるため、後述するミルシートとともに、製品確認に大事なポイントです。 JISで定められた異形鉄筋の強度別の種類の記号と呼び名は以下のとおりです。 種類の記号:SD295A,SD295B,SD345,SD390,SD490 数字は、降伏点(単位は N/mm2)を意味しています 呼び名:D4,D5,D6,D10,D13,D16,D19,D22,D25, D29,D32,D35,D38,D41,D51 数字は鉄筋の直径を示しています(表※7) 鉄筋は、どちらかというと中小の規模の鉄スクラップをリサイクルする電炉メーカーが主に製造しています。 |
JISによる異形鉄筋の強度別の種類 (※7) |
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■鋼材検査証明書(ミルシート)とは 鉄鋼メーカーが、指定された規格などの要求事項を満たしていることを証明した書類のことで、一般に「ミルシート」と呼ばれています。鋼材検査証明書(ミルシート)は、鋼材毎に発行されますが、要求しなければ出てきませんので、必ず確認をしたい書類です。 ■日本刀について ここで余談になりますが、日本刀について少し触れたいと思います。日本刀は、流派により多少異なりますが、炭素量が1.0〜1.5%の玉鋼(たまはがね)から作られます。その玉鋼を小割にして、軟らかいものと硬いものに分け、軟鉄を心金(しんがね)に、硬いものを皮金(かわがね)にして鍛え上げます。折り返しの鍛錬によって、日本刀は粘り強く、硬いけれども折れにくいものとなります。日本刀には、鉄と炭素以外の元素はほとんど含まれていません。そしてこの方法は、オーストリアやドイツでの刀剣の作り方にも似ているそうです。意外ですね。 |
ミルシートのサンプル |
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■スラグとは 鉄鉱石から金属を製錬する過程で、生まれる残りかすのことです。俗に金屎(かなくそ)とも呼ばれます。製鉄の際に生まれる製鉄スラグは、日本国内だけでも約4000万トンが発生しています。道路の路盤材や、コンクリートの骨材などに再利用されています。また、製鋼スラグの鉄分が植物プランクトンの成長に良いため、魚礁としての利用が開発されています。 ■鉄の環境問題 日本におけるたたら製鉄では、砂鉄13トンと木炭13トンから、1トンの日本刀の刃金の原料となる玉鋼が製作されたといわれています。このように、鉄鋼の歴史は、木材の消費と重なるのです。特に、高炉の普及は、木炭を得るために、中世ヨーロッパの大量な森林の破壊をもたらしました。続く、18世紀以降のコークスによる高炉は、森林の破壊を減らした代わりに、大量の石炭の消費を促すことになりました。コークス炉などから出る硫黄酸化物や窒素酸化物は、酸性雨や光化学大気汚染の原因となり、地球温暖化の原因ともなっています。 鉄のスクラップは、電炉により熔解され、鋳造機によってビレットとなり、圧延機を通して、鋼製品に再生されます。鉄スクラップは、何度でも回収ができれば、繰り返し再利用が可能な貴重な鉄鋼原料となります。 ■参考にした図書 ○鉄のはなし/雀部昌/さ・え・ら書房/198204第1刷/\1,000+税 ○「鉄」の科学がよくわかる本/遠竜也/秀和システム/20090620第1版/\1,100+税 ○トコトンやさしい錆の本/松島巖/日刊工業新聞社/20020928初版/\1,400+税 ○トコトンやさしい金型の本/吉田弘美/日刊工業新聞社/20070330初版/\1,400+税 ○鉄の文化誌/島立利貞/東京図書出版会/20011031初版/\1,500+税 ○鉄の文化史/新日本製鐵(株)広報企画室編/東洋経済新報社/19841220第1刷/\1,500 ○古代刀と鉄の科学/石井昌國・佐々木稔/雄山閣/20060120増補版/\3,800+税 ○聖徳太子と鉄の王朝/上垣外憲一/角川書店/19950630初版/\1,262+税 ○鋼の時代/中沢護人/岩波書店/19710320第7刷/ ○アナトリア発掘記/大村幸弘/日本放送出版/20010530第1刷/\870+税 ○鉄を生み出した帝国/大村幸弘/日本放送出版/19970520第14刷/\825+税 ○ヒッタイト帝国/Johannes Lehmann/内野隆司・戸叶勝也訳/佑学社/19841120第4刷/\1,500 |
安来和鋼博物館 日立製作所安来工場付属 宮脇檀設計/1993年 2007年10月26日撮影 安来和鋼博物館前の たたら吹き製法で作られた 粗鋼のヒ(けら) 2007年10月26日撮影 |
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061 住宅の省エネルギー関連の補助金(2012年6月1日) |
東日本大震災は、日本のエネルギー政策への計り知れない影響を及ぼしましたが、原子力発電を初めとして、未だに未来像と方向性が定まっていないというのが実感でしょう。それを行政のせいにするのも、政治家のせいにするのも簡単ですが、今一度、自分自身の生活の中を見つめてみる必要があると思います。 そうしたなか、2011(平成23)年度の3次補正予算で定められた、復興予算と国のエネルギー政策が執行され始めています。補正予算の概略です。 ●電力需給対策等 2,324億円 ●自家発電設備導入促進事業 299.9億円 ●高効率ガス空調設備導入促進事業費補助金 49.4億円 ●エネルギー管理システム(BEMS・HEMS)導入促進事業費補助金 300億円 ●定置用リチウムイオン蓄電池導入支援事業費 210億円 ●民生用燃料電池導入支援補助金 50億円 ●建築物節電改修支援事業費補助金 150億円 ●住宅用太陽光発電導入支援復興対策基金造成事業費補助金 869.9億円 ●探鉱・資産買取等出資事業出資金 202.5億円 ●被災地域石油製品販売業再建等支援事業 23.5億円 ●被災地域石油ガス基地機能早期復旧支援事業 20.2億円 ●被災地域石油ガス安定供給体制整備事業 11.1億円 ●被災地域等災害対応拠点石油基地整備事業 99.9億円 ●被災地域災害対応型中核給油所等整備事業 40億円 ●被災地域等地下タンク環境保全対策促進事業 87.4億円 ●広域ガスパイプライン等整備実態調査委託費 1億円 以上の中から、住宅の省エネルギー関連の国の補助金制度を取り出してみました。 |
経済産業省 エネルギー対策の推進 PDFデータへ |
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■住宅用太陽光発電導入支援補助金(2012年度) ○執行団体 JPEC(一般社団法人 太陽光発電協会/太陽光発電普及拡大センター) ○募集期間 2012年4月19日から2013年3月29日までに「補助金申込書」を提出していること。 ○対象者 住宅に対象システムを設置しようとする個人、法人、または区分所有法で規定する管理者です。既に設置している方、設置工事 を開始している方は対象外となります。 ○対象システムと対象経費 太陽電池の公称最大出力、またはパワーコンディショナの定格出力のいずれか小さい方の値が10kw未満で、かつシステムの 補助対象経費が55万円(税抜)/kw以上あること。 太陽電池モジュール、架台、パワーコンディショナ、その他附属機器(接続箱、直流側開閉器、交流側開閉器)、および 設置工事に係る費用(配線・配線器具の購入・電気工事等を含む)。 また、太陽電池モジュールの公称最大出力の合計値が、既設分、増設分を合わせて10kW以上となる場合は、9.99kW から既設分の出力を差し引いた値を補助金交付申請額、および1kW当たりの補助対象経費の算出用出力となります。 ○補助金額
※太陽電池モジュールを10kw以上設置する場合でも9.998kwで計算 ○申請手順 1)「補助金申込書」を提出し、工事の着工日前に 「補助金申込受理決定通知書」を受け取ることが必要です。 2)設置工事が完了し電力受給が開始された後に「補助金交付申請書(兼完了報告書)」を提出し、「補助金交付決定通知書」 を受け取ることになります。 ○事業の期限 補助金申込書の受理が決定した日から新築は9ヶ月以内、既築は6ヶ月以内に補助金交付申請書を提出すること。 |
JPECのホームページへ |
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■民生用燃料電池導入支援補助金 ○執行団体 FCA(一般社団法人 燃料電池普及促進協会) ○募集期間 2012年4月13日から2013年1月31日までに「補助金申込書」を提出していること(FCA必着)。 ○対象者 住宅及び建物に燃料電池システムを購入、設置し、実際に使用する人、またはリース等により提供を行う人で、6年間以上 継続して使用できること。「一般用申請者」と「建売用申請者」に区分されています。他の国庫補助金と重複して補助を受 けることはできません。個人で申請される方(個人事業主を除く)は、環境価値である「国内クレジット」に基づく認証を 受けるための「排出削減事業への参加」手続が補助金申込、交付申請の要件となります。 ○対象システムと対象経費 設置予定の家庭用燃料電池システム(エネファーム)が、「FCAが指定した燃料電池システム(補助対象システム)」で あること。中古品は対象外です。 燃料電池ユニット、貯湯ユニット、リモコン等の付属品、配線、配管、燃料電池・貯湯ユニット基礎、および設置工事に 係る費用。 ○補助金額 対象システムの機器購入費用(税込み)と「従来型給湯器」の機器費用(23万円に固定)との差額の1/2および設置工事 費(税込み)の1/2の合計とし、1台当たりの上限は、70万円です。ただし、1,000円未満は切り捨てです。 ○申請手順 1)「補助金申込書/補助金建売申込書」を提出し、工事の着工日前に 「補助金申込受理決定通知書/補助金建売申込受理 通知書」を受け取ることが必要です。 2)設置工事が完了し、使用開始された後に「補助金交付申請書(兼完了報告書)」を提出し、「補助金交付決定通知書」を 受け取ることになります。 ○事業の期限 2013年2月28日までに設置工事ならびに補助事業を完了すること |
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■定置用リチウムイオン蓄電池導入促進対策事業費補助金 ○執行団体 SII(一般社団法人 環境共創イニシアチブ) ○募集期間 補助金の予約申請期限は、2013年12月末日、交付申請期限は2014年1月末日まで ○対象者 SIIが認める蓄電システムを設置する個人または法人、あるいは利用者に貸与する法人(リース事業者、新電力事業者等) ○対象システムと対象経費 リチウムイオン蓄電池部に加え、インバータ、コンバータ、パワーコンディショナ等の電力変換装置を備えたシステムとして 一体的に構成され、かつ安全等を定めた「定置用リチウムイオン蓄電池導入促進対策事業費補助金の補助対象基準」 (以下「補助対象基準」という。)に準拠していること。 ○補助金額 1)SIIが認める蓄電システムを設置する個人(個人事業主含む)の場合は、補助金額の上限を100万円とし、その範囲内 で機器費の1/3を補助 2)SIIが認める蓄電システムを設置する法人の場合は、補助金額の上限を1億円としその範囲内で機器費及び付帯設備費、 工事費の合計額の1/3を補助する。また、工事費の補助金額は機器費の補助金額を上限。 ただし法人であって、SIIが認める蓄電システムを民生用住宅の専有部分に設置する場合、当該部分一件当たりの補助 金額の上限を100万円とし、その範囲内で機器費の1/3を補助。 ○申請手順 1)事前に予約申請を行う必要があります。申請の合計金額が予算の210億円に達した場合、補助事業期間であっても事業 を終了します。 2)約1ヶ月程度で、予約決定通知書を受け取った段階で、蓄電システムの契約・購入・設置を行い、交付申請書を提出します。 現地検査もあります。 3)交付申請書から約1ヶ月程度で、交付決定通知書を受け取り、その後補助金の支払いがあります。 ○事業の期限 2014年3月31日まで |
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■エネルギー管理システム導入促進事業費補助金(HEMS導入事業) HEMS(Home Energy Management System)とは、住宅のエネルギー消費機器である複数の家電機器や給湯機器を IT技術を利用したネットワークでつなぎ、自動制御する技術のことです。家庭でのエネルギー使用量や機器の動作・使用量を計測 ・表示することによって、省エネルギーを喚起することができます。 一方、ビル等の建物内で使用する電力使用量等を計測するシステムをBEMS(Building Energy Management System) といいますが、こちらもエネルギー管理システム導入促進事業費補助金(BEMS導入事業)として、補助金制度が出されています。 ○執行団体 SII(一般社団法人 環境共創イニシアチブ) ○募集期間 2012年4月19日から2014年1月31日まで ○対象者 SIIが指定する補助対象機器を民生用住宅に設置する個人です。計測・蓄積した電力使用量に関する実績データ等をSII が定める様式で報告を行うとともに、「HEMS機器利用に関するアンケート」に協力する必要があります。 補助対象機器をリースで導入する場合は、補助対象機器利用者とリース事業者の共同申請となります。 ○対象システムと対象経費 SIIが定める対象基準を満たしていることが認められ、補助対象として指定されたHEMS機器。SIIは製造事業者等 からの申請を受け付けその内容を審査し、対象となる機器への指定を行い、順次ホームページに記載しています。また、 補助対象機器は未使用品に限ります。 ○補助金額 HEMS機器導入費用(設置に伴う工事費用含みます)として、定額(10万円)の補助が出ます。定額を下回るHEMS 機器の場合は、その領収金額の1,000円単位以下を切り捨てた金額となります。 申請の合計額がBEMSを含めて予算額300億円に達した時点で、事業を終了します。 ○申請手順 補助金の交付申請は、補助対象機器の設置工事完了後に申請します。 ○事業の期限 2014年3月31日まで 以上の他に、経済産業省は、「一般社団法人 環境共創イニシアチブ」「一般社団法人 日本サステナブル建築協会」「一般社団法人 環境共生住宅推進協議会」の3者による共同事業として「ゼロ・エネルギー化推進室」を発足させ、住宅・建築物におけるネット・ゼロ・エネルギーを目指した事業を開始しました。ただし、この事業は2012年度の早い段階で募集期間が終了します。 ■ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス支援事業 ■住宅のゼロ・エネルギー化推進事業 ■ネット・ゼロ・エネルギー・ビル実証事業 |
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